今回は、チコちゃんに叱られる! ▽お子様ランチの謎▽雑草ってなに▽腹黒いとは? 初回放送日: 2023年5月19日の番組内容を紹介。
なんでお子様ランチには旗が立ってるの?
なんでお子様ランチには旗が立ってるの?
本日の最初の話題。
まずは、最初のゲスト紹介。
本日のゲストは、八嶋智人さんと若槻千夏さん。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、子供が大好きなステキな大人ってだーれ?」
この問題は、若槻さんが回答者に。
チコちゃん「お子様ランチ、知ってるよね。旗が立ってるよね?なんでお子様ランチには旗が立ってるの?」
若槻さん「映えじゃね?」
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「安蔵さんが登山好きだったから」
安蔵さんが登山好きだったから
お子様ランチは、エビフライ、ハンバーグ、スパゲティなど子どもに人気のおかずの組み合わせ。
しかし、お子様ランチには厳密な決まりはなく、幕の内弁当のように各店がおかずを自由に選んでいます。
昭和以前は、子供向けのメニューはほとんどありませんでした。
昭和初期に、お子様ランチが誕生した時期はデパートなどでお子様用メニューが提供されるように。
昭和5年に日本橋の大手デパートで「お子様洋食」というお子様ランチが誕生。
また、他のデパートでは、ちょうど同じ時期に「お子様ランチ」というメニュー名が登場。
どちらのメニューも旗が立っているのが特徴的。
この旗を立てた張本人というのが三越伊勢丹の食堂に勤めていた安藤太郎さん。
顔写真などは残っておらず、食堂でコックをしていたのかどうかも不明。
その一方で三越伊勢丹に代々伝わっている安藤太郎のエピソードが。
お店に納品されたお皿のデザインがかわいらしかったので子ども向けのメニューを作ろうと考えました。
そこで、子どもが好きそうなおかずをお皿に盛ります。
ケチャップライスは型を使って山のような形に。
そこで登山好きだった安藤太郎が閃いたのが登頂成功の時に立てる旗。
前年に起こった世界恐慌の影響で不況のど真ん中の日本。
何とか明るい気持ちで子どもたちにご飯を食べてもらいたいという思いがあったそう。
このようにして、お子様洋食は完成。
こうしてお子様ランチ=旗というイメージが徐々に定着していきました。
最後に、始めましたシンガーのAMEMIAさんが熱唱して終了。
結論
というわけで、
「なんでお子様ランチには旗が立ってるの?」は、
「安蔵さんが登山好きだったから」
でした。
解説してくれたのは
梅花女子大学の東四柳祥子教授。
東四柳 祥子(ひがしよつやなぎ しょうこ、1977年 – )は、日本の食文化・料理学者。専門分野は比較食文化論[1][2]。主に明治・大正期の料理書を研究する[1]。梅花女子大学食文化学部食文化学科教授[1]、和食文化国民会議幹事[2]。
来歴
1977年、石川県で生まれる[1]。幼少期から食べることが好きで、料理書も好きだった[1]。祖母と母が料理上手でその影響を受けていた[2]。高校時代に料理雑誌『レタスクラブ』と出会い、料理に目覚めた[1]。毎月料理雑誌を購入し、身近な食材で工夫して作る日々を過ごした[2]。母の読んでいた料理雑誌を読みながら、食の本を作る仕事を夢見た[1]。
1996年、東京女子大学文理学部英米文学科に入学[1]。料理の道とは異なる学科だったが、在学中に偶然『レタスクラブ』でアルバイトをする機会を得て、テレビの料理番組にもアルバイトで携わるようになり、食の現場にのめりこんだ[1]。その際、番組ディレクターから、「本物のプロになりたいのなら、きちんと勉強しないとね」というアドバイスをされたことが料理とのかかわり方を見直すきっかけになった[1]。ゼミの指導教官だった英文学者の教授に相談したところ、イギリスの『ビートン夫人の料理書』という昔の料理書を紹介され、日英の料理書文化の比較をすると面白いとアドバイスを受けたことが、決定打となり、食文化研究の道に進むことを決めた[1]。食文化研究者の江原絢子の論考に感銘を受け、江原が所属する東京家政学院大学を訪ねた際、江原と会うことができ、それ以来大学院受験を前提に江原のもとに通うようになった[2]。現在では江原と共同研究を行う仲となっている[1]。
2000年に同大学を卒業すると東京家政学院大学大学院人間生活学研究科で修士、国際基督教大学大学院比較文化研究科で博士を取得[1]。その後、梅花女子大学食文化学部食文化学科教授[1]に就任。2012年には石川松太郎食文化研究奨励賞、2017年には「乳の社会文化」学術研究最優秀賞を受賞した[3]。また、農林水産省の委員などを務めるほか、日本郵便「和の食文化シリーズ」切手の助言・監修や阪神百貨店梅田本店の商品提案なども担当している[2]。
