今回は、2021年6月4日金 チコちゃんに叱られる!「▽割り箸の謎▽アイスはなぜバニラ?▽森と林の違い」の番組内容を紹介。
森と林の違いってなに?
あたらめて聞かれると答えられないですね。
何が違う?
森と林の違いってなに?
本日の4つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、自然が好きな爽やかな大人ってだーれ?」
キャンプやアウトドア好きな岡村さんが立候補して回答者に。
問題は視聴者から寄せられたもの。
大阪府のりほんちゃん(5歳+5歳)から。
質問は、「森と林の違いはなに?」
ということで、チコちゃんからの疑問は、「森と林の違いってなに?」
岡村さんは、つい最近山に行くロケを行った際に聞いた気がするとのことで、口元に正解マーク。
チコちゃん「つまんねーヤツだな~。」
岡村さんは、先日、3時間の山の中を車で移動するロケがあり、その間にこの話を聞いたとのころ。
正解を言われてちょっと悔しいチコちゃんからの漢字の問題
問題は、「けが」
3人とも書くことができずに叱られちゃいました。
正解は「怪我」。
チコちゃんの答えは、「自然か人工か」
自然か人工か
解説してくれたのは、東京学芸大学の小泉武栄名誉教授。
まずは、写真を見れて、これが森か林かどちらに見えるか質問。
こちらが林
そして、こちらが森
森と林、それぞれの言葉の成り立ちを理解する事が重要。
【森の語源=盛り】
森とは“盛り”上がった土地に自然に生えた木々の集まりの事。
そもそもは「山」に近い意味で使われていた言葉。
古来の人は森と山を同一のものとして考えていました。
その証拠に山に名づけられた名前で「○森」というものが全国各地に存在しています。
【林の語源=生やす】
林とは人の手で“生やし”た木々の集まりの事。
例えば江戸時代、城や寺院などの建物を建てる為に人々は次々と木を伐採。
その裏では幕府は森林を守るために木々の管理を開始。
こうして管理された木々は「御林(おはやし)」。
計画的な伐採や人工的な植林により人の手で生やす事に。
つまり「自然に生えている森 vs 人の手が加わっている林」。
これが、分かりやすい違い。
先ほど登場した写真をよく見ると
木々の大きさがバラバラで様々な種類が雑多に生えているのは森。
同じ種類の木が規則的に並んでいるのは林。
このように、もともとは、森は自然で、林は人工なもの。
普段から私たちはこの森と林の違いについてかなり曖昧に使用。
この理由は、戦争前後に起きた大規模な森林伐採が影響しています。
昭和の日本では戦争激化。
資材として大量の木材が消費。
戦争後は復興に向けてこれまた木材の需要が高まった時代。
同時期に紙の需要も増えた事で自然のまま残っていた森の伐採が。
人々が目にする山々の光景は計画的に木を植えた人口の林にどんどん置き換わるように変化。
こうして本来の意味で森と呼べる存在自体が身近なものではなくなってしまいました。
そこで、森と林をわざわざ区別しなくても済むように、違いを明確にする考え方も薄れていったとのこと。
実際に現在の林学の世界でも「植物林業百科事典」に、原生林人工林という表記が。
このように、共に「林」を用いた言葉によって自然か人工を区別しているそう。
また現在は東京の原宿に広大に広がる森知勇氏とも言えない明治神宮のような「特殊な環境」も増加。
余計に話がややこしいことに。
明治神宮の木々を管理する林苑担当の松井正さんにインタビュー
実は明治神宮に生えている木々は元々は人工的に植林されたもの。
100年ほど前に遡ると今の明治神宮の位置というのは何の木も生えていない荒地。
そもそも明治神宮とは1912年に崩御なされた明治天皇と昭憲皇太后(1914年崩御)をお祀りする為に建てられた神社。
古来より木々が生い茂る森には神が宿るとされた信仰が。
そこで、森の中に神社を立てる習慣が日本人には根強く残っています。
明治天皇をお祀りする神社ともなれば「そこに生い茂る木々があるべき」という考えから荒地に緑をを誕生させることに。
明治神宮の植林計画について書かれた資料「明治神宮御境内林苑計画」
木を植えてから150年後の木々の予想図も。
また、150年の間、基本的に「人間の手で管理しない」というルールが記されているとの事。
一般的な林では定期的に人の手によって一部の木を切る計画的な伐採。
このようにして林が維持管理。
一方、明治神宮では人の手による手入れは一切してはいけないのが鉄則。
最初に植林する際に様々な木々を計算して配置。
異なる木々同士の生存競争を高めるという工夫をされた後は自然に任せるのが明治神宮。
成長スピードの違う木々が、太陽の光を求め競う合うように成長。
