今回は、2021年3月12日金 チコちゃんに叱られる!「▽鬼ってなに▽ジャンプのK点とは▽ハムスターの謎」の番組内容を紹介。
鬼ってなに?
あらためて聞かれると、答えられないですねぇ。
なんなんだろう?
鬼ってなに?
本日の1つめ目の話題。
久しぶりのレギュラー放送。
チコちゃんの「こんチコは~。」で始まります。
ゲスト紹介。
最初は、秦基博さん。
チコちゃんファンとのこと。
そして、2回目で準レギュラー、指原莉乃さん。
さっそく、1問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、アニメや漫画に詳しいステキな大人ってだーれ?」
漫画好きで、7000冊をもっているという秦基博さんが回答者に。
チコちゃんは、最近はやった漫画「鬼滅の刃」の話題。
チコちゃん「鬼ってなに?」
秦さん「大きくて、怖いもの。」
最終的には、鬼は大きい人だったという答え。
正解に至らず、叱られちゃいました。
指原さんにきいてみると、
指原さん「鬼は、天狗はだった」という回答。
岡村さんは、「悪いことをした死者の方」という回答。
ここで、鬼ということで、鬼滅ファンの椿鬼奴さんにインタビュー。
椿さん「鬼の正体ですか?答えてもいいんですか?」
といって、口元に正解マークが。
出張用チコちゃん「つまんねーヤツだな~。」
チコちゃんの答えは、「目に見えないなにか」
目に見えないなにか
解説してくれたのは、佛教大学教授で世界鬼学会会長の八木透教授。
日本では古くから「目に見えないモノ=隠(おん)」と表現。
これは畏怖の対象。
今から1000年以上前、まだ科学的知識が普及していない時代。
雷や洪水といった天変地異や疫病などは全てひっくるめて隠の仕業。
一方で「鬼(き)」という漢字は元々、死者の魂や霊魂。
目に見えないモノを意味する文字。
そして時代が経るにつれて「おん」が「おに」に変化。
そして意味が近かった鬼に「おに」という読み方が。
これが日本における鬼の成り立ち。
平安時代中期に作られた辞書である和名類聚抄。
「鬼はおんが訛った言葉である」と記載。
すなわち、鬼とは疫病や災害そのものやそれらを起こす得体の知れないもの。
この鬼の概念にも時代の経過とともに変化が
鎌倉時代に入ると本来目に見えないものである鬼に形が。
それを描いた絵が多く見られるように。
鎌倉時代に描かれた書物には疫病に苦しむ人々の家に鬼が。
これはもともと目に見えない疫病の原因に形を与え、相手を明確にして闘争心をかき立てるための手段だったとのこと。
しかし、この当時の鬼には、角がありまえん。
この時代には角のない鬼が多く、いま私たちが想像する鬼の姿とはややイメージが異なります。
実際に室町時代の絵巻である百鬼夜行絵巻。
さまざまな、角のない鬼が記載。
鬼と言うよりも妖怪に近いイメージ。
元々鬼は妖怪に近い存在も指していた言葉だったとのこと。
後に室町時代後半や江戸時代にかけて人型で角の生えた姿=鬼という認識が広まったっていったそう。
その理由は、室町時代に発展した能などの伝統芸能が大きく影響。
その鍵となるのが能に用いられる般若の面。
そもそも般若の面とは強い怒りや嫉妬で鬼になった女性を表す為に使用。
当時は女性が鬼に変化してしまうというストーリーの物語が多く誕生。
演じられる際には般若の面を付けて演じられていました。
そこで、鬼は般若のような姿と強く結びついて行ったそう。
そして、現在の鬼のイメージが定着しました。
鬼奴さんに、世界の鬼友達を紹介
ちなみに鬼に近い存在は世界中にも存在。
先生が紹介。
インドネシア バリ島
チュルルック
ネパール
ラケー
ヨーロッパ各地
クランプスなどなど。
こちらは、悪いことをした人をしかる、日本でのなまはげのような存在。
このように、世界各地で様々な鬼が存在しています。
結論
というわけで、
「鬼ってなに?」は、
「目に見えないなにか」
でした。
解説してくれたのは
民俗学研究者で佛教大学教授、さらに世界鬼学会会長も務めている八木透教授。
