今回は、2018年6月22日放送、第11回「チコちゃんに叱られる!」の2つ目のお話。
「信号の緑色をなぜ青信号という?」だよ!
うーん、昔から信号は、青、黄、赤ってきまってるから。。
でも、確かに緑だよねぇ。。
なぜなんだろう?
号の緑色をなぜ青信号という?
チコちゃん、「お酒の量は守れないけど法律だけはきっちり守りますって人はだーれ?」というこどで、YOUさんが回答者。
チコちゃん、「止まれは赤、注意は黄色、じゃあ進めは?」という質問に、
YOUさん、「青」。
チコちゃん、「ホントに青?」
YOUさん、「ぶっちゃけ緑っすね。」。
そこで、チコちゃんからの質問、「信号の緑色をなぜ青信号という?」
答えられず、叱られちゃいました。
永野芽郁さんに聞いてみた!
VTRのナレーション「青と言えばこの人にも聞いてみました。」。
NHK朝の連ドラ「半分、青い。」主演の永野芽郁さん登場。
永野さん「信号の進めは青。」「赤の反対だから?」と、なかなか天然ボケな回答だったよ。
新聞が青と報じてしまったから
チコちゃんの答えは、「新聞が青と報じてしまったから」
ええっ、、、びっくり、!
以下、専門家の先生の解説。
今回の解説は、東北大学の栗木一郎先生。
赤・黄・緑の3色は、人間が色を区別するのに感度が良い組み合わせ。
そのため、ブラジル、アメリカ、中国、フランスなどなど、信号の色、赤・黄・緑で世界共通なんだって。
これは、国際照明委員会によって規定されているそう。
でも、日本だけが「青」と呼んでいるんだ!
世界各国ではどう呼んでいる?
番組では、外人さんに街頭インタビュー。
外国人のみなさんは、信号の色をみな「Green(緑色)」。
オーストラリア、アメリカ、フィリピン、イタリア、タイ、コロンビア、ロシア、メキシコ、アルゼンチン、インド、エクアドル、アラブ首長国連邦など、全ての国が「Green」。
英語でも、標識に、「グリーンライト」と記載されているんだ。
では、なぜ日本だけが青?
1930年に、東京日比谷に、信号機が、日本で最初に設置。
その新聞記事には、信号には「青、黄、赤」の3色と記述。
これが、日本中に広がったんだ。
チコちゃんに叱られるのCGチームが当時の写真をカラー復元
当時の新聞記事の写真の使用料は29,160円と高額。
すき焼き5名様コースと同等の料金ために断念。
代わりに信号機製造メーカー、京三製作所から同じ時代の信号機の写真を無料で提供してもらってたよ。
現在の色彩復元技術を駆使してカラー復元したところ、色は現在の信号と同じ緑色。
まちがった新聞記事で、全国に広がっちゃったんだね。
もともと日本に合った色は4種類
先生によると、もともと日本にあった色は「白・黒・赤・青」の4種類。
昔の日本では、全ての色は「白・黒・赤・青」の4つに分類され、緑は青の中に。
8世紀頃の万葉集には、「あをやまを」という言葉があり、これは木々の緑を。
緑色を青と呼んでいたんだね。
10世紀始めの古今和歌集には、緑色の記載があるんだって。
その語源は「みずみずしい」という言葉で、新緑の若葉を表す色。
しだいに、「青」と「緑」が区別されるようになったんだ。
はっきり分かれたのは、平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけてだって。
その後も日本人は、緑を青とよびつづけた
このような古くからの習慣があるため、日本人は現在でも緑色のものを青と呼んでいるんだ。
例えば、
緑色の野菜は青菜。
緑色の虫は青虫。
などなど。
永野芽郁さんへの質問
永野芽郁さん再登場。
クイズに挑戦。
写真をみて、その名前を答える問題。
緑のリンゴをみて、「緑リンゴ」
とぼけてました。
その後は、青のり、青空、青汁、青々とした緑と正解。
そして最後は「半分、青い!」。
で終わりました。
ということで答えは、
「信号の緑色を青信号というのは新聞が青と報じてしまったから」
でした。
補足
当時、青信号にする技術がなかったというと答えも、半分正解。
当時の技術で青色にすると、色調が暗くなるために緑色にせざるを得なかったとのこと。
解説してくれたのは
東北大学の栗木一郎先生。
栗木一郎先生
職位 准教授
所属部局 電気通信研究所
分野名 知覚脳機能研究分野
研究手法とテクニック 心理物理学、脳機能計測(MEG, EEG, fMRI)
研究室所在地 片平キャンパス 電気通信研究所本館
電話番号
メールアドレス ikuriki [@] riec.tohoku.ac.jp
所属学会
日本視覚学会
映像情報メディア学会
日本光学会
電子情報通信学会
日本神経科学学会
Society for Neuroscience
Optical Society of America
International Colour Vision Society
