今回は、2019年5月3日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
なんで雲は落ちてこないの?
たしかに、雲はぷかぷか浮かんでいますね。
どうして、落ちてこないのかな?
なんで雲は落ちてこないの?
本日の6問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で、夏の空が似合うステキな大人ってだーれ?」
NHK連続小説「なつぞら」の主役の広瀬さんが回答者に。
夏の空に浮かんでいるものって何?って話題から、雲の話題へ。
チコちゃん「なんで雲は落ちてこないの?なんで?」
広瀬さん「ピヨピヨ音」
口には正解マークが!
チコちゃん「ちょっと待って!つまんねーヤツだな~!」
広瀬さん、なんと正解!
その後、街頭インタビューでも正解なし。
チコちゃんの答えは、「落ちたくても落ちられないから」
落ちたくても落ちられないから
雲を形作る雲の粒は落ちようとしています。
しかし、上昇気流で持ち上げられるので落ちたくても落ちられない。
雲はどのようにできる?
地上の水が太陽の光で温められると水は蒸発して水蒸気に。
しかし、それだけでは雲にはなりません。
もう一つ「ちり」が必要。
ちりと水蒸気が一緒に上へと向かう空気の流れ(上昇気流)に乗って上空に。
ちりを中心に水蒸気がくっ付いて水・氷の粒に変化。
この粒がたくさん集まる事で雲が形成。
なぜ雨が降るのか?
その仕組みには色々あります。
主なものとして、下記があります。
水や氷、チリの塊が上空へ上空の冷たい空気で冷やされます。
そのほとんどが氷の粒に変化した際に、徐々に水蒸気がくっつきます。
大きく成長する事で重くなって雲内を落下。
その過程でさらに水蒸気がくっついて雪の結晶に変化。
雲の下の方は気温が高いので雪の結晶は溶けて雨粒に変化。
地上まで落ちて来て雨に。
つまり地上で降っている雨は元々は雪。
これは温度が低い冷たい雲で起こる現象。
地上付近の気温が低くなる時期は雪の結晶が溶ける事無く雪のまま地上へ。
雨や雪は落ちてくるのになぜ雲は落ちてこない?
地球では重力の影響を受けるので雲の粒にも下に落ちる力が働きます。
雲の中の雲の粒は直径約0.02mmでとても軽い。
また、空気抵抗を受けてしまうので雲粒の落下速度は秒速約1cmという低速度。
雨・雪・雲で落下速度を比較
雨粒(直径2mmの一般的な雨)の落下速度は、秒速約6m = 時速約22km
これはマラソン選手よりもちょっと速いくらいのスピード。
雪の落下速度は時速約4km
これは人の歩行速度と同じぐらい。
雲の粒の落下速度は時速約0.036kmと圧倒的に遅い。
それでも雲が落ちてこないのは、雲が上昇気流がある所に出来るという性質を持っているから。
ちりと水蒸気が上昇気流に乗って空に上がる事で雲が出来るから。
雲粒の落ちる速度よりも上昇気流のスピードの方が速い。
だから、雲は落ちたくても持ち上げられて落ちれない。
結論
というわけで、
「なんで雲は落ちてこないの?」は、
「落ちたくても落ちられないから」
でした。
解説してくれたのは
東海大学で雲の研究をされている中島孝教授。
中島孝教授
中島孝研究室
身分:
教授(専任)
学位:
博士(理学)(東京大学)
資格:
博士課程指導資格(D丸合)、修士課程指導資格(M丸合)
経歴:
1988年~1992年 東京理科大学 理学部第1部物理学科 (学士)
1992年~1994年 東京大学 大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻(修士)
1994年~2005年 宇宙航空研究開発機構(JAXA)(前 宇宙開発事業団)研究系職員
2005年 東海大学 情報デザイン工学部情報システム学科 准教授(専任)
2012年 同 教授(専任)
2013年 東海大学 情報理工学部情報科学科教授(専任)
(2002年) 東京大学より博士(理学)を授与 (博士)
(2004年~2007年) 千葉大学環境リモートセンシング研究センター 客員助教授(兼任)
(2005年〜2011年) 国立環境研究所客員研究員(兼任)
(2008年~2009年) コロラド州立大学大気科学科訪問研究員(兼任)
(2018年~) 東京理科大学 研究推進機構 客員教授(兼任)
(大学HPより)
東海大学(とうかいだいがく、英語: Tokai University、公用語表記: 東海大学)は、東京都渋谷区富ヶ谷2丁目28番4号に本部を置く日本の私立大学である。1946年に設置された。大学の略称は東海(とうかい)、東海大(とうかいだい)。
東海大学は、1942年に財団法人国防理工学園として創立。翌年の1943年には、国防理工科大学の設立構想の一環として、旧・専門学校令により、東海大学の前身である航空科学専門学校を開設させた。電波科学専門学校との合併を経て、東海科学専門学校となり、第二次世界大戦後の1946年に旧・大学令によって、旧制東海大学に昇格した。そして、1950年に学制改革に伴い、新制東海大学となった。
創立者は、逓信省(現・総務省)工務局長で、後に逓信院の総裁となる工学博士・松前重義。松前重義は、「戦後資源の乏しい日本の発展には、科学技術の開発と平和利用が必要だ」と述べている。東海大学は、創立者の精神を受け継ぎ、明日の歴史を担う強い使命感と豊かな人間性をもった人材を育てることにより、「調和のとれた文明社会を建設することのできる人材を育成する」という理想を高く掲げている。
東海大学は、当初、静岡県静岡市清水区三保に本部を、東京都内に分校を設置していた。しかし、戦後の劣悪な社会的・経済的・思想的な混乱により、一時は、学園閉鎖の危機に瀕してしまう。そして、東京都の学校法人名教学園との合併を契機に、東京都渋谷区富ヶ谷に本部を置く大学となった経緯を持つ。2008年の4月には、同一学校法人であった北海道東海大学・九州東海大学と、高輪キャンパスの東海大学短期大学部を改組・再編して、東海大学本体に統合させた。
全国にキャンパスを展開しており、日本有数の総合大学である。
2018年度の志願者数は52,022人で日本の私立大学[1]の中で第15位である。
(Wikipediaより)
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