今回は、2020年7月10日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「▽瞳キラキラの秘密▽スワンボート▽殺菌・除菌って?」の番組内容を紹介。
なんで赤ちゃんの瞳はキラキラしているの?
たしかに、赤ちゃんの目って、きらきらしてますね。
でも、なぜ?
なんで赤ちゃんの瞳はキラキラしているの?
本日の1つめ目の話題。
今回も、ゲスト解答者は、リモート出演。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番キラキラ輝いているステキな大人ってだーれ?」
岡村さんからの指名で、かたせさんが回答者に。
きらきらしている目の話題から、赤ちゃんの話題に。
チコちゃん「なんで赤ちゃんの瞳はキラキラしているの?」
かたせさん「水分が多いから。」
正解に至らず、叱られちゃいました。
野々村さんに聞いてみても、正解に至らず。
チコちゃんの答えは、「涙が油っぽく粘りけがあるから。」
涙が油っぽく粘りけがあるから
キラキラしている瞳も正体は涙。
人間の目は常に涙で覆われいます。
涙はまぶたの奥にある涙腺という場所で作られています。
そして、絶えず目の表面を通って鼻腔に向かって流れています。
この時、目の表面に広がった涙に光が当たる事で黒目がキラキラして輝きます。
つまり、涙で目が潤えば潤うほどに光が強く反射するのでよりキラキラ。
大人の涙と赤ちゃんの涙
違うのは、涙の成分。
涙には油層と液層という2つの層があります。
赤ちゃんの涙は油層の油成分が大人よりも多く、乾きにくい。
油層には涙が空気に触れて蒸発するのを防ぐ働きが。
表面を油の膜が覆って液体の層を乾燥から守っています。
この油の層が赤ちゃんの場合は大人よりも多いので蒸発しにくいとのこと。
さらに赤ちゃんの涙には液層にあるねばねば物質(ムチン)が多く含まれています。
ムチンは納豆やオクラなどのねばねばの元となる物質。
糖とたんぱく質の合わさったもの。
これは人の身体の粘膜(胃や腸など)にも多く含まれています。
このムチンが赤ちゃんの涙に多く含まれています。
その粘り気のおかげで涙が流れ落ちるのを防御。
なぜ、赤ちゃんの涙には油成分とムチンが多い?
赤ちゃんはほぼ無菌状態で生まれてくる関係で、免疫力も弱く、細菌への抵抗力が不十分。
そこで、涙の潤いによって細菌などの侵入を防御。
さらに赤ちゃんはまばたきの回数も大人の半分以下。
0歳児で1分間に1回、2歳児になると1分間に6回と増加。
20歳では16回、60歳で22回にどんどんまばたきの回数が増加。
赤ちゃんの頃は目を開けたままの時間が長くなるのでその分を涙の成分で対応しているとのこと。
「
少女漫画の目のキラキラ」を始めたのは?
あの瞳のキラキラを日本で初めて描いた漫画家さんは、高橋真琴さん。
1958年に発表した「あらしをこえて」という作品で一躍人気作家に。
少女の瞳に星を描き入れたイラストを数多く手がけた作家さん。
その影響は、いろいろな作家さんに。
現在は85歳の男性画家。
瞳の星を描いた理由について質問。
高橋さん「バスの中でね綺麗な瞳の少女がいましてね、キラキラ輝いている、そういうのに出くわした事があるんですよ。嬉しかったり、楽しかったり、夢中になるものがある時はキラキラ輝いているなぁという事で、星の形にキラキラ輝くような表現をとるようになったんです。」
そこで、チコちゃんの作画を依頼。
チコちゃんを描いた感想について伺うと、
高橋さん「眉毛やまつ毛の描き方が難しかった。」
一番注目して欲しいのは「人形っぽく仕上げた」という髪の毛とのこと。
結論
というわけで、
「なんで赤ちゃんの瞳はキラキラしているの?」は、
「涙が油っぽく粘りけがあるから」
でした。
解説してくれたのは
大阪大学大学院 高静花准教授
高 静花 KOH SHIZUKA
研究者番号 00570590
所属 (現在)
2020年度: 大阪大学, 医学系研究科, 寄附講座准教授
所属 (過去の研究課題情報に基づく)
2017年度: 大阪大学, 医学系研究科, 寄附講座准教授
2016年度: 大阪大学, 医学系研究科, 助教
2012年度 – 2015年度: 大阪大学, 医学(系)研究科(研究院), 助教
2014年度: 大阪大学, 大学院医学系研究科, 助教
2012年度: 大阪大学, 医学系研究科, 助教
2010年度 – 2011年度: 大阪大学, 医学系研究科, 寄附講座助教
(KAKENより)
大阪大学(おおさかだいがく、英語: Osaka University [1])は、大阪府吹田市山田丘1番1号に本部を置く日本の国立大学である。1931年に設置された。大学の略称は阪大(はんだい)。
大学全体
豊中キャンパスの正門
医学部附属病院
大阪大学は、1931年に大阪帝国大学として設立された、現在では11学部・16研究科を擁する国立文理総合大学である。帝国大学としては比較的新しく、開学当初は医学部と理学部のみで創設された。文理5学部(文学部、法経学部、理学部、医学部、工学部)体制となったのは第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)のことである。
初代総長は物理学者の長岡半太郎である。設立当初から存在する理系学部をはじめとして、様々な領域において重要な役割を担っている。
設立の際に統合した旧大阪医科大学が、1838年(天保9年)に緒方洪庵により設立された適塾の流れを汲むことから、大阪大学は適塾を源流とするとしている。
また、懐徳堂(1724年(享保9年)設立)の蔵書類が戦後、文系学部に提供されたこともあり、私塾・学問所の流れを汲む、「地域に生き世界に伸びる」をモットーとしている。大阪大学は、設立当初は東京をしのぐ大都市であった大阪に、関西財界や府民の熱意ある活動の末、民間の意思と財源により創設された、市民精神の息づく大学である。
かつて大阪大学は、その創設の地である大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であった。1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。
大阪大学の本部事務機構は吹田キャンパスに設置されており、豊中キャンパスには全学共通教育を担当する全学教育推進機構とその講義棟が置かれている。サークル活動は基本的に豊中キャンパスで行われることが多いが、体育会系サークルは、多くのテニスコートがあるために吹田キャンパスで活動を行っていることが多い。
2007年10月1日に言語文化学専攻を言語文化専攻と改称。大学院言語文化研究科言語社会専攻を新設し、箕面キャンパスに世界言語研究センター、外国語学部を設置。国立大学法人で外国語学部を設置しているのは、大阪大学と東京外国語大学のみである[2]。また1学年あたりの学生定員は、国立大学で最多の3245人となった(2位は東京大学で3053人)[2]。
箕面キャンパスは2021年、同じ箕面市内の北大阪急行電鉄箕面船場阪大前駅前に全面移転する予定である。
(Wikipediaより)
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