今回は、2019年12月13日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「“1日3食の秘密”“裏声のなぞ”“銭湯の富士山”他」のお話。
なんで1日3食食べるの?
たしかに、毎日、3食たべますね。
むかしは2回みたいだったけど。。
なんで1日3食食べるの?
本日の1問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番規則正しく生きている立派な大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、黒木さんが回答者に。
食事の話題にひきつづき、
チコちゃん「なんで1日3食食べるの?」
黒木さん「決められてたんですかね?なんか偉い人たちに。」
黒木さん「偉い人が決めた。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
正解にいたらず叱られちゃいました。
黒木華「嬉しいです。」
石黒賢さんにも聞いてみるも正解にいたらず。
街頭インタビューでも、正解なし。
チコちゃんの答えは、「明かりがついたから。」
明かりがついたから
この1日3食という食習慣が始まったのは江戸時代。
それ以前は朝食と夕食の1日2食が一般的。
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江戸時代中期になると一般庶民の間で「照明用の菜種油」が普及。
これで、生活様式が大きく変化。
今では食用としてよく使用される菜種油。
古くから照明用の燃料として使用されていました。
しかし、江戸中期以前の菜種油は非常に高価な代物。
庶民には手の届かないもの。
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そこで庶民が照明用燃料として使っていたのがイワシの油。
しかしこのイワシの油は燃える時に強烈な臭い。
そのため、あまり多用されず。
1700年頃に菜種油を大量生産する技術が開発。
高価だった菜種油の値段は一気に下がって庶民でも気軽に手に入れる事が可能に。
夜になっても明かりを点けることが出来るようになり、夜も色々と活動できるように。
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その結果、起きている時間が長くなり、2食では足りず、朝食と夕食の間に昼食が。
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1日3食の習慣が広まっていきました。
一日2食から3食で変わったことは?
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江戸以前(例として室町時代初期)と江戸中期以降の生活スタイルの比較
1日2食の時代
起床は夜明け前の午前3時半。
しかも起床後は朝食なしで日の出とともに仕事開始。
そして午前10時に仕事終了。
労働時間は早朝から5~6時間。
起きてから7時間以上が経過した所でやっと朝食。
この時点で午前11時。
当時の朝食メニューは蒸した玄米、すまし汁、焼き魚などの一汁一菜が基本。
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朝食後はゆっくりと余暇時間を過ごし、午後4時ごろに夕食。
夕方に食べていたのでまさしく夕食。
夕食が終わるともう日暮れ。
イワシの油は臭いので夜に明かりを点けることも無く日没の午後6時には就寝。
この頃は夜の活動時間は極端に短く、睡眠時間が9時間超という生活スタイル。
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1日3食の時代
夜明けとともに午前5時に起床。
起きると仕事に行く前に朝食を食べます。
朝食メニューは一汁二菜が基本。
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主食は玄米から山盛りの白米に。
江戸時代には精米技術の発達などにより江戸の庶民も白米を食べられるようになっていました。
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朝7時には仕事開始。
3時間後の朝10時におやつ感覚で蕎麦や寿司などの軽食を摂るのが普通。
その後は仕事に戻ったと思ったら、午前12時には昼食。
メインのおかずには刺身などを食べる1日の中で最も豪華な献立。
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そしてここでも山盛りの白米。
江戸時代には1人1日5合も白米を食べていたほどに江戸の庶民は白米好き。
白米は当時は年貢として納められてた事もあって、白米は富と権力の象徴。
そんな白米を食べる事はこの上ない幸せ。
その為に江戸の庶民は白米ばかりを食べてビタミンB1不足になり脚気になったほど。
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そこから脚気の事を「江戸わずらい」なんて名称で呼ばれたり。
昼食を食べた後には再び仕事に取り掛かります。
午後2時にはこの日2度目のおやつタイム。
お昼前と夕食前の2回に渡って軽食を摂っていました。
当時江戸では多くの人が長時間働いており食事は仕事の合間を縫って摂るもの。
となると1回の食事では十分な時間がとれません。
で代わりに食事の回数を増やす事で対応。
2度目のおやつタイムの後は1時間ほど仕事をして終業。
午後4時には仕事を切り上げて帰宅。
そして夜7時になると菜種油を使った行燈に火をともして夕食。
夕食は残ったご飯をお茶漬けにするのが一般的。
昼食や軽食でしっかり食べているので夕食はごくごく軽め。
夕食後は行燈の明かりで読書をしたり晩酌をしたりして過ごし、夜11時頃に就寝。
菜種油の普及によって夜の活動時間が増えて、その分睡眠時間は6時間ほどに減少。
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比較してみての感想。
ディレクター「1日3食っていうか5食食べましたから、もうお腹いっぱいですよ。江戸時代食い過ぎ!」
結論
というわけで、
「なんで1日3食食べるの?」は、
「明かりがついたから」
でした。
塚原アナから補足
「脚気=江戸わずらい」の補足。
地方の人は玄米を多く食べていたのでビタミンB1不足にはならずに脚気は少なったとの事。
当時は原因が分からず、流行り病の一種としてとらえられていたとのこと。
解説してくれたのは
医学博士の奥田昌子先生。
医学博士
奥田 昌子
MASAKO OKUDA
京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何か考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。大手メーカー産業医を兼務。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『健康診断 その「B判定」は見逃すと怖い』(青春出版社)、『実はこんなに間違っていた!日本人の健康法』(大和書房)などがある。
(HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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