今回は、2018年9月28日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
なぜ、大阪のおばちゃんはあめに「ちゃん」をつける?
なぜ、大阪のおばちゃんはあめに「ちゃん」をつける?
3つ目のお話。
第3問目は、兵庫県に住む5さい、「ちーたんさん」からの疑問。
解答者は、岡村さん。
チコちゃんからの質問は、「なんで大阪のおばちゃんっはあめに「ちゃん」をつけるの?」
岡村さん「うわっ!なんで!?」
「あめに対するリスペクトみたいなんが含まれてるんじゃないかな?」
「なんか、、、」
「かわいいよね?」
チコちゃん「はい!どうぞ。」とあめを手渡します。
岡村さん「ありがとう。」
チコちゃん「はい。ボーっと生きてんじゃねーよ!」
とちょっとやさしく叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、
「豊臣秀吉が大坂に商人の町を造ったから」
だって。
豊臣秀吉が、大坂に商人の町を造ったから
解説してくれたのは、関西弁辞典も監修した大阪大学の真田信治名誉教授。
天下の台所と言われた大坂の町でお客さんに対して丁寧な言葉遣いが求められたそう。
1583年に豊臣秀吉が大坂城築城に着手。
これに伴って大坂・堺や京都・伏見から大坂の中心地である船場に商いの町が作られます。
船場の商人たちは商売がうまくいくようにと丁寧な言葉遣いを考案。
その当時、一番丁寧で格式のある言葉とされていた京都の言葉を参考にして「船場ことば」が考案。
この船場ことばの特徴的な言葉は、おいでやす(いらっしゃい)、ごめんやす(ごめんください)などがあるそう。
また、だんさん(夫)、おえさん(妻)、いとさん(娘)という風に「さん」付けで品格を保とうとしたとされています。
他にも、天神さん、お宮さん、お芋さん、お豆さんなどなど。神社仏閣や食べ物にもさん付けされていました。
商人の町の船場ことばが後に大坂の言葉の中に流れ込んでいったとのこと。
大坂が商いの町として発展した事情で、言葉もそれに影響されたんですね。
ではなぜあめは「さん」付けではなく「ちゃん」?
「ちゃん」は特に親しさを込めて呼ぶ時に使われるもの。
「おじいさん」と「おじいちゃん」の言葉の響きも違いますね。
あめに「ちゃん」が付くというのはそれだけ大坂の人にとって「あめ」が身近な存在だった証拠。
天下の台所と謳われた大坂にはあめの原材料となる砂糖や水あめが集まってきており、江戸時代中期にはあめが大坂名物に。
その当時の全国各地の名物が紹介された「日本山海名物図会(にほんさんかいめいぶつずえ)」
その中には現在の大阪市平野区界隈で作られたあめが名物として取り上げられています。
書物にはあめ作りをしている職人や、あめを買っている人、農作業の帰りにあめを買って帰る所などの挿絵が。
江戸時代から大坂の名物として庶民にも親しまれたので「あめさん」ではなく特別に「あめちゃん」と呼ばれるようになったと考えられているそう。
実際に調査
八尾市老人福祉センターのカラオケ同好会で実際に調査。
大阪のおばちゃんのカバンやポーチからどんどんあめちゃんが出て来ます。
知らない人同士でもあめ一つをやり取りする事ですぐに仲良くなれるとのこと。
結論
というわけで、
「なぜ、大阪のおばちゃんはあめに“ちゃん”をつける?」は、
「豊臣秀吉が、大坂に商人の町を造ったから」
でした。
全国の都道府県庁所在地別でのあめの消費量
全国の都道府県庁所在地別でのあめの消費量を発表するチコちゃん。
「大阪府大阪市はなんと!47位中の・・・44位。」
チコちゃんによると、
「大阪のおばちゃんはやり取りしたあめちゃんを食べずに、もらったものを他の人にあげていると考えられる。」
とのこと。
解説してくれたのは
関西弁辞典も監修した大阪大学の真田信治名誉教授。
真田信治名誉教授。
経歴
1946年(昭和21年)、富山県上平村(現・南砺市)に生まれる。1964年(昭和39年)、富山県立砺波高等学校卒業。1968年(昭和43年)、金沢大学教育学部卒業。1970年(昭和45年)、東北大学大学院文学研究科国語学専攻修士課程修了。1972年(昭和47年)、同博士課程退学。
椙山女学園大学専任講師、国立国語研究所研究員などを経て、1993年(平成5年)、大阪大学文学部教授。1999年(平成11年)、大阪大学大学院文学研究科教授(日本語学担当)。2005年(平成17年)、東呉大学(台湾)客員教授。2009年(平成21年)、大阪大学名誉教授、奈良大学文学部教授。
この間、日本語学会理事、博報財団日本語海外研究者招聘事業審査委員会委員長、新村出記念財団監事、奈良大学文学部長・大学院文学研究科長なども務める。
研究
1982年(昭和57年)、柴田武とともに『日本における社会言語学の動向』を著し、日本における社会言語学の研究分野は「方法論・言語変種・言語生活・言語行動・言語接触・言語変化・言語意識・言語習得・言語計画」の9領域に分類できるとし、日本における社会言語学研究の基礎を築いた。
