今回は、2020年1月24日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽新聞の4コマ漫画・鍾乳洞の秘密・福山雅治が叱られる?のお話。
なんで新聞に四コマ漫画があるの?
確かに子供のころから、テレビ欄と4コマ漫画だけ見てた記憶が、、
なんで新聞に四コマ漫画があるの?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、新聞を毎日読んでそうなインテリ系の大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、ニュースキャスターの雨宮さんが回答者に。
チコちゃん「なんで新聞に四コマ漫画があるの?」
雨宮さん「Jesus!」
雨宮さん「続き物のストーリーだとストーリーを追いかけるのが大変だから。」
正解に至らず叱られちゃいました。
岡村さん「四コマ漫画がある事で子どもの読者にも新聞を読むという習慣をつけられるから。」
こちらも正解に至らず。
街頭インタビューでも正解なし。
チコちゃんの答えは、「すさんだ気持ちを和ませるため。」
福山さん「世界中そうなんですか?」
チコちゃん「世界中は知りません。」
すさんだ気持ちを和ませるため
昔から新聞には、滑稽な絵やイラストというものは存在。
しかし、四コマのようにコマ割りした漫画は新聞が最初。
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現在のような日刊新聞が誕生したのは1871年。
当時の記事は活字がほとんど。
絵が載っていたとしても記事を説明するための挿絵だけ。
その後、多くの読者の興味を惹きつけるために、活字抜きでも一目で意味が伝わる面白い絵が掲載するように。
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その中で現在の四コマ漫画に通じる元祖的な絵が描かれるようになります。
「無限の運動 (PERPETUAL MOTION.)」
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床に座ってお辞儀をし合っている2人。
頭を上げるタイミングがずれて、お辞儀を繰り返す絵。
その後、徐々に新聞漫画は人気に。
当時、新聞を読んでいたのは大人の男性。
この娯楽性の高い漫画のおかげで徐々に女性や子どもたちにとっても読み物として身近な存在に。
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日本初の4コマまんが誕生
1923年に東京朝日新聞が日本初の四コマ漫画「正チャンの冒険」の連載をスタート。
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勇敢な少年「正チャン」が様々な冒険をするという内容。
1923年といえば関東大震災直後。
その第一話の内容。
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震災のガレキを前にして正チャンが死んでしまったのではないか?と心配する2人の男性。
元気な正チャンがやってきて、正チャンが生きていた事に喜んで胴上げ。
やがて正チャンが「ホントに不思議な冒険でした。」で終了。
このように続き物のストーリー。
現在の新聞の四コマ漫画が一話完結型が多いのに対して、正チャンの冒険は連載物。
実はこのストーリーが続くというのが斬新で、人気がでたそう。
正チャンが被っているニット帽が、正チャン帽と呼ばれて当時の大ブームに。
当然発行部数も右肩上がり。
震災直後という事で暗いニュースが多い中、正チャンの冒険は人々の癒しになっていました。
これ以降、人々のすさんだ気持ちを和ませる存在として新聞に四コマ漫画が掲載。
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後にサザエさん、フクちゃん、コボちゃん、アサッテ君など。
37年続くコボちゃんの読売新聞の担当者を取材。
コボちゃんはファミリー漫画なのでほのぼのとした話題が多いのが特徴。
暗いニュースも多い中、読者を和ませる役割を担っているというお話。
作者の植田まさし先生は、新聞掲載の前日に題材やテーマを決めて描かれます。
原稿は掲載前日の午後4時に届くそう。
尾高館長セレクト傑作四コマ漫画
VTRでは、小沢仁志さんに読んでもらって気持ちが和むのか検証。
フクちゃん
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小沢さん「ふふっ!」
小沢さん「クーラーかけりゃいいじゃねぇかよ!」
フジ三太郎
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小沢さん「走ってるだけやんけ! お父さんと競走」
明らかに笑みが。
小沢さん「失笑ってやつだよ。」
コボちゃん
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小沢さん「なんなの?これ。」
完全に笑っています。
このコボちゃんの漫画は2011年の東日本大震災の翌日に掲載。
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日本中が悲しみに包まれる中であえて平和な日常を描く事で人々の気持ちを和ませたいと願った名作。
コボちゃんの作者、植田まさし先生登場
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スタッフ「どんな思いで描いているのですか?」
植田まさし先生「和ませるっていうのは大事なことで、朝見てみんなが気分よく家を出て行かれるような感じの漫画を描こうと思ってます。」
植田先生「震災の時に漫画をどうするか?どうやって描くか?って事は迷いましたね。そういう時だからこそ漫画を描いて安らぎを与えるじゃないですけど、そういうものが必要なんじゃないかって。」
記念としてチコちゃんの直筆イラスト。
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結論
というわけで、
「なんで新聞に四コマ漫画があるの?」は、
「すさんだ気持ちを和ませるため」
でした。
塚原アナから補足
植田まさし先生は毎朝10時に起きて翌日掲載される漫画の内容を考え始めるそうですが、ネタが出てこなかった事は一度も無いとの事。
解説してくれたのは
日本新聞博物館の尾高泉館長。
日本新聞博物館
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概要・沿革
ニュースパーク(日本新聞博物館)は、日刊新聞発祥の地・横浜で、日本新聞協会が運営する情報と新聞の博物館です。デジタル化の急速な進展により大量の情報があふれる今、私たちには、情報を見きわめる力が求められています。その中で、新聞は長い歴史を通じて、確かな情報を届けるために日々努力を重ねてきました。当館の展示から、情報社会と新聞・ジャーナリズムの役割について、考えていただければ幸いです。
沿革
1987年9月 日本新聞協会の理事会が、新聞博物館設立の準備を進めることを承認
1987年10月 日本新聞協会の小林與三次会長(当時)が新聞大会でのあいさつで「新聞博物館」設立構想を提案
1991年2月 横浜市が、「横浜市情報文化センター」(仮称)の中核施設として「放送ライブラリー」とともに「新聞博物館」(仮称)を誘致していると発表
1995年11月 日本新聞協会の理事会が、新聞博物館とその併設施設の創設事業予算等を承認
1996年10月 博物館の名称を「日本新聞博物館」、愛称を「ニュースパーク(NEWSPARK)」とすることを決定
2000年3月 横浜情報文化センターが完成
2000年10月12日 開館
2004年2月 横浜高速鉄道「みなとみらい線」が開通、当館と日本大通り駅が直結
2016年7月 学校団体の利用を意識し、情報社会と新聞を重視した展示にリニューアル。2階・企画展示室、3階・常設展示室を中心とした構成に変更
2019年4月 歴史展示を拡充し、歴史と現代の両面から確かな情報の大切さと新聞の役割を学べる展示とする
(HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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