前回の「チコちゃんに叱られる!」は、2020年4月3日(金)の再放送!
以下、過去の内容を再掲載したものです。
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今回は、2020年4月3日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽鼻に水が痛いのは?▽ガラスが割れるのは?▽イタリア料理の番組内容を紹介。
なんでイタリア料理にはトマトが欠かせないの?
イタリア料理といえば、やっぱりトマト!
なぜなんだろう?
なんでイタリア料理にはトマトが欠かせないの?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、美味しい料理をたくさん知っているステキな大人ってだーれ?」
アンミカさんが、答えたいとアピールしますが、岡村さんが自ら回答者に。
アンミカ「私ちゃうん?」
イタリア料理の話題で、トマトが良く使用されることなど。
チコちゃん「なんでイタリア料理にはトマトが欠かせないの?」
岡村さん「イタリアでは大量にトマトが収穫されるものの、あまり美味しくないので調理法を工夫して大量に消費できるようにした。」
チコちゃん「それは調理法であって食べるきっかけじゃないわよね?」
岡村さん「食べたいから!」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
北島さんにも聞いてみます。
北島さん「トマトしか無かった!」
正解に近い?
チコちゃん「もうサービス。トマトしか無かったから食べた人がいます。その人の職業。一人一個ずつ言ってください!」
岡村さん「サッカー選手」
北島さん「王様!」
アンミカさん「トマト職人!」
答えるも、正解なし。
イタリア料理店での街頭インタビューでも正解なし。
チコちゃんの答えは、「庭師が腹ペコだったから。」
庭師が腹ペコだったから
トマトの原産はイタリアではなく、南米のアンデス山地。
そこからメキシコなどの中央アメリカに。
そして、1523年にメキシコを征服したスペインによってトマトがヨーロッパに伝播。
その後、トマトは当時スペイン領だったイタリアの都市ナポリに上陸。
当時のトマトは直径4cmほどと小さく、色も黄色。
当時はトマトを食べる人は皆無。
なぜなら、ヨーロッパの人々に恐れられていたマンドレイクに形がよく似ていたから。
(マンドレイク:毒性が強く幻覚を引き起こして死に至る場合もある植物)
トマトは、有毒で危険だと思われていました。
その名も、悪魔の実。
しかし、いろいろな色もあり、きれいなため、裕福層の間で鑑賞用として用いられていました。。
トマトが食用になったの始まり
そのきっかけが、腹ペコだった庭師さん。
「CHICO FILM」イタリア語バージョン
タイトル「空腹と理性のあいだ」
主演:パンツェッタ・ジローラモ。
スペインに統治されていた当時のナポリは税金が高く、食べ物があまり手に入らない生活。
優雅に食事を摂る貴族役、それを見て羨ましがる庭師。
全てジローラモさんの一人数役。
仕事に精を出す庭師たち。
登場したのが綺麗な女性。
イタリア語で容姿を褒めます。
時折、日本語で「めちゃタイプ!」
庭師は空腹でたおれそう。
そこで目に入ったのが庭になっていたトマト。
周囲の制止も聞かずにトマトを口に。
庭師「マンマミーヤ!めちゃくちゃうめーやん!」
その庭師がトマトを家に持ち帰ります。
庭で育てて食べ始めたのがトマトを食用にした始まり。
さらに品種改良が進んで身が柔らかく水分を多く含むトマトが誕生。
また、ナポリがあるイタリア南部はトマト栽培に適した温暖な気候。
各地にトマト作りが広まってイタリア料理にトマトが欠かせない存在に。
日本とイタリアのトマトの食べ方の違い
日本とイタリアではその食べ方に決定的な違いがあります。
トマトをそのまま丸かじりで生食するかどうか。
ジローラモさん「世界中で(丸かじりをするのは)日本人だけじゃないですか?」
トマトを甘くなるように品種改良しているのは日本だけ。
イタリアでよく食べられているトマトをそのまま丸かじりしてみると酸っぱい。
そのまま食べるのには適していないよう。
イタリアでは煮込んでトマトソースにして食べるのが主流。
イタリア料理研究家のベリッシモ・フランチェスコさんにトマトソースパスタを作ってもらう事に
ナレーション「日本で有名なイタリア人総出演でお届けしています。」
たった2人だけの出演。
トマトソースのパスタ。
