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なんで街路樹はイチョウが多いの?→火に強い木だから。水分が多く燃えにくい。関東大震災後に広まる。

今回は、2019年12月27日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「拡大版SP!イチョウ並木・氷の謎・イラスト一挙公開!」のお話。


なんで街路樹はイチョウが多いの?





確かに街路樹といえば、イチョウですね。


なぜなんだろう?





なんで街路樹はイチョウが多いの?


本日の8つ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番散歩が似合う優雅な大人ってだーれ?」


結局、岡村さんが回答者に。


チコちゃん「なんで街路樹はイチョウが多いの?」


岡村さん「落ち葉と一緒に道の清掃も一気に出来るように。」


チコちゃん「イチョウである意味がよく分からないのは?」


岡村さん「環境問題に根を張ったイチョウ並木だったのです。」


チコちゃん「なるほど!だったのです!ボーっと生きてんじゃねーよ!」


さださん「胃腸を大切にしようという。」


とダジャレ解答。


東京駅前で街頭インタビューでも正解なし。


チコちゃんの答えは、「火に強い木だから。」



火に強い木だから


イチョウの葉は厚くて水分が多いのでとても火事に強い。


ハナミズキと同時に火にあぶってみます。





すると、イチョウの葉のほうが燃えにくいことがわかります。


ケヤキ、松、クスノキ、桜の葉と同時に火にあぶってみても同じ。





イチョウの葉は圧倒的に燃えにくいという実験。


さらに葉っぱだけではなく木の幹も他の木よりも水分が多いという特徴があります。


これもイチョウが火に強い要因の一つ。


今では街路樹=イチョウというイメージ。


しかし、東京で街路樹を植え始めたのは明治初めの頃。


都市の近代化を目指していた日本政府。


ヨーロッパの街並みを参考にして銀座に桜、松、柳などを植え始めたのが最初。





しかし、土壌が合わなかったり、手入れ不足だったりであまり定着はしませんでした。


街路樹に見た目の美しさだけを求める風潮の中、一石を投じたのが長岡安平(ながおかやすへい)。





東京の芝公園、札幌の丸山公園などなど日本中の公園の設計案作りや整備に関与。


後に近代公園の先駆者とも呼ばれた人物。


しかしながら当時は東京市の一公務員という立場。


そんな長岡はある決意をもって街路樹にイチョウを植える事を提唱します。



ここからはNHKたぶんこうだったんじゃないか劇場(TKG)






