NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

チコちゃんクイズ

なんで浴槽の事を湯船っていうの?→湯船という船があったから。江戸は海運都市で郊外の人は銭湯がなく湯船でお風呂に入っていたことから。

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今回は、2020年2月14日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽大根おろしの不思議▽お風呂と湯船▽エスカレーターの謎の番組内容を紹介。


なんで浴槽の事を湯船っていうの?






確かに浴槽を湯船って言いますね。


形が船みたいだから?






なんで浴槽の事を湯船っていうの?


本日の2問目。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お風呂にゆっくり入れないくらい毎日忙しい大人ってだーれ?」


今回は岡村さんが立候補して回答者に。


岡村さん「大河の件も色々あるんで、、」


チコちゃん「なんで浴槽の事を湯船っていうの?」


岡村さん「船乗りが船上でお風呂に浸かるためにそういった設備が作られていたから。」


チコちゃん「船乗り用のやつなの?」


岡村さん「いや!そうとは限りません!」


チコちゃん「ひとまず言わせてください。ボーっと生きてんじゃねーよ!」


惜しかったようですが、不正解。


銭湯でインタビューしても正解なし。


チコちゃんの答えは、「湯船という船があったから。」


岡村「そういう意味やったけどねぇ。」



湯船という船があったから


江戸時代には船に浴槽を造って、岸や川沿いで移動するお風呂屋の商売があったとのこと。


「湯を積んだ船」で湯船。


当時の湯船は、残念ながら現存なし。


江戸時代の船の図鑑である和漢船用集にはイラストが。





船の全長はおよそ10m。


船の中央に小屋が立てられていて、小屋からは湯気が。


小さな扉から人が出入りする姿も。




町田先生は様々な資料を基に湯船のジオラマを作成。





小屋の横には湯船の店主が薪をくべています。





着岸し、サービスを開始する時の合図に使うほら貝も。





小屋の内部は浴槽と洗い場に区切られていました。


限られたスペースという事もあって混浴。





男女が一緒に入っています。



なぜこんな湯船という商売が成り立っていた?


江戸時代初期には水道の整備はまだまだ不十分。


自宅に内風呂があるのは上級武士の特権階級のみ。


当時の庶民のお風呂と言えば銭湯。


最初に登場したのが戸棚風呂と呼ばれるお風呂屋さん。





これは現在のサウナのように蒸気を使った蒸し風呂。


しかし、この戸棚風呂は沢山の人が一度に入れません。


そこで、現在の銭湯に近い浴槽と洗い場に分けられた銭湯に。





これらの銭湯は人の集まる町の中心部に作られていました。





郊外に住む人にとっては距離的に通うのが困難。


そこで、作られたのが湯船。


当時の江戸は地方から海産物や木材を積んだ船が行き来する為に運河や水路が発達。






この発達した水路を使うことで湯船の商売は成立。


江戸時代最盛期、町中に570軒ほどの銭湯があり、湯船はおそらく100軒ほどと推定。


料金は普通の銭湯が8文(現在の160円ほど)に対し、湯船は4文(現在の80円ほど)と格安。


この値段の安さも庶民に多く利用された理由。


川の水を汲んでお湯にすることで、設備投資としては陸の銭湯に比べて安上がり。





そのため、安い値段でサービスを提供できたとのこと。


郊外に住む人たちにとってはお風呂といえば湯船のこと。


このようにして、次第に浴槽を湯船と表現することがひろがったとのこと。




結論


というわけで、


「なんで浴槽の事を湯船っていうの?」は、


「湯船という船があったから」


でした。
 



解説してくれたのは


庶民文化研究家の町田忍さん。


町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 – )は、庶民文化研究所所長、NPO法人知識の杜評議委員[1]、エッセイスト、コメンテーター、写真家。(社)日本銭湯文化協会理事。ノベルティミュージアム(2011年3月閉館)副館長、浅草庶民文化資料館・三十坪の秘密基地(2019年1月閉館)名誉館長、

台場一丁目商店街(デックス東京ビーチ)特別顧問。[要出典]

