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北海道大学(ほっかいどうだいがく、英語: Hokkaido University)は、北海道札幌市北区に本部を置く日本の国立大学である。略称は北大(ほくだい)[注釈 1]。 旧帝国大学7校の一つであり、THE大学ランキング日本版2022では国内第6位、社会貢献の取り組みを示すインパクトランキングでは世界10位・国内1位に数えられる[3]。 概観 札幌キャンパス正門 北大第一農場・ポプラ並木(札幌キャンパス) 附属図書館本館付近(札幌キャンパス) エルムの森(札幌キャンパス) 大学全体 北海道大学は、日本初の学士授与機関として1876年(明治9年)に設立された札幌農学校を前身とする総合大学である[4][5]。12学部・21大学院を擁する[6]。 札幌農学校の源流は1872年(明治5年)設立の開拓使仮学校(東京府芝)および同校が北海道札幌郡に1875年(明治8年)に移転・改称した札幌学校であるが、北海道大学の歴史においては「前史」とされており、両校の開校日は、現在の北海道大学の創立記念日とは位置付けられていない[7]。大学全体としては学制(明治5年太政官布告第214号)の規定に基づく学士の称号の授与権限が付与された1876年(明治9年)を北海道大学の創基(創立)[注釈 2]年としている。 札幌農学校はその後東北帝国大学農科大学(1907年)、北海道帝国大学(1918年)、北海道大学(1947年)を経て、現在の国立大学法人北海道大学(2004年)に至る。現在の国立大学法人北海道大学は、創基以来4番目の組織再編とされており、北海道大学の時代区分においても、国立大学法人化以前の北海道大学とは区別されている。 2021年の時点で、北海道大学の卒業生・教員1名(鈴木章)と教員1名(ベンジャミン・リスト)の合計2名がノーベル化学賞を受賞している。また、2010年ノーベル賞受賞者根岸英一も北海道大学触媒科学研究所の特別教授として務めた。 建学理念、学風および特色 フロンティア精神、実学の重視、全人教育、国際性の涵養などが建学理念であり、現在も基本理念として掲げられている[9]。 札幌農学校初代教頭(事実上の校長)[10]であるウィリアム・スミス・クラーク(米国マサチューセッツ農科大学前学長)が、米国帰国にあたり札幌近くの島松(恵庭市)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれている[11]。クラークは、札幌農学校の開校式において、「lofty ambition」(高邁なる大志)との言葉を発しており、開校および帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる[注釈 3]。 また、クラークが説いたキリスト教精神により、官立学校にもかかわらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、内村鑑三などのクリスチャンを生んだ。彼らは札幌バンドと呼ばれ、日本におけるプロテスタントの先駆者として活躍した。札幌農学校1期生の伊藤一隆は、1876年(明治9年)着任わずか2日後のクラーク立ち合いのもと、クラークの宿舎において英国国教会(CMS)の宣教師ウォルター・デニングが洗礼を授けた[13][14]。キリスト教に関しては後に衰退していくが、伊藤一隆や内村鑑三らが引き継いでいくこととなった。現在でも北海道大学の校歌の旋律はキリスト教の賛美歌と同一である等、国立大学でありながらキリスト教の文化が残る一面も見受けられる。 このような札幌農学校の精神が、同大の基本理念に引き継がれている。 男女共同参画社会基本法に基づくポジティブ・アクションに取り組んでおり、全研究者の中の女性研究者比率が2020年までに20%になるよう努めるとする数値目標を掲げ推進している。北東アジア地域との連携を重視しており[15]、大韓民国、台湾、中華人民共和国などの大学とも相互協定を結んでいることだけではなく、2005年4月12日に連携協力協定を締結した青年海外協力隊 (JICA) へも定期的に隊員を送り出し[16]、また研修員を受け入れている[17]。これは、同大学の建学の精神にも謳われている、国際性豊かな若者を育成することを重視しているためである。
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