今回は、2021年10月22日金 チコちゃんに叱られる!「▽猫の模様の不思議▽親指の謎▽カップ麺の秘密」の番組内容を紹介。
なんで親指だけ太いの?
確かに親指だけ、他の指と違って太いですね。
いったいなぜ?
なんで親指だけ太いの?
本日の2つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、指先までケアしているステキな大人ってだーれ?」
岡村さんのご指名で、奈緒さんが回答者に。
チコちゃんは、奈緒さんに、手を前に挙げて気づいたところを言ってもらうようにと指示。
奈緒さんは、中指が長いこと、親指が太いことなど気づいたところを回答。
チコちゃん「なんで親指だけ太いの?」
奈緒さん「親指の役割は何かを押すためなので太くなった。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
ここで、チコちゃんからヒント。
チコちゃん「もし親指が無かったらどんな不具合が起こる?」
尾上さんの口元に正解マーク。
チコちゃん「うーん、つまんねーヤツだな~。」
と正解にたどり着きました。
チコちゃんの答えは、「石を握りしめるため。」
石を握りしめるため
解説は霊長類生態学者の島泰三さん。
「親指はなぜ太いのか」という著書も出版されています。
実は動物の中でこんなに親指が太いのは人間のみ。
人間に近いといわれるチンパンジーでさえ人間とは違って細い。
人間の親指だけが太くなったきっかけは大昔に起こった食糧危機が関係。
生き延びる為に食料を追い求める生活の中で進化がその始まり。
また、この親指の進化によって人間は動物界を支配するに至ったとのこと。
「NHコスペシャル シリーズ親指」
ナビゲーターはジャングルポケット斉藤慎二さん。
およそ440万年前、人類の祖先は森の中で果実や葉っぱなど様々なものを食べて生活していました。
その頃起こった地殻変動によって森が乾燥地帯に激変。
そうなると食料は激減し人類の祖先は食糧危機に直面。
370万年前、アウストラロピテクスの時代
食べ物を求めた人類の祖先は森を出て草原に進出。
新たな地で食料としたのが肉食獣が食べ残した動物の骨。
当時の人類は狩りをする能力が低く、逆に肉食獣に襲われるような弱い存在。
そこで飢えをしのぐ手段として食べ残しの骨の中にある骨髄を食べるように。
しかし「食べ残されている=非常に食べにくい」という意味。
大きくて硬い骨をそのまま食べるのは不可能。
そこで人類が考え出したのが骨を砕いて食べるという方法。
その際に使われたのが石。
草原には石が転がっていたのでそれを活用。
硬い骨を割るためには石を強く握りしめる必要があります。
そして、人間の親指は適した形へと進化。
その進化は化石にも表れています。
石を使用する前後で親指の形が異なっているのが分かります。
人間の手は物を持つ際、人差し指から小指にかけて空間が広がっている構造。
これは下に広がって大きくなる石を持つのに適した形。
それをそのまま下に向かって叩きつければOK.
そうなると親指と他の指でその衝撃に耐える必要が生まれます。
こうして石で骨を砕くという道具を使う事で食料難を乗り切った人類。
さらに幸運なことに骨髄には脳の発達や機能に関わる脂肪酸が豊富に含まれていました。
骨を食べる以前と以後で比べると人類の脳のサイズは2倍以上に。
その後は脳の成長に伴ってさらに高度な道具を作る事に成功した人類。
今から180万年前に草原で狩りを開始。
こうして動物界の支配者となった人類。
そのきっかけは狩りが出来ないという弱点を何とか克服しようとした事から始まりました。
ちなみに人類のように食べ物を求めて進化した動物は他にも沢山存在しています。
アイアイの中指だけが針金のように細長いことが知られています。
これは、ラミーという硬い果実に穴を開けてほじくり、すくってたべるために進化したとのこと。
結論
というわけで、
「なんで親指だけ太いの?」は、
「石を握りしめるため」
でした。
解説してくれたのは
霊長類生態学者の島泰三さん。
島 泰三(しま たいぞう、1946年 – )は、日本の動物学者、類人猿学者。
山口県下関市[1]出身。自身の著書では生家は鮮魚商で、店は彦島にあったと記している[2]。山口県立下関西高等学校を経て東京大学に進学[3]。理学部人類学教室に在籍。学生運動に関わり、1968年の佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争に参加している[4]。1969年の東大安田講堂事件に際しては、学部生の「本郷学生隊長」として参加。逮捕されて懲役2年の判決を受ける[3]。京都大学で理学博士号を取得[3]。
霊長類の研究を専門とし、「房総自然博物館」(野生のニホンザル研究のために千葉県内に設けられた施設)2代目館長や雑誌『にほんざる』編集長などを歴任[3]。2002年以来、NGO日本アイアイ・ファンド代表としてマダガスカル北西部の「アンジアマンギラーナ監視森林」を保護・観察している。アイアイの保護に関する功績によりマダガスカル国第5等勲位シュヴァリエを受けている[5]。
2005年に、参加した学生側の視点から東大紛争を記述した『安田講堂 1968 – 1969』を刊行した。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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