出来上がったシンプルなパスタを、ラーメンのように音をたててすすって食べるスタッフ。
ベリッシモ・フランチェスコさん「食べ方、、ヤバいですね。」と不満顔。
パスタに顔を近づけて犬食い状態。
日本だからといってそれは止めた方がいいとの忠告。
結論
というわけで、
「なんでイタリア料理にはトマトが欠かせないの?」は、
「庭師が腹ペコだったから」
でした。
補足
トマトがイタリアで食べられるようになった起源には諸説があるそう。
先にトマトを食用にしていたスペインによって現在でいうラタトゥイユのような調理法が伝わってイタリアでも食用されるようになったという説。
当時は味付けに使うスパイスが高価だったので、トマトを使えば手軽に料理に旨味を加える事が出来きたので広まったという説など。
解説してくれたのは
玉川大学の田淵俊人教授
田淵 俊人 Tabuchi Toshihito
玉川大学農学部生物資源学科 教授
取得学位
東北大学 博士(農学) 園芸・造園学
東京農工大学 修士(農学) 園芸・造園学
玉川大学 農学士(農学) 園芸・造園学
学歴
東京農工大学大学院農学研究科 修士課程 農学研究科 農学
玉川大学 農学部 農学科
職歴
日本信販株式会社(現:三菱UFJニコス株式会社) 1982/04/01- 1984/03/31
玉川大学農学部助手 1986/04/01- 1992/03/31
玉川大学農学部講師 1992/03/31- 2003/04/01
玉川大学農学部准教授 2003/04/01- 2008/03/31
山形大学農学部 非常勤講師(兼任) 2003/10/23- 2003/10/24
玉川大学農学部 教授 2008/04/01- 現在に至る
東京大学大学院農学生命科学研究科 生産・環境生物学特別講義 非常勤講師(兼任) 2011/07- 2012/05/24
現在の専門分野
生態・環境/生物資源科学/解剖学一般(含組織学・発生学)/園芸・造園学/果菜類/生物形態・構造/植物生理/花き類/果樹類
(大学HPより)
玉川大学(たまがわだいがく、英語: Tamagawa University)は、東京都町田市玉川学園六丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学である。1947年に設置された。大学の略称は玉川大、玉学、玉大。
経営・教育信条
経営主体は学校法人玉川学園であり、幼稚園から大学院までを擁する総合学園の高等教育部門と位置づけられている。
創立者は小原國芳であり、彼の唱えた全人教育を教育信条に掲げている。特に國芳が存命中だった時に学んだ卒業生は、彼の人格を尊敬する人が多い。
学長職は、第3代以降、創立者一族による世襲である。初代学長は元東京文理科大学(現・筑波大学)教授の田中寛一、第2代は京都帝国大学文学部哲学科宗教学講座での小原の恩師波多野精一。第3代が小原國芳(晩年は総長)自身であり、初代から第3代まで小原の母校である京都帝国大学文学部哲学科の卒業生あるいは元教授が学長の任に当たったことになる。第4代は國芳の子・小原哲郎(晩年は名誉総長)、第5代(現在)は哲郎の子・小原芳明である。本学の年配の教職員には、存命中の國芳の教育理念に共感する玉川学園出身者が多く、小原家の世襲に対する反対運動はほとんどない。
施設
キャンパスは、東京都町田市玉川学園(キャンパスの7割程度)、神奈川県川崎市麻生区岡上(農学部)、横浜市青葉区奈良町(工学部、中・高)の一都一県三市にまたがり、敷地面積は59万m²におよぶ。詳しくは施設については、学校法人玉川学園を参照のこと。
校外施設は主に農学部の農場・実習林用地として、箱根(神奈川県箱根町)約77万m2、北海道(北海道弟子屈町)約122万m2、鹿児島(鹿児島県南さつま市坊津町)約10万m2、カナダ(カナダ・バンクーバー島ナナイモ市)約34万m2がある。
カナダの玉川学園ナナイモキャンパスは主に中学部カナダ研修や大学農学部研修で利用されている。
鹿児島の校地は、1977年の用地取得後、1978年に「久志農場」として、主に玉川大学農学部の実習の場として利用されてきたが、2018年1月に創立80周年記念事業として「久志晴耕塾」(滞在型教育施設)が竣工し、「久志農場」から「玉川大学南さつまキャンパス」という名称に変更され、学園全体・大学全体で利用される施設となった。
(Wikipediaより)
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