八木 透 YAGI Toru
専門分野
民俗学
家族史
学生へのメッセージ
私の研究テーマの第一は、日本と東北アジア各地の夫婦や親子関係の特質を探りながら、児童虐待やDVなどの背景とその解決の糸口を民俗学から考えることです。第二は、日本の民俗行事や民俗芸能の地域的特質を探りながら、近年における変化の構造について考えることです。日本人特有の気質や人間関係について知るために、積極的に国外でのフィールドワークも行っています。
研究課題
日本と東北アジア地域の家族と通過儀礼をめぐる民俗学研究
日本の民俗行事や民俗芸能の現状と変化の構造を探る研究
日本のまつりと祭祀組織の構造を探る研究
略歴
同志社大学文学部卒業
佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了
学位
博士(文学 佛教大学)
(大学HPより)
佛教大学(ぶっきょうだいがく、英語: Bukkyo University)は、京都府京都市北区紫野北花ノ坊町96に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は英略 BU、佛大(ぶつだい)、佛教大(ぶっきょうだい)。
概要
名称の通り仏教を建学の理念としている大学で、学則の第1条に「仏教精神により人格見識高邁にして活動力がある人物の育成を目的とし、世界文化の向上人類福祉の増進に貢献することを使命とする」と明記されている。元々が僧侶養成の機関であるため、全学科で浄土宗教師と浄土宗開教使の資格が取得可能である。なお、かつては仏教学を学ぶ学科として文学部に仏教学科があったが、2004年度の学科再編に伴い史学科および日本語日本文学科と統合されて人文学科となった。しかし、2010年4月に人文学科を割り振って仏教学部仏教学科を再新設し、学科内に浄土・仏教コース、仏教文化コースを設置した。学部や学科の名称から「仏教」の文字を外す傾向があるなかで、「仏教研究の核になる大学」を目指すとしている。また、同時期に新設した歴史学部は佛教大学のみに設置されており、日本初となる学部である。
設立の経緯
「佛教大学建学之地」の碑。後方は知恩院三門
江戸時代初期に浄土宗が江戸で定めた関東十八檀林の流れを汲んで明治元年(1868年)に知恩院山内に設けた仏教講究の機関 (同3年に勧学所となる) が前身である。この年を創基としており、知恩院三門前に「建学の碑」がある。その後、教学の振興と僧侶の育成を担う浄土宗の高等教育機関として発展を遂げ、学制の改革による統合・独立によって何度か校名を変更し、専門学校令による高等学院が1912年(大正元年)に設置されたことをもって創立としている。1913年(大正2年)に佛教専門学校(略称は、佛専(ぶっせん))。と改称、1949年(昭和24年)に新学制により佛教大学に昇格した。
なお、1922年以前に「仏教大学」と称していたのは現在の龍谷大学であり、当大学とは無関係である。
建学の理念
建学の理念は「仏教精神」となっている。
教育および研究
昇格当初は仏教学部仏教学科のみの単科大学から始まったが、その後学部・学科を増やし、2020年(令和2年)現在では7学部14学科と4研究科7専攻の大学院を擁する総合大学となっている(理科系では、保健医療技術学部を設けている)。また、1953年(昭和28年)には関西唯一・仏教系大学唯一の正規課程である通信教育課程を開設。現在、6学部10学科4研究科7専攻で約2万名が受講しており、私立大学の通信教育課程としては全国有数の規模を誇っている。大学通信教育の中では取得可能な教員免許・資格が多く(詳細はこちらを参照)、「課程本科」と呼ばれる大学等を卒業した人が教員免許・資格の取得に必要な科目を履修する課程もあるほか、通信教育で唯一、宗教科教員免許の取得が可能である。
(Wikipediaより)
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