また、競うように成長するのを促すという工夫によって自然にまかせています。
つまり明治神宮のスタートこそは人工的に植えられた木々。
しかし、その後はずっと自然の力によって成長して行っているという意味で「特殊な環境」。
最初は林だったものが今ではもはや森になっている「人工の森」。
本来の言葉の意味からすると特殊な例に。
番組スタッフは、森の中に入ろうとするも、そんな神聖な森に立ち入れるのは明治神宮の関係者の中でもごく一部の限られた人のみ。
以前、NHKの取材で貴重な映像が残っているとのころで、その映像を放送。
最近では明治神宮のように植林する際に色んな種類の植物を一緒に植えるケースも増えているそう。
これによって自然の力に任せて成長していく「人工の森」が増えています。
結論
というわけで、
「森と林の違いってなに?」は、
「自然か人工か」
でした。
解説してくれたのは
東京学芸大学の小泉武栄名誉教授。
小泉 武栄(こいずみ たけえい、1948年(昭和23年)2月21日 – )は、日本の地理学者。東京学芸大学名誉教授。
略歴
長野県下高井郡瑞穂村(現飯山市)生まれ。東京学芸大学教育学部卒。東京教育大学大学院理学研究科修士課程地理学専攻修了。東京大学大学院理学系研究科博士課程地理学専門課程単位取得退学[1]。
1990年に「日本アルプスにおける高山風衝地植物群落の生態地理学的研究 : 地質および斜面発達と植物群落」(小泉 1990)にて東京大学より理学博士を授与される[2]。主要な研究テーマは、高山や極地から山地・丘陵地・河原までの地形・地質と植生分布の関わり、山地や河川の地形、氷河期以来の環境変遷など。日本列島の他、レバノン山脈、シリア、黄河源流とチベット高原、アルプス、ネパール、インド、アラスカ、カナダ北極圏エルズミア島、南極半島、西アフリカなど各地で調査を行う。
環境省中央環境審議会臨時委員、国立公園協会理事、日本自然保護協会評議員、自然保護助成基金評議員、日本ジオパーク委員会委員などを歴任した。現在[いつ?]、朝日カルチャーや川崎市民アカデミーの講師、山遊会の講師等を務める[1]。
(Wikipediaより)
東京学芸大学(とうきょうがくげいだいがく、英語: Tokyo Gakugei University)は、東京都小金井市貫井北町四丁目1番1号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は学芸大、学芸、学大[注 1]。
1949年(昭和24年)にそれまでの東京府立の東京府師範学校や東京府女子師範学校から派生した4つの師範学校(東京第一師範学校・同女子部、東京第二師範学校・同女子部、東京第三師範学校、東京青年師範学校)を母体に統合してできた大学である[注 2]。
全国の教員養成機関は、それまでの「師範学校」(ノーマル・スクール)から米国のリベラル・アーツ・カレッジに倣って大学に昇格したため、それを日本語に訳した「学芸大学」「学芸学部」を名乗っていたが、1966年(昭和41年)の法律の改正[注 3]により、より大学の性格を明瞭化した「教育大学」「教育学部」へと一斉に改称した。しかし、都内には東京教育大学(現:筑波大学)が既に存在していたため、大学名「東京学芸大学」はそのままで、「学芸学部」を「教育学部」に、「学芸専攻科」を「教育専攻科」(1988年(昭和63年)廃止)に変更するにとどまった。
また、同年には大学院教育学研究科(修士課程)が設置された。
1988年に、それまでの幼稚園・小学校・中学校・高等学校などの教員を養成する「教育系」に加えて、教員免許状の取得を必須としない「教養系」(いわゆるゼロ免課程)が発足した。これにより幼・小・中・高の教員だけでなく、多様な方面へも人材を輩出している。
1996年(平成8年)には、本学・埼玉大学・千葉大学・横浜国立大学の教育学部(教育人間科学部)および教育学研究科からなる「東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科」が設置された。これは、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科(兵庫教育大学、上越教育大学、鳴門教育大学、岡山大学)とともに、国内で初めて教員養成系大学・学部に設置された博士課程である。
教育学の実践研究および教育実習を行う機関として、附属幼稚園1園(2園舎)、附属小学校4校、附属中学校3校、附属高等学校1校、附属国際中等教育学校1校、附属特別支援学校1校、合計12の附属学校・園を併設している[1]。
(Wikipediaより)
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