研究・主張
専門分野は比較食文化論[1][2]。主に明治・大正期の料理書(レシピ集)を研究している[1]。料理書が研究領域というのは珍しいテーマである[2]。本人は、日本ではまだまだ亜流だとしたうえで、海外では料理書研究も盛んであることを紹介し、研究仲間が増えることを期待している[2]。
大学院時代には、各地の図書館を訪ねて近代(1860~1930年)の日本の料理書615冊を収集し、それらを分析した結果を修士論文として発表した[2]。また、日本の料理書と諸外国の料理書の比較研究を行った[1]。師である江原絢子から原典にあたることの大切さを教わり、現在でも研究時は必ずすべての原典に目を通している[2]。教授としては、日露戦争の頃のロシア人捕虜が食べていた料理を学生たちと再現するなどの挑戦もしており、本人は「時空を超えた食談義を楽しむ」と語っている[1]。
料理書の分析を通して、江戸時代は男性向け、近代以降に女性向けの料理書が出版されていることを明らかにし、明治から昭和初期に「家庭は女性の管理領域」という概念が誕生したと主張している[2]。料理書は単なるレシピ集ではなく、その時代の人々の想いを含む社会的な背景が含まれた文化財であると主張し、料理書が乱立して「継承されるべき食文化を記す」という目線で本が作られていない現在の日本の状況を危惧している[2]。
(Wikipediaより)
梅花女子大学(ばいかじょしだいがく、英語: BAIKA Women’s University)は、日本の私立大学。大阪府茨木市に本部を置き、学校法人梅花学園によって運営されている。
建学の精神
建学の精神は「キリスト教精神に基づき、他者への愛と奉仕の精神を備える自立した女性を育成する。」である。スクールモットーは”Do for others what you want them to do for you”「人にしてもらいたいと思うことは何でも、 あなたがたも人にしなさい」(マタイによる福音書7章12節)。
沿革
1964年(昭和39年)5月 – 開学。当初は文学部(日本文学科・英米文学科)の1学部でスタート[注 1]
1977年(昭和52年)4月 – 大学院文学研究科日本文学専攻・英米文学専攻(修士課程)を茨木キャンパスに設置。
1982年(昭和57年)4月 – 文学部に児童文学科を設置。
1992年(平成4年)4月 – 大学院文学研究科に児童文学専攻(修士課程)を設置。
1994年(平成6年)4月 – 大学院文学研究科に児童文学専攻(博士後期課程)を設置。
1997年(平成9年)4月 – 文学部に比較文化学科、人間福祉学科を設置。キャリア開発センターを設置。
2000年(平成12年)4月 – 文学部に人間科学科を、大学院文学研究科に人間福祉学専攻(修士課程)を設置。
2001年(平成13年)- 生涯学習センターを設置。
2002年(平成14年)- 梅花短期大学生活科学科の生活健康学専攻を調理・製菓専攻と造形デザイン専攻に改組。
2004年(平成16年)4月 – 文学部を現代人間学部(人間福祉学科、心理学科、生活環境学科)と文化表現学部(国際英語学科、児童文学科、日本文化創造学科、情報メディア学科)に改組。大学院文学研究科に心理臨床学専攻(修士課程)を設置。
2005年(平成17年)- 大学院文学研究科の心理臨床学専攻(修士課程)が臨床心理士養成の第1種指定大学院に指定[注 2]。
2006年(平成18年)4月 – 大学院文学研究科を現代人間学研究科人間福祉学専攻に、心理臨床学専攻と文学研究科(日本語日本文学専攻、英語英米文学専攻、児童文学専攻)の2研究科に改組。
2009年(平成21年)11月 – 文学部を廃止。
2010年(平成22年)4月 – 現代人間学部を心理こども学部こども学科、心理学科に改組。看護学部看護学科を設置。
2012年(平成24年)4月 – 食文化学部食文化学科を設置。
2014年(平成26年)3月 – 現代人間学部を廃止。
2015年(平成27年)
3月 – 短期大学部を廃止。
4月 – 看護学部に口腔保健学科を設置し、学部名を看護保健学部に変更[1]。
2016年(平成28年)- 梅花歌劇団「劇団この花」を設立。
2017年(平成29年)4月 – 大学院に看護保健学研究科口腔保健学専攻(修士課程)を設置。食文化学部に管理栄養学科を設置。
2018年(平成30年)- グローバル・コミュニケーション・ヴィレッジを設置。文化表現学部の日本文化創造学科を日本文化学科に、心理子ども学部の子ども学科をこども教育学科に改組。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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