今回は、2020年11月20日金 チコちゃんに叱られる!「▽レモンティーの色の謎▽ビニール傘誕生秘話▽祝!新曲お披露目」の番組内容を紹介。
ビニール傘ってなに?
確かに、みんな知っているビニール傘、これってどんなきっかけできたんだろう?
ビニール傘ってなに?
本日の2め目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、急に雨が降って来ても慌てないステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、莉子さんが回答者に。
チコちゃん「傘を持ってないときに、突然、雨が降ってきたらどうする?」
莉子さん「傘を買います。」
チコちゃん「ビニール傘ね、ところで、ビニール傘ってなに?」
莉子さん「ビニールでできた傘」
チコちゃんの質問は、「ビニール傘が作られることになったそのきっかけ」について。
莉子さん「透明なので前が見えやすい、結局、必要だった。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
奥田さんにも聞いてみると、
奥田さん「ビニール会社が張り切ったからじゃないですか?」
応援でビニール傘を使うヤクルトスワローズからマスコットのつば九郎がリモート登場。
つば九郎「そめのすけそめたろうのこどうぐ!」
不正解。
チコちゃんの答えは、「もともと傘用のカバー」
もともと傘用のカバー
解説してくれたのは、創業300年の歴史を持つビニール傘メーカーの10代目社長、須藤宰さん。
ビニール傘を日本で初めて考案したのは先代の須藤三男さん。
傘用のカバーとして作ったのがそのきっかけ。
須藤三男さんは戦時にシベリアに抑留になりました。
日本に引き揚げてきたのは昭和24年と終戦から4年ほど経って出遅れて戻って来ました。
そこで、一般の傘屋さんが扱っていないモノを発明しないとと考えます。
その出遅れを挽回するために、思い付いたのが傘用のビニールカバー。
チコジェクトX 「ビニールの向こうに未来が見えた ~ビニール傘誕生物語~」
今や、日本だけではなくイギリスのエリザベス女王も愛用するビニール傘。
その誕生は東京オリンピックの年、1946年。
舞台は昭和24年の東京。
戦争から戻って来た須藤三男さんが頼りにしたのは元々住み込みで働いていた傘屋さん。
江戸時代に幕府御用を許されて、大名行列の雨具一式も納入していたという実績もある老舗の武田長五郎商店。
そんな老舗は倒産寸前の危機に。
終戦から4年も経っていたので同業者が先に材料を確保してしまい、傘を作ろうにも作れない状態。
それでも戦争を生き抜いたという自信から、逆境には慣れていた三男さん。
傘屋当主の娘、有子(ともこ)さんと結婚し、いよいよ会社の行く末を託されることに。
そこで三男さんが目を付けたのが綿で出来た傘の弱点。
当時、使われていたのは、綿の傘
雨に濡れると水漏れや色落ちが起こりやすい。
この弱点克服の為に様々な材料を検討した挙句、闇市で目にしたのが進駐軍が使っていたビニール製のテーブルクロス。
シベリア抑留中にも目にしたビニールのテーブルクロスは飲み物がかかっても濡れず、これは傘にピッタリ。
そして、ビニールに穴をあけて布の傘の上から被せてみるという傘用カバーのアイディアにたどり着く事に。
傘を収納するケースではなく、あくまでカバー。
1951年に完成した傘カバーは販売順調。
新聞にも取り上げられて傾きかけたお店も復活。
ところが強力なライバルが出現。
それが化学繊維のナイロンで出来た傘。
ナイロン製の傘はそれまでの綿の傘の弱点を克服していたので、ビニール製のカバーなど不要。
これがきっかけで傘カバーの販売は右肩下がりの状態に。
それでもビニールと一蓮托生の三男さんはナイロンには目もくれず、ビニールを使った新しい商品の開発に挑むことに。
たどり着いたのはとてもシンプルなモノでそれがビニール製の傘。
持ち上がった問題はビニール同士をくっ付ける方法。
縫ってしまうと穴があくので水漏れの原因になりますし、当時はビニール同士を接着する接着剤も無い時代。
苦しむ三男さんが発見したのがアメリカで使われていたある技術。
高周波ウェルダー加工高周波で分子を震わせて、発生した熱によってビニール同士が溶けて接着されるという革新的なこの技術。
専用の機械(ウェルダーミシン)が必要な高周波ウェルダー加工。
三男さんは、なんと、ウェルダーミシンを自ら開発。
そして1958年にビニール傘が完成。
これで大成功のはずでしたが、ナイロン傘が広まった世の中的にビニール傘の存在は「邪道」という風潮に。
傘売り場に置いてもらえず、知名度も全く上がらず日陰の存在に。
これでもめげない三男さんは傘屋ではなく、服を売る洋品店に一軒一軒営業をかけ、何とかビニール傘を置いてもらうように依頼営業。
そうしているうちにやって来たのは1964年の東京オリンピック。
かかってきたのは一本の電話、「ニューヨークでビニール傘を売りたい。」
オリンピックを観に来ていたアメリカの傘小売業者社長が銀座の洋品店でビニール傘を見かけたことで商談に発展。
寒い日にすっぽりかぶっても前が見えて安全という点が注目されると、ニューヨークで「バードケージ(鳥かご)」というネーミングで売り出されて、大ヒット。
オリンピックから数年が経つ頃には「銀座で透明でオシャレな傘が売られている」という噂が。
テレビや雑誌でその事が取り上げられると、あっという間に日本中に広まります。
候補者の顔が見えるからという理由で選挙活動にも利用されるように。
そんなビニール傘の生みの親である須藤三男さんは94歳で既に他界。
最後に開発していたのは布に見立てたビニール傘。
見た目も手触りも布に近づけるというその執念は「そこまで似せるなら布でいいのでは?」という周囲の疑問をも黙らせるもの。
しかし、この傘は、
ナレーション「売れなかった。」
さらに魚を獲るビニール製の罠の開発も。
中に魚が溜まるからネーミングが「為五郎」。
しかし、これも、
ナレーション「売れなかった。」
それでもいまでは、ビニール傘は今や日本の雨傘の定番に!
結論
というわけで、
「ビニール傘ってなに?」は、
「もともと傘用のカバー」
でした。
塚原アナから補足
ビニール傘の発祥については諸説あります。
ビニール傘はもともとは「ポリ塩化ビニル」で作られていたのでビニール傘と呼ばれたのですが、現在ではポリエチレンやポリプロピレンなどのオレフィン系樹脂が使われています。
チコちゃん「オレオレ系女子?」
塚原アナ「オレフィン系樹脂。初めて言いました。」
ちなみにビニール傘の開発者である三男さんは、シベリア抑留中にロシア語が堪能になったため、NHKのロシア語講座に出演経験があったとのこと。
岡村「ビニール傘を作ってる事は伏せながらやってはったんですかね?」
解説してくれたのは
創業300年の歴史を持つビニール傘メーカー、ホワイトローズ株式会社10代目社長、須藤宰さん。
ホワイトローズ株式会社
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。