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なんでデパ地下は地下にあるの? デパートが土足禁止だったから

今回はチコちゃんに叱られる! ▽デパ地下の謎▽クロワッサンの謎▽ルビの謎 初回放送日:2025年1月17日を紹介。


なんでデパ地下は地下にあるの?




なんでデパ地下は地下にあるの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お買い物上手なステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんでデパ地下は地下にあるの?」


チコちゃんの答えは、「デパートが土足禁止だったから。」



デパートが土足禁止だったから


デパートの花形の一つになっているデパ地下。


かつては脇役という立ち位置でした。


日本初のデパ地下が誕生したのは松坂屋名古屋店。




地下1階に作った「東西名物街」と呼ばれる食品売り場が元祖でした。


地下スペースに東西にある老舗名店を集めたものでした。


ようかん、佃煮、洋菓子などを販売したという記録が残っています。


この頃はまだ総菜や弁当といった食品の取り扱いはありません。


主に贈答品が中心でした。


日本のデパートの始まりは老舗呉服店がリニューアルして誕生したもの。




そのため、メイン商品は衣類・服飾雑貨でした。


高島屋、松坂屋、そごう、大丸などのデパートでは建物1階に化粧品・靴・カバンといった小物類が売られていました。




そして2階には主力となる呉服(婦人服・紳士服)を


3階には貴金属などのアクセサリーといったレイアウトが多かったよう。


お店の主役となる呉服を中心に衣類・履物・雑貨などファッション関連のフロアを配置。


お客さんが一連で見て回れるように建物の中心にまとめて配置されていました。


さらに4階、5階には家具や文房具・玩具などの売り場を


6階(最上階)には景色を眺めながら食事を楽しめるように食堂が、


そして、屋上には展望台や動物園などのアミューズメントというのが典型的なデパートの配置でした。


この時代、地下1階はどのように使われていたのか?


元々の用途は「下足置き場」だったとのこと。



デパートが登場した当初、日本では呉服店時代からの習慣で床には畳が敷かれていました。


そのため、建物内は土足厳禁。


デパートの入り口には下足番という履物を預かる係が常駐していました。





客は履物を預けて入店していました。


預かった履物は地下の下足置き場で保管。


店を出る際に係が出口に持って行くというシステム。


しかし、出入り口の混雑を招いてしまい、全国のデパートにとっては悩みの種でした。


そこで松坂屋銀座店では1924年に土足入場を解禁。


履物を預かるシステムを廃止しました。


すると地下の下足置き場は必要なくなります。


この空きスペースを活用しようと導入されたのがメインの呉服とは関係が無い食品・台所用品などの生活必需品でした。




当時はあくまで脇役。


地下の食品売り場はたいして売り上げが期待されていないフロア。


しかし、1927年に都心で地下鉄が誕生。


路線拡大の一環としてデパート前に駅が建設されるようになると状況は一変します。




駅の建設費用をデパート側にも負担してもらい路線延長を図る鉄道会社。


また、路線から客を呼び込みたいデパート側の思惑が合致。


次々にデパート名がそのまま駅名になった駅が誕生しました。


さらにデパート側も地下鉄の駅とデパートの地下が繋がり、地下入り口からデパートへ入る客が増加することに。


そうすると、地下鉄の利用客はまず食品売り場を通ることになります。


新しいデパ地下文化が始まることに。


そして1980年代後半に日本がバブル景気を迎えます。


1986年に男女雇用機会均等法が施行。


性別を理由に雇用・昇進・解雇する事などを法律で禁止します。


これをきっかけに働く女性が増えて人々のライフスタイルは、一変します。


時間的負担より金銭的負担を選ぶように変化。


通勤する女性が地下鉄で帰る時にデパ地下に立ち寄って惣菜を買って帰るという習慣が広まります。


お金がかかっても時間節約のために調理済みの食品を買って帰りたいというニーズが高まります。


そこで、全国のデパートでは食品フロアを拡大して惣菜メニューを充実。


さらに総菜の調理に必要な水道やガス管は地下にありました。




食品加工に必要な調理場を設置しやすいというメリットもありました。


そして1990年代にバブル崩壊が。


元々高級志向だったデパートの高額商品の売り上げが落ち込みます。


そこでデパートが目を付けたのが食品売り場でした。


デパートでは値段的に高級な食品などが取り揃えられています。


しかし、上のフロアの洋服などの商品に比べればまだ手が届きやすい値段。


ちょっと贅沢気分が味わえるデパ地下はバブル崩壊が追い風でさらに発展することに。


2000年に入ると渋谷大手デパートが食品フロアを大改装。


人気スイーツなど食のトレンドを取り入れた新たなデパ地下となります。


これに注目したメディアが一斉にデパ地下を取り上げだして空前のデパ地下ブームに。


現在では、デパートの売り上げの4分の1はデパ地下の食料品になっているとのこと。





結論


というわけで、


「なんでデパ地下は地下にあるの?」は、


「デパートが土足禁止だったから」


でした。




解説してくれたのは


食物販マーケッターの樋口武久さん

1959年東京生まれ。拓殖大学第一高等学校卒業後、株式会社東急百貨店入社。吉祥寺店食料品売場、生鮮食品売場を担当後、全国催物(物産展)を担当し、売上げを4000万円から1億1500万円まで拡大し、催物売上高ナンバーワンを記録。1999年渋谷東横店食料品フロア改装責任者となり、2000年4月に「東急フードショー」をオープンさせ、「事業賞」を受賞する。2003年6月東急百貨店を退職し、同年10月有限会社テイク・アソシエ設立。食物販のマーケッターとして、エキュート大宮、エキュート品川、東急フードショースイーツゾーン、惣菜ゾーンの改装、東横のれん街の改装などに携わる。その他にもさまざまな企業とのプロジェクトに取り組み、講演活動なども行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『デパ地下仕掛け人のお客を喜ばせる現場マーケティング』より
(大学HPより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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