今回は、2019年10月11日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」チコちゃんに叱られる!▽近畿と関西なにが違う?・水が透明なのは?・メロンほか のお話。
なんで水は透明なの?
確かに、水は透明ですよね。
どの光も吸収しないから?
なんで水は透明なの?
本日の4問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番透明感のあるステキな大人ってだーれ?」
岡村さん「いきますか?キヨっさんで。」
謙遜する氷川きよしさん。
モモコさん「こん中でやったらあると思うよ」
というわけで、氷川さんが回答者に。
チコちゃん「水の色は何色?」
氷川さん「透明。」
チコちゃん「なんで水は透明なの?」
氷川さん「なにも入っていないから。」
氷川さん「味とかパウダーとか、、」
正解にいたらず、叱られちゃいました。
街頭インタビューでも正解なし。
チコちゃんの答えは、「水は透明ではなく、青い」
岡村さん「青ないけどねぇ、、エライこっちゃ。」
モモコさん「青はないよね。」
水は透明ではなく、青い
解説してくれたのは、慶應義塾大学の藪下聡教授。
まずは色が見える仕組みについて
光の色と言われて多くの人がイメージするのが「光=白」。
あの白色は多くの色が混ざって出来たもの。
様々な色の成分が均一に混ざる事で白く見えます。
我々の身の回りにあるほとんどの物がこの白い光から特定の色の成分を吸収する性質を持っています。
私たちが見ている色とは物体が浴びた太陽光の中から吸収されなかったものが見えています。
リンゴを例にすると、
光源から出た白い光がまずリンゴに当たります。
リンゴはこの白い光から青や緑の成分を吸収する性質があるため残った光は赤の成分が強くなります。
そして、私たちの目にリンゴは赤く見えます。
物体が、どの色の光をどの程度吸収するかはいろいろ。
例えば緑の葉っぱの場合は赤や青の光を吸収する性質を持っているので、残った緑の光が目に届いて葉っぱは緑色。
この色の引き算こそが色が見える仕組み。
では水は何色の光を吸収している?
水は目に見える光を吸収する性質が非常に弱い。
これが多くの人が「水=透明」と感じる原因。
光源から出た白い光は水に当たってもほとんど色の成分が吸収されないのでほぼ白い光のまま人間の目に。
となるとやっぱり水=透明。
しかし、「性質が非常に弱い」「ほとんど色の成分が吸収されない」とのこと。
全くゼロではなく、水にはわずかに赤い光を吸収する性質があります。
赤い光を吸収すると、薄い青色。
という事は水は透明ではなく、わずかに青い。
ですがやっぱり水はどう考えても透明?
これには液体である水の量が関係しています。
奥行90cmの大きな水槽に青色の水を用意。
そしてこの水槽からコップ一杯分の水をすくい、水槽の横に並べてみます。
水槽の水に比べてコップの水は色が薄く見えます。
これはコップ(直径6cm)に比べて15倍の距離を水の中を光が進みます。
赤色の成分がより多く吸収されて青色がよりはっきり見えました。
これと同じ事が自然界でも起こっています。
コップ一杯では透明にしか見えない水は、大量の水がある海になるとよくわかります。
浅瀬では水は透明に見えるのに、沖合に行けば行くほどに水の量が増えて青く見えることからわかるとのこと。
結論
というわけで、
「なんで水は透明なの?」は、
「水は透明ではなく、青い」
でした。
解説してくれたのは
慶應義塾大学の藪下聡教授
理論化学研究室 教授 藪下 聡Satoshi Yabushita
yabusita@chem.keio.ac.jp
学位 工学博士
主な学部担当科目
量子化学基礎/物理化学第1/物理化学演習第1/化学実験第1/物理化学第3/物理化学演習第2/生物量子化学 /化学A
所属専攻・専修 基礎理工学専攻・分子化学専修
研究分野キーワード
量子化学/相対論効果/スピン軌道相互作用/光分解反応/共鳴状態
研究紹介
重原子を含む分子の量子化学研究のために、相対論効果を効率良く含むスピン軌道配置間相互作用法の開発を行い、さらに光反応における非断熱過程や量子干渉効果の研究に応用しています。共鳴状態の研究のために複素座標法に基づく計算方法を開発し、特に光イオン化断面積の定量的計算を目指しています。また分子振動の高次倍音吸収強度や、希土類錯体の電気的・磁気的物性を理論的に研究しています。
(大学HPより)
慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく、英語: Keio University)は、東京都港区三田二丁目15番45号に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は慶應(けいおう)、慶大(けいだい)。
慶應義塾大学は、中津藩士の福澤諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区明石町)の中津藩中屋敷内に安政5年(1858年)冬に開校した蘭学塾を起源に持つ大学である[1][2][注釈 1]。慶應4年/明治元年(1868年)に木村摂津守の世話により、芝新銭座(現在の港区浜松町)の有馬家控屋敷跡に移転し、年号をとって「慶應義塾」と塾名を定めた[5][注釈 2]。
明治4年(1871年)、三田(港区三田)の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げを受ける)、現本部所在地に移った。1873年(明治6年)に「慶應義塾医学所」を開設[6]。1873年(明治6年)に修業年限を定めて正則・変則両科を新設、1875年(明治8年)に本科・予備科となる。1879年(明治12年)に専門教育課程として夜間法律科(専修学校 (旧制)へ改組:後の専修大学)、理学科、支那語科、簿記講習所を設置。1890年(明治23年)に大学部(文学・理財・法律の三科)を開設[注釈 3]。明治31年に政治科を開設。1917年(大正6年)大学部に医学科を開設して付属大学病院を開院、北里柴三郎が開設に尽力[7]。1920年(大正9年)には大学令による日本最初の私立大学(旧制大学)の一つとして新発足し[8]、文学・経済学・法学・医学の4学部からなる総合大学となり、予科・大学院を付設した。このとき、学事に関する最高意思決定機関として慶應義塾評議員会が設けられた。1942年(昭和17年)に中国大陸および南方の農業開発を目指して農学部を増設しようとしたことがあり(獣医畜産専門学校)、1947年(昭和22年)には獣医師法により指定認可されていた。1944年(昭和19年)に「藤原工業大学」が寄附され工学部を開設。1957年(昭和32年)に商学部を開設。1990年(平成2年)、湘南藤沢キャンパスに総合政策学部・環境情報学部を開設。2008年(平成20年)4月に「共立薬科大学」が合併したことにより、新たに薬学部と薬学研究科を設置。
明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げモデルになり、また後に私立大学となる学校の中で最初に授業料を徴収した[9][10]。日本の私立大学では早稲田大学(「早慶」の早)と共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。現在の大学は10学部、大学院は14研究科となっている。
(Wikipediaより)
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