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なんで田んぼに立っている人形を「かかし」っていうの?→クサいニオイを「かがし」ていたから

今回は、2021年11月19日金 チコちゃんに叱られる!「▽ピアノの色の秘密▽かぼちゃの謎▽かかしって?」の番組内容を紹介。


なんで田んぼに立っている人形を「かかし」っていうの?




たしかに、なんでかかしって名前?





なんで田んぼに立っている人形を「かかし」っていうの?


本日の最後の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、3食お米を食べてそう健康的な大人ってだーれ?」


本日は先発していない岡村さんが立候補して回答者に。


チコちゃん「なんで田んぼに立っている人形を「かかし」っていうの?」


岡村さん「○○かかしという実在の人物がいたから。」といった趣旨の回答。


チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


山下さんにも聞いてみると、


山下さん「カラスが「カーカー」と鳴くので、それを追い払う「シッシッ」から2つを繋げて「カカシ」。」


こちらも正解に至らず。


VTRでは「かかし撲滅」を掲げるキョエちゃん。





チコちゃんの答えは、「クサいニオイを「かがし」ていたから。」



クサいニオイを「かがし」ていたから


解説してくれたのは、九州工業大学の近藤直也名誉教授。


昔は鳥獣被害の対策としてしめ縄を張ったり、




引板と呼ばれる道具で音を出すなどして追っ払っていました。





それらだけでは動物の方が慣れて徐々に効果が薄くなってきました。


そこでクサいニオイを出す事で追い払うという手法も導入されるように。


人間の髪の毛と布をしめ縄状に編んだものと





イノシシの毛皮を





これらを竹竿に吊るします。





それを一緒に燃やしたニオイを出して追っ払っていたとのこと。


実際に燃やして実験してみると、煙が立ち周囲はむせるほどの臭気。


臭気計で計測してみるとその数値は666と獣の数字そのもの。





納豆が531でくさやが473。


髪の毛+イノシシの毛皮はそれよりも上。


この悪臭は単にニオイをばらまくという意味に加えて、この田畑にうかつに近寄るとこういう目に遭わせるぞと思わせるため。




また、当時の人々にとってはニオイは魔除けの意味も。


例えば古い絵巻に描かれた「屋根から覗く鬼の姿」


玄関に飾られたイワシの頭を鬼が嫌がっている姿が。





これは鬼がイワシのニオイを嫌がると伝えられていたからだそう。


ひいらぎの小枝に焼いたイワシの頭を刺した魔除けは「やいかがし」と呼ばれていたり。





今でも節分の時期に同じものを飾る習慣が残っている地域があるそう。


ここにも「かがし」というワードが。


何か悪い物を近寄らせないようにする際にはクサいニオイを「かがし」ていました。


この事から鳥や動物などから田畑を守る物の総称がかがし(かかし)と呼ばれるように。





室町時代になると弓矢を持ったかかしが多く置かれるようになったり。





明治・大正時代になると古着を着せたかかしが登場。





今に引き継がれているとのこと。


最後にユニークなかかしの紹介。



北海道共和かかりまつりの世直し雷神様






雷の音で鳥獣を追い払います。



奈良 高取かかしまつり 午後のひととき






茨城 高見かかし祭り チコちゃんに叱られる!かかし





大分 稲田校区かかしまつり チコちゃんに叱られる!かかし






結論


というわけで、


「なんで田んぼに立っている人形を「かかし」っていうの?」は、


「クサいニオイを「かがし」ていたから」


でした。



解説してくれたのは


解説は九州工業大学の近藤直也名誉教授


九州工業大学


九州工業大学(きゅうしゅうこうぎょうだいがく、英語: Kyushu Institute of Technology)は、福岡県北九州市戸畑区仙水町1-1に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は九工大(きゅうこうだい)。

九州工業大学の位置(日本内)九州工業大学
九州工業大学
九州工業大学の位置(福岡県内)戸畑戸畑飯塚飯塚若松若松
各キャンパスの位置
英字ではKITと略してきたが、現在ではインターネットのドメイン名に使用しているKyutechが多く用いられる。

東京帝国大学(現在の東京大学)の総長を務めた山川健次郎と安川財閥の創始者である安川敬一郎によって、1909年(明治42年)に卒業生に工学士の称号を授ける工学の最高学府たる4年制の明治専門学校(私立の旧制工業専門学校)として開校(安川敬一郎は明治専門学校以外に安川電機、明治鉱業、黒崎窯業(現・黒崎播磨)、明治専門学校附属小学校(現・明治学園)等を設立した[1][2])。初代総裁として招聘された山川健次郎の裁量によって、建物の設計は当代一流の建築家・辰野金吾博士に依頼され、校長は当時わが国工業界最高の指導者であった的場中博士が迎えられ、教授陣を東京帝国大学卒業生(専門科目)東京外国語学校卒業生(英語)陸軍士官学校卒業生(体育)から採用し、基礎と実験が、また科目としては英語と体育も重視された。1921年(大正10年)に官立に移管され、1949年(昭和24年)5月31日に国立九州工業大学は設置された[3]。国立大学の中では唯一の情報工学部を持ち[4]、また大学院生命体工学研究科は北九州学術研究都市に進出していて[5]、安川電機、早稲田大学、北九州市立大学、九州歯科大学、産業医科大学、英国クランフィールド大学、理化学研究所脳科学総合研究センターなどと連携している[6][7][8][9]。九州最大の工業地帯である北九州工業地帯に位置する国立工業大学であり、わが国の産業発展と人材育成に努めている。小惑星イトカワに到達した小惑星探査機はやぶさ(MUSES-C)の試験を行ったことでも有名[10]。卒業生の就職率が良く、企業からは非常に高い評価を得ており[11]、その実力は各界で高く評価されている。

明治専門学校には、政治家では尾崎行雄、犬養毅、大隈重信、原敬を始めとする首相、閣僚級の人々、学者では長岡半太郎、手島精一、実業家では益田孝、渋沢栄一、團琢磨、藤山雷太他の重鎮等、多くの著名人が来校している[12]。

明治専門学校の卒業生である藤田哲也博士は、気象学のノーベル賞と呼ばれる「フランス航空宇宙アカデミー金メダル」を受賞しており、気象学の研究者として世界的な評価を受けていた[13][14][15][16]。
(Wikipediaより)




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