タイトルは「銀杏がくる ~イチョウを信じた男~」


明治30年。長岡安平を演じるのは鶴見辰吾さん。


防災の面を考慮して都市計画を進めるべきという考え。


火に強いイチョウを街路樹にする事を提案します。


しかし、上司の理解は得られず、あえなく却下。


この頃の日本は日清・日露戦争などで軍拡の時代。


お金は軍関連に優先させる時代。


街路樹の整備に多額のお金をかける案は採択されず。


また、一地方公務員にしか過ぎない長岡安平の意見には賛同者もいませんでした。


しかし、防災面での街路樹の重要性を農商務省林業試験所所長、新宿御苑苑長など関係各所に説得。





多くの人の支持を受けて計画書を作成。


そして明治40年。10年の歳月をかけて長岡の提案は遂に承認。


しかし、計画書には、そこにはイチョウだけではなく、外来種のスズカケノキ、ユリノキなどなど10種類の木を街路樹として採用。





この頃は海外のものを取り入れる事を良しとする風潮がありました。





イチョウなどの在来種だけではなく、外来種が多く採用されるという決定に。


不本意な決定。


しかし、将来的にイチョウが大量に必要にある時代がきっと来ると信じます。


苗木を育てる畑=苗圃(びょうほ)を現在の東京大久保やの野方周辺に整備。





その後、おこったのが、大正12年9月に発生した関東大震災。


東京だけで死者6万5千人超、家屋は16万戸超が火災で焼失という大災害。


東京の街路樹も6割以上が火災によって焼失。


その中で多くが燃え残って延焼を防いだのがイチョウ並木。


東京都千代田区大手町には今でも「震災イチョウ」と呼ばれる木が残されています。





関東大震災を経験したイチョウを現在も見ることがが今でも元気に立っているとのこと。


これを契機にしてイチョウが火に強い事が実証。


東京の街の復興の際には街路樹としてイチョウを採用する運びに。


しかし、関東大震災のあったわずか2年後に長岡は死去。


街路樹といえばイチョウ並木という東京の街並みを見ることはできませんでした。


震災復興ではあの長岡の準備していた苗圃が活用されたとのことです。



結論


というわけで、


「なんで街路樹はイチョウが多いの?」は、


「火に強い木だから」


でした。



解説してくれたのは


福井県立大学の進士五十八学長


進士五十八(しんじ いそや、1944年 – )は、日本の造園学者、農学者、福井県立大学学長、元東京農業大学学長、地域環境科学部造園科学科名誉教授。公園デザイナー。[1] 農学博士。造園学・環境計画学・景観政策学を専門としている。

人物
これまでに日本都市計画学会長、日本造園学会長や政府観光政策審議会・都市計画中央審議会・道路審議会・河川審議会、内的観光政策審議会などの専門委員、環境庁、国土庁、運輸省などのアメニティ政策・環境計画等委員会、建設省の各市政策・公開等研究会、埼玉県環境影響評価技術審議会、神奈川県などの文化懇話会、横浜・川崎市などのアメニティ・タウン計画策定委員会、世田谷区の都市美委員会、東京都都市美対策委員会、神奈川県、埼玉県の環境政策委員会、埼玉県・藤沢市・足立区・新宿区などの緑化ならびに景観の審議会、品川区都市計画審議会、大和市建築審査会などの委員、日本レクリエーション学会理事、日本環境教育学会、自治体学会の運営委員、環境庁アメニティ自治体、建設省都都市公園コンクール審査員などに就任し、千葉大学、東京芸術大学大学院、女子美術大学非常勤講師などをつとめ、現在は環境省自然再生専門家会議委員、新宿区景観審議会会長、名古屋市緑のまちづくり審議会会長、川崎市環境審議会会長、NPO法人美し国づくり協会理事長、日本園芸福祉普及協会長などで活躍している。

関わった計画構想等には倉敷市橋の公園基本計画・設計、三島市・菰池公園基本設計、東京景観宣言原案作成、三鷹市水と緑の回廊計画指導、足助川周辺ネットワーク構想、横浜市パークシステム構想、源兵衛川環境整備、板橋区立薬師の泉庭園復元計画などがある。

1986年 東京農業大学より農学博士。論文の題は「日本庭園の特質に関する研究 」[2]。

1984年第5回田村賞、1989年日本造園学会賞を受賞。2007年 紫綬褒章受章。2007年第29回日本公園緑地協会北村賞受賞。2015年第9回みどりの学術賞受賞[3]

略歴
1944年 京都市に生まれ、小学校時代は福井県で、後に東京・深川で育つ。
1969年 東京農業大学農学部造園学科卒業
1987年 東京農業大学教授
1995年 東京農業大学農学部長
1998年 東京農業大学地域環境科学部長
1999年 – 2005年 東京農業大学学長
2010年 東京農業大学定年退職。
2016年 – 福井県立大学学長
(Wikipediaより)



福井県立大学


福井県立大学(ふくいけんりつだいがく、英語: Fukui Prefectural University)は、福井県吉田郡永平寺町松岡兼定島4-1-1に本部を置く日本の公立大学である。1992年に設置された。大学の略称は県大。

大学全体
日本海側では唯一の海洋関連学部である海洋生物資源学部を有している。小浜と芦原に、それぞれ大学固有の生物研究所を有する。 また、看護福祉学部は看護師・保健師・社会福祉士・精神保健福祉士の国家試験合格率で毎年全国トップクラスの成績を占めている。

基本理念
「魅力ある大学」「個性ある大学」「開かれた大学」の3つを基本理念としている。
(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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