日本語の様々な言語変異(地理的バリエーション、社会的バリエーション、機能的バリエーション)を研究テーマとしている。大学院時代から言語地理学に取り組み、北陸をはじめ日本各地の伝統方言の存在のあり方を研究してきた。一方で、方言の変化を鋭く捉えて「ネオ方言」という新たな方言概念を提唱した。「ネオ方言」とは地域の新しい方言スタイルで、地域回帰への象徴であると指摘した。早くから接触言語学の事例研究に取り組んできたと言える。また近年の日本社会での多言語化現象をめぐる研究に関心を寄せ、在日韓国・朝鮮人についての研究に力を注いだ。さらに、ミクロネシア・台湾・韓国・中国東北部・サハリンなどを歩き、戦前・戦中に越境した日本語に関する研究に従事した。台湾東部の宜蘭県に住むタイヤル族が用いるタイヤル語と日本語の接触によって生まれた言語変種の存在を台湾国立東華大学の簡月真とともに学界に初めて発表し、「宜蘭クレオール(Yilan Creole)」と名づけてその研究調査を続けている。
受賞歴
金田一京助博士記念賞 – 第18回、1990年(『地域言語の社会言語学的研究』に対して)
とやま賞受賞 – 1991年度、学術研究部門(社会言語学)(方言の社会言語学的研究に対して)
主要著書
『方言学』(編)朝倉書店 2011年 ISBN 9784254515244
『県別 罵詈雑言辞典』(共編)東京堂出版 2011年 ISBN 9784490108071
『改訂版 社会言語学図集-日本語・中国語・英語解説-』(共編)秋山書店 2010年 ISBN 9784870236165
『日本語教育能力検定試験に合格するための日本語の歴史30』アルク 2009年 ISBN 9784757418233
『越境した日本語-話者の「語り」から-』和泉書院 2009年 ISBN 9784757605015
『社会言語学の展望』くろしお出版 2006年 ISBN 9784874243459
『方言の日本地図-ことばの旅』講談社+α新書 2002年 ISBN 9784062721684
『標準語の成立事情―日本人の共通ことばはいかにして生まれたか』PHP研究所PHP文庫 2001年 ISBN 9784569576077
『関西・ことばの動態』大阪大学出版会 2001年 ISBN 9784872591095
『方言は絶滅するのか』PHP出版 2001年 ISBN 9784569618968
『地域語のダイナミズム―地域語の生態シリーズ関西篇』おうふう 1996年 ISBN 9784273029098
『日本語のバリエーション―現代語・歴史・地理』アルク 1989年 ISBN 9784900105560
(Wikipediaより)
大阪大学(おおさかだいがく、英語: Osaka University)は、大阪府吹田市山田丘1番1号に本部を置く日本の国立大学である。
1931年に設置された。
大学の略称は阪大(はんだい)。
文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。
大阪大学は、大阪帝国大学として設立された(1931年(昭和6年))、現在では11学部・16研究科を要する国立文理総合大学である。帝国大学としては比較的新しく、開学当初は医学部と理学部のみで創設され、文理5学部(文学部・法経学部・理学部・医学部・工学部)体制となったのは戦後(1949年(昭和24年))のことである。初代総長に、世界的な物理学研究者の長岡半太郎を迎え、阪大の研究レベル・実績は現在でも特に理系学部が抜きん出ている。
設立の際に統合した、旧・大阪医科大学は、1838年(天保9年)に緒方洪庵により設立された適塾を直接の源流としており[1]、また、懐徳堂(1724年(享保9年)設立)の蔵書類が戦後文系学部に提供されたこともあり、私塾・学問所の流れを汲む、「地域に生き世界に伸びる」ことをモットーとしている。大阪大学は、設立当初東京をしのぐ大都市であった大阪に、関西財界や府民の熱意ある活動の末、民間の意思と財源により創設された、市民精神の息づく大学である。
かつて大阪大学は、その創設の地である大阪・中之島を本拠とし、多数の部局が大阪各所に点在する典型的な蛸足大学であったが、1993年の医学部および医学部附属病院を最後に、豊中キャンパスと吹田キャンパスの2キャンパス(共に千里丘陵に位置する)への移転統合を完了した。
大阪大学の本部事務機構は吹田キャンパスに設置されており、豊中キャンパスには全学共通教育を担当する全学教育推進機構とその講義棟が置かれている。サークル活動は基本的に豊中キャンパスで行われることが多いが、体育会系サークルは、多くのテニスコートがあるために吹田キャンパスで活動を行っていることが多い。
2007年10月1日に国立大阪外国語大学と統合し、それに伴い、箕面キャンパスが発足した。国立大学法人で外国語学部を設置しているのは、大阪大学と東京外国語大学のみである[2]。また統合後の1学年あたりの学生定員は、国立大学で最多の3245人となった(2位は東京大学で3053人)。
箕面キャンパスは2021年、同じ箕面市内の北大阪急行電鉄箕面船場阪大前駅前に全面移転する予定である。
大学入試においては、関西では京都大学とともに旧帝大として、日本トップクラスの難関大学である。関西圏の高等学校では、阪大と京大の入試合格者数の多寡が、学校進学実績のレベルを評価する大きな目安となっている。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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