今回は、2019年1月4日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」お正月拡大版「大河ドラマ“いだてん”とコラボスペシャル」のお話。
たい焼きは、なぜ鯛?
たしかに、なぜか丸い形をしたやつ以外、全国的にたい焼きですね。
やっぱり、あんこを詰めやすいから?
たい焼きは、なぜ鯛?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番甘い物を無邪気に食べる姿がかわいいステキな大人ってだーれ?」
岡村さんが立候補して回答者に。
チコちゃん「岡村は、たい焼きって知ってる?」
岡村さん「知ってます。」
チコちゃん「岡村は、頭から食べる、それとも尻尾から?」
岡村さん「頭から。」
チコちゃん「なんでたい焼きは「鯛」なの?」
岡村さん「やっぱキングオブフィッシュですからね。鯛っていうのは。めでたい時なんかにも必ず鯛っていうのは。お相撲さんでも優勝したら鯛を持つ。」
チコちゃん「めでたいからでいいですか?」
岡村さん「ちょっと待ってくださいね。」
岡村さん「中にあんこを入れやすい形だったのが鯛だった。」
正解にいたらず、叱られちゃいました。
東京湾で魚釣りをしている人にインタビューするも正解話。
チコちゃんの答えは、鯛は食べられるものだから
岡村さん「捨てるとこないって言うからね。鯛は。」
綾瀬さん「あ~。でもエビとかも。」
鯛は食べられるものだから
解説してくれたのは、東京麻布十番にある創業110年、浪花家総本店の4代目ご主人、神戸将守さん。
たい焼きは明治42年に浪花家総本店の初代、神戸清次郎さんが考案。
将守さんからすると神戸清次郎さんは祖父の兄。
たい焼き誕生の裏には様々な苦悩があったとのこと。
NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場
タイトルは「たい焼き誕生物語 ~鉄板の上で焼かれて~」
明治40年代、兵庫県神戸市から上京し慶應義塾大学に通っていた神戸清次郎と弟の源治郎。
実家は裕福な家系で何不自由ない大学生活を送っていたある日。
手紙を片手に弟の源治郎(山西惇さん)が駆け込んできます。
兄(清次郎役は鶴見辰吾さん)「どうしたんや?そんなに慌てて。」
手紙には家の事情で仕送りがストップしてしまうという事。
さらに神戸の実家に帰って来てもらっても困るという内容が。
兄弟二人で力を合わせて東京で生きていってくれというもの。
兄弟2人「嘘や~ん!!」
神戸の実家で問題が起きたため学費や仕送りがなくなります。
二人は大学中退を余儀なくされてしまいます。
明日を生きる為に何か生活費を稼ぐ必要に迫られた神戸兄弟。
その当時、流行っていた今川焼のお店を出すことに。
しかし、よくある今川焼のお店を後追いで開いても成功は難しいのではないか?
かといって、値段を下げたら利益がでない。
なにかよいアイデアが必要。
兄「そうや!この見慣れた丸い形を変えたら売れるんちゃうか?」
弟「そうやで!兄ちゃん。」
兄弟にとっては生きるか死ぬかの大勝負がここから始まります。
神戸兄弟が店を構えたのは東京・九段下。
まず清次郎が考案したのは「かめ焼き」。
縁起が良い亀の形に。
今でもその当時のかめ焼きの焼き型が残されています。
しかし、当時の売り上げは上がらず。
弟「兄ちゃん!かめ全然売れへんやん!」
兄「おかしいなぁ、、、。それなら、。」
続いて考案したのは「うさぎ焼き」。
月にいると伝承されるうさぎはツキを招くと縁起物。
お月さま信仰のシンボルとして戦国武将も積極的に兜にデザインしたりなんてことも。
しかし、うさぎ焼きも売れず。
兄「あれぇ、おかしいなぁ。それなら。」
弟「兄ちゃん信じてるで!」
3つ目は「ホームラン焼き」。
当時の野球人気にあやかって考案するも結果は惨敗。
弟「兄ちゃん!ホームランどころか空振り三振や!」
そんな中で起死回生の商品たい焼きが誕生。
めでたいと縁起が良いことからうさぎや亀と並べて売っていたのですが、予想外の大ヒットに。
兄「なんで、たい焼きだけ売れるんや?」
弟「兄ちゃん。分かったで。兄ちゃんは亀、食おうと思うか?」
兄「思わん。」
弟「うさぎ、食おうと思うか?」
兄「思わん。」
弟「野球のボール、食おうと、、、」
兄「思わん! はっ!食える。鯛は食える。食うた事ある!」
ナレーション「その日の九段下の空は晴れていたとかいないとか。」
そらには鯛の形の白い雲。
特に工場などで働いている人などの体を使って働く人たちのおやつとしてたい焼きはよく売れたそう。
また、鯛はみんなの憧れの魚でありながら1個1銭で鯛が買えるというのはみんなの気持ちを刺激したのでは?と推測。
結論
というわけで、
「たい焼きは、なぜ鯛?」は、
「鯛は食べられるものだから」
でした。
(注)たい焼きの起源には諸説あるそうです。
解説してくれたのは
東京・麻布十番にある創業110年、浪花家総本店の4代目ご主人、神戸将守さん
神戸将守さん
あの名曲のモデルになった老舗を守るスゴい人!
