今回は、2020年3月27日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽春一番の秘密▽魚のイラストの謎▽サンドイッチの番組内容を紹介。
なんで三角形のサンドイッチが多いの?
確かにサンドイッチといえば、三角形。
なぜなんだろう?
なんで三角形のサンドイッチが多いの?
本日の4問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番サンドイッチをパクパク食べるワンパクな大人ってだーれ?」
たまごサンドが好きな岡村さんが立候補して回答者に。
チコちゃん「なんで三角形のサンドイッチが多いの?」
岡村さん「三角形は食べやすい、手で掴みやすい形。四角形だと置いた時に倒してしまいがち。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
東京・渋谷のパン屋さんでインタビューするも正解なし。
パン屋さんも「尖った部分が食べやすいから」という答えで不正解。
チコちゃんの答えは、「茂がパンを斜めに切ったから」
みなさん「しげる?」
茂がパンを斜めに切ったから
解説は池袋で飲食店を営む大林芳彰さん。
祖父にあたる大林茂さんが四角形のサンドイッチを斜めに切って三角サンドイッチに。
これが、日本に三角形のサンドイッチが広まったきっかけ。
その後、パン屋さんを経営、日本に三角サンドイッチを広げました。
看板には「手づくり△サンドイッチの元祖の店」。
イギリスで生まれて明治時代(※年代については諸説あり)に日本に伝わって来たとされるサンドイッチ。
その形は長方形が主流。
昭和25年に台東区でパン屋さんに勤めている大林さん。
ある奇跡が起こったのが三角形の謎を解くカギ。
NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場
タイトルは「クリスマスの奇跡 ~サンカクロースがやって来た~」
時は戦争の傷跡が癒え始めた昭和25年。
当時33歳だった大林茂さん(山西惇さん)。
台東区のパン屋さんで新作開発を担当していた茂さん。
そこで抱えていた悩みがサンドイッチだけが売れ残ってしまう事。
家に帰ると妻の孝さん(松永玲子さん)がお出迎え。
売れ残ったサンドイッチのお土産を口にして、おいしいと味をほめる孝さん。
味はよいのですが、売れ残るサンドイッチ。
売れ残る理由がわからない。
ある一人のお客さん「何が入ってるか分かんないし」
この言葉に、ひらめく茂さん。
そこで、横からも中身が見えるようにパンの縁ギリギリまで中身を詰めたサンドイッチ。
しかし、食べにくく中身がこぼれてしまうという失敗作に。
そして迎えた昭和25年12月25日のクリスマス。
ホールケーキを切り分ける妻の孝さん。
切った断面にイチゴがない事に、取り乱し、怒り心頭!
孝さん「詐欺だ!詐欺だ!詐欺だぁ!訴えてやる!」
怒りに震える孝さん。
茂さん「切ってみないと中身が分からない!」
そして茂さんは、サンドイッチを斜めに切って三角形に。
三角サンドイッチ開発の瞬間。
それまで箱に入れて売られていたサンドイッチ。
さらに具が見えやすいように、紙に包んで断面が見えるようにディスプレイも工夫。
そして、サンドイッチは大ヒット商品に。
同時に、三角サンドイッチの特許と三角形の袋の特許の両方を取得。
その後に独立して1961年に自らのパン屋を出店。
サンドイッチの値段は1個約20円。
サラリーマンの平均月収2万円の時代に、お店のひと月の売り上げは30万円
。
三角形のサンドイッチが日本全国で売られるようになったきっかけ
それが1964年の東京オリンピック。
当時は軽食といえばおにぎりが定番。
世界中の人が集まるオリンピックの会場で三角形のサンドイッチを売りたいと他のパン職人たちが茂さんの元へ殺到。
そこで三角形のサンドイッチをもっと世の中に広めたいという心意気から他のパン職人たちにも自由に作る事を許可。
茂さん自身もオリンピック会場でサンドイッチを販売。
1日に約1000個も売り上げていたとのこと。
ナレーション「だから地球は三角形になったのです。」
結論
というわけで、
「なんで三角形のサンドイッチが多いの?」は、
「茂がパンを斜めに切ったから」
でした。
塚原アナから補足
イギリス発祥のサンドイッチ。
明治時代(※時期は諸説あり)に日本に伝来。
その時に軍隊料理法という本に掲載。
その当時はハムサンドイッチと牛肉のサンドイッチの2種類のみだったとのこと。。
解説してくれたのは
池袋で飲食店を営む大林芳彰さん。
補足
三角サンドイッチの発祥は、東京都文京区茗荷谷駅付近にあったフレンパン。
戦後、復員兵や戦災孤児を援助する同胞援護婦人連盟活動として婦連製パン株式会社が発足。
その後、「フレンパン」となりました。
お店は2003年に閉店したとのこと。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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