NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

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クリームシチューってそもそもなんで出来たの? アメリカにいた一人の日本人が日本の子どもたちを救いたいと思ったから

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今回はチコちゃんに叱られる! ▽虫の鳴き声の謎▽クリームシチューの謎▽庭の謎 初回放送日:2025年10月24日を紹介。


クリームシチューってそもそもなんで出来たの?




クリームシチューってそもそもなんで出来たの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、おいしいものが好きなステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「クリームシチューってそもなんで出来たの?」


チコちゃんの答えは、「アメリカにいた一人の日本人が日本の子どもたちを救いたいと思ったから。」



アメリカにいた一人の日本人が日本の子どもたちを救いたいと思ったから


寒い日にぴったり!クリームシチュー誕生の、心温まる物語

みなさん、こんにちは! だんだんと肌寒くなってくると、あたたかいクリームシチューが恋しくなりませんか?


野菜もお肉もたっぷりとれて、ミルクの優しい味わいが体を芯から温めてくれますよね。


今ではすっかり日本の家庭料理としておなじみのクリームシチュー。


実はこの料理には、戦後の日本を支えた、とても心温まる誕生の物語があったんです。


今日は、私たちが大好きなクリームシチューが生まれるまでの、素敵なストーリーをご紹介します。



終戦直後、日本を襲った「食糧難」

クリームシチューが生まれたのは、昭和20(1945)年。 日本が終戦を迎えた、まさにその直後のことでした。

当時の日本は、戦争によって多くのものを失っていました。


人々は荒れ地で身を寄せ合い、暮らしていました。


そこへ深刻な「食糧難」が襲いかかります。


理由はいくつも重なっていました。


まず、人手不足で食料や肥料の生産が追いつきません。


さらにその年は冷夏で、農作物も不作でした。


そこへ、海外から300万人以上もの兵士や民間人が一斉に帰国したのです。


ただでさえ足りない食料が、あっという間になくなっていきました。


特に都市部では事態は深刻で、栄養不足で命を落とす人まで出始めます。


年間9000人もの命が失われるという、悲しい現実がありました。



一番の被害者は、子どもたち

この食糧難で、一番大きな被害を受けたのは、育ち盛りの子どもたちでした。


当時、食べ物といえば、栽培しやすいサツマイモやじゃがいも、かぼちゃなどが中心でした。


でも、育ち盛りの子どもたちが食べるには、量が圧倒的に足りません。


栄養も偏ってしまいます。 多くの子どもたちが、深刻な栄養不足に苦しんでいたのです。



「日本の子どもたちを救いたい」 海を越えた一手

そんな日本の状況に、遠いアメリカで心を痛めていた一人の日本人がいました。


彼の名前は、浅野七之助(あさの しちのすけ)さん。


もともと日本で新聞記者として働いていましたが、特派員としてアメリカに渡り、そのまま定住していました。


アメリカ在住の日本人向けに、日本語の新聞を作る仕事に従事していたそうです。




戦争が始まると、七之助さんも含め、多くの日本人や日系人が強制収容所に送られるという過酷な経験をします。


やがて終戦を迎え、収容所を出た七之助さん。 彼は、故郷・日本で「子どもたちが餓死している」という衝撃的な現実を知ります。


「なんとかして、日本の子どもたちを救いたい」


七之助さんはすぐに行動を起こします。


昭和20(1945)年9月、サンフランシスコで新聞記者仲間に声をかけ、新しい新聞社を設立。


翌年発行された創刊号で、日本の深刻な食糧難を伝え、広告欄に「寄付」を呼びかける文章を載せたのです。




この呼びかけは、多くのアメリカ在住日本人や、アメリカの教育団体の心を動かしました。


「七之助さんの活動を支援したい」という声が多数寄せられ、新聞の購読者は激増。 たくさんの寄付金が集まりました。



「ララ物資」と「脱脂粉乳」

集まった寄付金で、七之助さんは日本へ食料や生活用品を送る活動を始めます。


この活動は「日本戦災難民救済運動」と呼ばれ、やがて全米に広がる大きな支援の輪となりました。


新聞発行から半年後には、なんと9万5千kgもの食料が日本に送られたそうです。


この支援は「ララ物資」と呼ばれ、その後6年間も続けられました。


戦後の復興を目指す日本にとって、本当に大きな支えとなったのです。


さて、このララ物資の中には、子どもたちの栄養不足を改善するための「脱脂粉乳(だっしふんにゅう)」が含まれていました。




牛乳から脂肪分と水分を取り除いた粉末で、たんぱく質やカルシウムが豊富な、栄養価の高い食品です。


主に、子どもたちの給食として配られました。



「まずい…」 悪名高き脱脂粉乳

しかし、当時の子どもたちにとって、この脱脂粉乳はとても評判が悪かったのです。


当時の脱脂粉乳は、脂肪分を抜いているため味がほとんどありません。


口に入れるとザラザラとした食感が強く、お世辞にも「おいしい」とは言えませんでした。


さらに、温める際に鍋底が焦げ付いたニオイが移ったり、船で運ばれる間に湿気で劣化したりして、独特の臭みまであったそうです。


「口に入るものなら何でも食べた時代」だったにもかかわらず、「脱脂粉乳だけはまずかった」という声が続出するほどでした。



愛情から生まれた「白シチュー」

せっかくの栄養源である脱脂粉乳。 「なんとかして、子どもたちにおいしく食べてもらいたい」 当時の大人たちは、そう考えました。


そこで生み出されたのが、今のクリームシチューの原型となった「白シチュー」です。


詳しい資料は残っていませんが、当時のレシピを見ると、脱脂粉乳をおいしくアレンジするために考案されたことがわかります。




ただお湯に溶かすのではなく、小麦粉でとろみをつけました。


そして、魚やお肉、野菜などを一緒に入れることで、独特の臭みを抑える工夫をしたのです。


この「白シチュー」は、脱脂粉乳をそのまま飲むよりも遥かに美味しかったため、子どもたちに大好評!


やがて、給食の人気メニューとなっていきました。



給食から、日本の食卓へ

そして昭和41(1966)年。 「あの白シチューを家庭でも簡単に作れるように」と、ある食品メーカーがクリームシチューの「ルー」を開発・発売しました。




これが大ヒット!


給食で親しまれた優しい味わいは、あっという間に日本中の家庭に広まっていきました。



まとめ

クリームシチューが生まれた背景には、「日本の子どもたちを救いたい」という浅野七之助さんの熱い想いがありました。


そして、届けられた脱脂粉乳を「なんとかおいしく食べさせたい」という、当時の大人たちの深い愛情と工夫がありました。


今度クリームシチューを食べる時、ぜひこの心温まる物語を思い出してみてください。


いつものシチューが、もっともっと美味しく、あたたかく感じられるかもしれませんね。


ちなみに、現在スーパーなどで売られている脱脂粉乳(スキムミルク)は、製造方法などが格段に進歩しています。


昔とは比べ物にならないほど美味しくなっているので、ご安心ください!



結論


というわけで、


「クリームシチューってそもそもなんで出来たの?」は、


「アメリカにいた一人の日本人が日本の子どもたちを救いたいと思ったから」


でした。
 



解説してくれたのは



解説は食文化研究家の畑中三応子さん。





(大学HPより)








(Wikipediaより)




今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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