創業は明治42年。焼いたたいやき1千万匹以上。
500万枚のセールスを記録したと言われる国民的童謡である、”およげたいやきくん”のモデルになったお店の4代目。
それまではIT関連の会社で働く普通のサラリーマンが家業を継ぐことになった。
きっかけは父親が急に倒れたため。
納得の味のたいやきを焼くまでに、3年間も時間がかかったという。
苦難の時期を乗り越えるための、秘訣とは?
Mr.たいやき!神戸将守様の登場です!
「遊びも仕事も真剣勝負」
最初はたいやきを焼くのなんて、簡単なことだと思ってましたよ。
でも、始めてみると、先代の味にまったく手が届かず、試行錯誤の3年間。
売り上げはあがっているものの納得がいかない。
おなかのあんこの味、すこし焦げがあって冷めても美味しいたいやき。
焼いても焼いてもとても先代のように焼けない。
“石の上にも3年”とことわざにもあるように、納得のいく味にたどり着くまでの
数年間…途中で投げ出さず、人生なるようになると思い続け、うまく焼けるようになった時は、それはそれは、嬉しかったですよ。
あの頃も今も楽しみながら、一生懸命やってる。まいにちまいにち鉄板の上に並ぶたいやきをニコニコ焼いてます。
遊びもそうだよね!?本気で楽しまなきゃ! 俺は、自転車、魚釣り、
スノーボードもやってます。自転車なんて、マウンテンバイクから、ロードバイクまで7台持っている。
楽しんで、一生懸命遊んで。遊びでの感動体験は仕事を楽しむ活力剤!逆も然り。
楽しいことは何でも続くし嫌になったら、見方を陽転させてみる。そうすると、また、ワクワク前に進んでいける。
そして今日もまたお客様の“美味しい!”の声を聞くことができるのです。
2010-02-01
取材:編集部
(日刊すごい人より)
浪花家総本店(なにわやそうほんてん)は、東京都港区麻布十番1丁目にある甘味処、和菓子店。
店舗概要
所在地 〒106-0045
東京都港区麻布十番1丁目8番14号
座標 北緯35度39分22.2秒 東経139度44分6.63秒座標: 北緯35度39分22.2秒 東経139度44分6.63秒
正式名称 浪花家総本店
営業時間 午前11時 – 午後7時
最寄駅 東京メトロ南北線・麻布十番駅
都営大江戸線・麻布十番駅
最寄IC 首都高速天現寺出入口
1909年(明治42年)、創業の鯛焼き専門店で、初代が、「めでたい」にちなんだ鯛の型で焼くことを考案し、売り出したのが始まり。
2007年(平成19年)5月25日、たいやきビルが新装オープンした。
浪花家総本店の店名の由来は、初代・神戸清次郎が浪花(現在の大阪市)出身であったため、故郷にちなんで浪花家と命名した[1]。
(Wikipediaより)
浪花家総本店(食べログ)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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