今回は、2021年9月10日金 チコちゃんに叱られる!「▽お弁当はなぜ弁当?▽アカペラってなに?」の番組内容を紹介。
なんでお弁当って「弁当」っていうの?
確かに普段からなにも不思議に思わず使ってますね。
なんで?
なんでお弁当って「弁当」っていうの?
東京オリンピックやパラリンピックなどで久しぶりの放送。
本日の1つめ目の話題。
まずは、ゲスト紹介。
本日のゲストは、初登場の要潤さんと、オリジナルメンバーのアンミカさん。
すぐに一問目へ。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ご飯を美味しそうに食べるステキな大人ってだーれ?」
岡村さんのご指名で、要潤さんが回答者に。
お弁当の話題。
チコちゃん「なんでお弁当って「弁当」っていうの?」
要潤さん「あれじゃないですか?」と正解マーク。
チコちゃん「つまんねーヤツだな~。」「当たっちゃってんのよ。ビックリしちゃった。私も。」
正解されてちょっと悔しいチコちゃんから漢字の問題。
問題は青森県の「ひろさき」。
要潤さんとアンミカさんが正解。
要潤さんは漢字も正解し、完全正解。
岡村さんだけ不正解で叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「弁当」=「便利」だから
「弁当」=「便利」だから
解説してくれたのは、米食文化研究所の八谷中大さん。
日本で最も古い弁当といわれているのが、お米やもち米を蒸して乾燥させた糒(ほしい)。
古墳時代には食べられていたという記録あり。
糒はそのままポリポリと食べるか、水やお湯で戻して食べられていました。
軽くてかさばらず、保存が利くという事で小さな袋などに入れて持ち歩き、どこでも食事が出来るように工夫。
平安時代になると今でいうおにぎりのような「屯食(とんじき)」が登場。
宮中行事が行われる際に下級貴族に振る舞われました。
そして弁当という言葉が文献に初登場するのが12世紀頃の平安~鎌倉時代。
元々の発祥は中国でこれが後々日本に伝わった言葉。
最初の頃は「便当」という文字で、「便利」という意味。
それから時代が進んで安土桃山時代。
「持ち歩く食事や器」という意味で用いられるようになったといわれる「便当」。
貴族や大名などの位の高い人たちはお花見などの行楽の際、食籠(じきろう)と呼ばれる重箱に食事を詰めて出かけました。
その頃に来日していたポルトガルの宣教師が作った日本語辞書(日葡辞書 エヴォラ本)
「Bento」という見出しがあり、その意味は「文具箱に似た一種の箱で引き出しがついており、これに食物を入れて持って行くもの」と記載。
どこでも好きな場所で食べられる便利(便当)なものなので携帯食や器を「便当」と呼ぶように。
しかし、「弁当」の文字に転じたその記録は詳しく残っていないそう。
八谷さん「弁という字には「備える」という意味があるので「事前に調理して備えたもの(弁)を用に当てる」という事で弁当になったのでは?」
江戸時代に入るとお弁当文化は庶民にも波及。
旅人たちが自分のお弁当箱を持って出発し、宿泊先で中身を詰めてもらうという道中弁当。
歌舞伎などのお芝居を観劇する際に幕間で食べる幕の内弁当。
重箱に豪華なおかずが並ぶお花見弁当などなど。
このようにして日本人にとってお弁当は馴染の深いものになりました。
海外の弁当事情
フランスでは日本から伝わったBentoを売るお店が人気。
そのきっかけは日本のアニメや漫画。
小さな仕切りのあるお弁当箱に前菜・メイン・デザートを選んで入れます。
「茶色い手作り弁当」や単品だけの「だけ弁」のホラン千秋さんがスタッフにいじられながらコメント。
フランスのお弁当を見て
千秋さん「映えが詰まってますね。」
台湾などでは東洋医学の考えから温かいお弁当が好まれるそう。
学校にはお弁当専用にヒーターが備えてある所も。
中身は台湾風おこわ=油飯(ヨウファン)など。
インドではお弁当にもカレーなのでおかずを分けて入れられる「ダッバー」。
家庭で朝作られたお弁当はダッバー・ワーラーと呼ばれる配達人が都心のオフィスへ。
大都市ムンバイでは、一日約15万個のお弁当が配達。
宗教上の理由などで同じベジタリアンでも食べられる食材が微妙に異なる事もあるので、それぞれの家庭で作られたお弁当が重宝とのこと。
結論
というわけで、
「なんでお弁当って「弁当」っていうの?」は、
「弁当」=「便利」だから
でした。
補足
八谷さんによるとお弁当という言葉の由来には一人前の食事を入れる「曲げ物」の容器=面桶(めんつう)から転じて、「めんつう→めんとう→べんとう」と変化して行ったという説も。
解説してくれたのは
米食文化研究所の八谷中大さん
米食文化研究所
日本の食文化を総合的に研究します
日本には“瑞穂の国”という美称があります。
みずみずしい稲穂が垂れる国という意味で、日本は四季折々の野と山の幸、海の幸にも恵まれてきました。この新鮮で多彩な食材に日本人の繊細な知恵が加えられ、我が国独自の料理と様式が生まれました。これが日本の食文化です。すなわち、食材、調理法と調味料、調理器具、食器、盛り付けと配膳、食事作法、それにおもてなしの気配りなど、日本の食文化は、心と物の総和で成り立っています。“Plenus 米食文化研究所”は、このような「美しい日本の食文化」を総合的に研究することを目的として設立されました。
日本の食文化は、歴史を辿れば、古代には中国の影響から始まります。
唐風から、やがて優雅さを具えた国風に独自化され、その後も多様に磨かれていき、明治維新の文明開化ではこれに洋風が導入され、現在の日本食に発展していきます。明治19年(1886年)、この東京日本橋茅場町の地に、株式会社プレナス現社長・塩井辰男の曾祖父、塩井民次郎による西洋料理店「彌生軒」が誕生しました。それまでの伝統的な日本文化をもとに、近代西洋文化を旺盛に取入れたことは、現在の日本食を形作っただけでなく、広く海外に受け入れられる食文化の素地を築くことにもなりました。
現在も変わらない価値や日本人の知恵を過去の歴史から学ぶこと、そして現在の食を見つめ、日本を起点とする食文化の未来を築いていくこと。私たちは日本の食への総合文化的な視点をもちながら、日本から世界に届ける食文化の礎となるものを築いてまいります。
(HPより)
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