経歴
1991 東京大学 工学部 計数工学科 卒
1996 東京工業大学 大学院 総合理工学研究科 博士課程修了
1996 東京工業大学 像情報工学研究施設 助手
1999 東京大学大学院 工学系研究科 計数工学専攻 助手
2001 NTT コミュニケーション科学基礎研究所 研究員
2006 東北大学 電気通信研究所 助教授
2007 同 准教授(職名変更)
(研究室HPより)
東北大学(とうほくだいがく、英語: Tohoku University)は、宮城県仙台市青葉区片平二丁目1番1号に本部を置く日本の国立大学である。
1907年に設置された。
大学の略称は特になく、東北大と呼ばれる。
トンペイと呼ばれることもある。
大学全体
国内で3番目の帝国大学として1907年(明治40年)に創設され、仙台においては1911年(明治44年)に開学した東北帝国大学を前身とする大学である。大学全体としては、帝国大学令に基く大学として創設された1907年を創立年としており、2007年(平成19年)には東北大学創立100周年を祝う様々な記念行事が行われた。
東北帝国大学創立期の大学の文書記号は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」とされた。後に東北帝国大学から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。ただし、現在では「北大」は北海道大学の略称として用いられることが多く、東北大学の略称は「東北大」が用いられる。
大学理念
東北大学では、現在「研究第一主義」「門戸開放」「実学尊重」の3つを大学理念としている。
研究第一主義
「研究第一主義」の標語は、1911年(明治44年)の入学式における式辞で、「大学の主とするところは研究第一であって…」と初代総長・澤柳政太郎が発言したことに由来している。先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、京都帝国大学が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした研究第一主義の現れとして、全国の国立大学附置研究所の中で最も古い歴史を有する金属材料研究所(設置当時の研究所名は臨時理化学研究所第2部)を擁すること、第二次世界大戦時には附置研究所が10を数えた時期があること等が挙げられる。なお、1998年(平成10年)-2008年(平成20年)の論文の被引用数では日本国内で第4位(世界第64位)、2005年度の主要研究経費は約260億円で、日本国内で第2位となっている。
門戸開放
東北帝国大学創設当初、既設の帝国大学が旧制高等学校出身者にのみ入学を認めていたのに対して、東北帝国大学は旧制高等学校以外の教育機関出身者にも入学を認めた(傍系入学)。また、1913年(大正2年)には3人の女性(黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく)に対して入学を許可しているが、これは帝国大学としては初めての女性に対する入学許可であった。さらに、日本における外国人留学生の博士号取得第一号(陈建功)と第二号(苏步青)を輩出するなど、東北帝国大学時代より外国人留学生が数多く本学で学んできた。このような経緯のもとに、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員・職員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、男女雇用機会均等法の改正を受け、杜の都女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されている。2014年には、男女共同参画社会を目指す活発な取組の一助となるよう、澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞(通称:澤柳記念賞)が創設された。現在の学部学生は、東北地方以外の出身者が過半数を占めており、旧帝国大学の中では地元以外からの入学者比率が高い方である。
実学尊重
東北大学では創設以来、社会で実用される研究が奨励されてきたことに加え、大学での研究に端を発した企業が複数設立されてきたなど、実学が大変重視されている。その伝統は、2007年(平成19年)の大学別特許公開件数で日本国内1位[6]であるところにも現れており、これは、自然科学のみならず、人文科学および社会科学の学問分野においても根付いている。
(Wikipediaより)
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