庶民文化研究家と名乗る事があるが、これは町田自身が作った造語だとインタビューで語っている[2]。

来歴
東京都目黒区出身。目黒区立碑小学校、目黒区立第九中学校、和光高等学校、和光大学人文学部芸術学科卒業。

大学卒業後、警視庁麹町警察署に勤務。「警視総監賞を受賞した」と語ることがあるが、実際に受賞しているのは警視庁職員美術展の銅賞であり、これはいわゆる警視総監表彰にはあたらない[3]。警察官を退職後、少年時代より収集し続けている商品や各種パッケージなどの風俗意匠を研究するために「庶民文化研究所」を設立。

30年以上かけて全国の銭湯を約3200か所訪ね歩き、庶民の記録として写真に収める。

人物
収集癖があり納豆のラベル、蚊取り線香、ごきぶりホイホイなどの粘着式ゴキブリ駆除用品、バナナのシール、街頭で配られているポケットティッシュ、チョコレートのラベル、甘栗の袋、牛乳瓶の蓋(紙栓)、カップラーメンの蓋など100種類以上のジャンルをコレクションしている。また、ドラマや映画などの時代考証も手がけている。[要出典]
銭湯好きであり、それに関する本やコラムも執筆している。銭湯を個人的に調査・研究しており、「銭湯学」を提唱している。
狛犬や富士塚、おみくじの販売機なども研究の対象としている。
著書
『銭湯へ行こう』(TOTO出版)-1992
『銭湯へ行こう・旅情編 10年1089軒行脚の記録【カラー版】』(TOTO出版)-1993/9
『マッカーサーと征露丸 -ニッポン伝統薬ものがたり-』町田忍コレクション vol.1(芸文社)-1997
『Z級食べ物ラベル図鑑』(洋泉社)-1997
『納豆大全!』(小学館)-1997 『納豆大全 -愛すべき伝統食品の謎を解く』角川文庫)-2002
『絶滅危惧浪慢 町田忍博物館』(エージー出版)-1998
『昭和浪漫図鑑 -私が原っぱの少年だったころ-』(WEVE出版)-1998 『昭和なつかし図鑑 -私が原っぱの少年だったころ』講談社文庫-2007
『路上ポップ・ドールのひみつ』(扶桑社)-1998
『ザ・チョコレート大博覧会』(扶桑社)-2000
『散歩のすすめ ウの目タカの目マチダの眼』(JTBパブリッシング)-2000/9
『痛快「捨てない!」技術』(岳陽舎)-2001
『ぶらり散策 懐かしの昭和 -消えゆく昭和の建物をたずねて-』(扶桑社)-2001 『懐かしの町 散歩術』ちくま文庫-2004
『蚊遣り豚の謎 -近代日本殺虫史考-』(新潮社)ラッコブックス-2001
『貧しくても元気だった 懐かしの昭和30年代』(扶桑社)-2002/12
『懐かしの家庭薬大全』(角川書店)-2003
『懐かし新聞広告批評 -明治-大正・昭和の素晴らしいムダ知識-』(扶桑社)-2004/3
『暮らしのパッケージデザイン -お菓子・食料品・日用品-』(エムディエヌコーポレーション)-2004/7
『銭湯の謎』(ソニーマガジンズ)-2004
『昭和レトロ商店街 -ロングセラー商品たちの知られざるヒストリー-』(早川書房)-2006
『昭和レトロ博物館』(角川学芸出版)-2006
『銭湯遺産』写真・文(戎光祥出版)-2007
『帰ってきた!昭和レトロ商店街』(早川書房)-2008
『東京ディープ散歩』(アスペクト)-2008 『東京ディープぶら散歩』アスペクト文庫
『ザ・東京銭湯』(戎光祥出版)-2009
『最後の銭湯絵師 三十年の足跡を追う』(草隆社)-2013
『戦後新聞広告図鑑 戦後が見える、昭和が見える』(東海教育研究所)-2015
『銭湯 「浮世の垢」も落とす庶民の社交場』ミネルヴァ書房 シリーズ・ニッポン再発見 2016
(Wikipediaより)




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