今回は、 チコちゃんに叱られる! ▽学校の怪談とは▽世界遺産の謎▽アイロンの不思議 初回放送日: 2023年7月7日の番組内容を紹介。
なんで世界遺産を決めるようになったの?
なんで世界遺産を決めるようになったの?
本日の最初の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、旅行が好きなステキな大人ってだーれ?」
この問題は、SHELLYさんが回答者に。
チコちゃん「世界遺産って知ってるわよね。」
チコちゃん「なんで世界遺産を決めるようになったの?」
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「世界が一つになった伝説の大プロジェクトが成功したから」
世界が一つになった伝説の大プロジェクトが成功したから
伝説の大プロジェクトとは、古代エジプト文明・ヌビアの遺跡群の一つである「アブ・シンベル神殿」の保護計画。
現在は湖のほとりに立っている巨大なアブ・シンベル神殿。
もともとは湖の底に沈む運命でした。
世界中の力を結集して今の場所に丸ごと移動させるという壮大なプロジェクト。
プロジェクトの舞台はエジプト・ナイル川流域。
毎年夏に起きるナイル川の氾濫。
肥沃な大地を作り出して文明の発展に貢献してきました。
しかし、水害によって人々の生活が脅かされるという負の側面も。
エジプト政府は氾濫を何とか抑えようと巨大ダムの建設を計画。
1960年にダム工事がスタート。
ダムが完成するとナイル川をせき止めることになります。
全長約500kmにも及ぶ超巨大なダム湖が形成されることになります。
そうなるとナイル川流域に連なって存在する数々の古代エジプト遺跡は湖の底に沈んでしまうことに。
そこで立ち上がったのがエジプトの文化大臣を務めていたサルワト・オカーシャ。
国際社会の協力で遺跡の保護が出来ないか?とユネスコに相談。
そこで、「世界文明は分かつことの出来ない人類全体の遺産である」というメッセージと共にヌビアの遺跡救済キャンペーンを展開。
遺跡移築の為の資金援助を世界に呼び掛けます。
支援金集めは苦戦。
そんな状況を打破しようとサルワト。
ツタンカーメンの秘宝を国外に持ち出しアメリカなどで古代エジプト文明の展覧会を開催。
エジプト文明の素晴らしさを積極的にアピールしました。
1965年には東京国立博物館でツタンカーメン展が開催。
ツタンカーメンの黄金のマスクをエジプト国外で世界初展示されました。
このキャンペーンは功を奏して日本国内の来場者は約293万人になりました。
ツタンカーメン展の収益金はヌビアの遺跡の支援金の一部として活用。
こうして4年で世界約50の国や地域の民間団体や個人から約4000万ドルの支援金を獲得。
現在の日本円にすると約330億円の金額になります。
世界的な盛り上がりを受けてエジプト政府も方針を変更。
遺跡保護のために工事費の3分の1を負担すると表明。
遺跡保護は順調に進みます。
そこで大きな壁として立ちはだかったのがアブ・シンベル神殿の移築工事。
その他の遺跡と違ってアブ・シンベル神殿は岩山をくり抜いて造られた洞穴の構造。
さらに神殿の場所はナイル川のすぐそばの地盤が弱い地域。
工事に伴って神殿が崩れやすいという悪条件。
さらに神殿の深部には神様とファラオ(王)の像が4体安置されていました。
毎年2日間だけ朝日が真っすぐ差し込むと4体の像を綺麗に照らすという自然現象と結びついた大仕掛けも存在。
これを移築先でも維持しないといけません。
巨大で崩れやすく、また、内側は複雑な構造と特殊な条件が。
アブ・シンベル神殿はこの遺跡保護プロジェクトの中心に。
そこでユネスコは世界に向けて神殿の保護に関するプロジェクト案を募集。
フランスは、巨大な壁で囲むプラン
これは氾濫が起こったらダメになるということで却下。
イギリスは水中博物館にするというアイデア。
これは、水中では、崩れて保存できないということで却下。
イタリアは油圧ジャッキで持ち上げるというプラン
こちらも無理があるということで却下。
スウェーデンが提案した遺跡を小さなブロックに切り分けて
安全な場所まで移動させるプランが採用。
こうして1964年4月に工事スタート。
川の水が神殿の目の前に迫るギリギリのタイミングで始まりました。
エジプト・スウェーデン・イタリア・フランス・ドイツの5か国から約2000人の技術者たちが集結。
イタリアの石切職人が遺跡をカット。
スウェーデンの製鉄技術を使って作られた精巧なノコギリで切断面を出来るだけ滑らかに。
世界中の知恵や技術が集まり工事期間2年で神殿は水没の危機を脱しました。
そして切り分けたパーツを安全な場所に移動。
その後はパーツを組み立てる作業に入りました。
工事開始から4年の時を経て1968年にアブ・シンベル神殿の移築が完了。
あの像を照らす朝日の条件も再現。
完成記念式典でサルワトは「国際協力の最高の象徴となった」とスピーチ。
この国際協力によって遺産を守ったという経験から、それぞれの国に存在する遺産は人類共通の遺産としてみんなで守るという考えが機運が。
その後もイタリア・ベネチア、インドネシア・ボロブドゥール寺院などでユネスコが中心となって世界中が協力して遺跡を守る活動が続きました。
1972年には世界遺産条約が採択。
2023年7月現在では全世界で1157件の世界遺産が登録。
世界遺産になるという事は「自分たちの宝物」から「人類共通の宝物」に
人類全体で守り続けていく責任を持つという意味になりました。
結論
というわけで、
「なんで世界遺産を決めるようになったの?」は、
「世界が一つになった伝説の大プロジェクトが成功したから」
でした。
解説してくれたのは
世界遺産アカデミーの宮澤光さん。
宮澤光
MIYAZAWA, Hikaru
NPO法人 世界遺産アカデミー主任研究員。
北海道大学大学院国際広報メディア研究科博士後期課程を満期単位取得退学。
仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。
國學院大学北海道短期大学部兼任講師を経て、
2008年より現職。
早稲田大学、跡見学園女子大学非常勤講師。
(HPより)
世界遺産アカデミーについて
世界遺産アカデミーでは、ユネスコ世界遺産の啓発活動を通して、社会に貢献することを目的に、世界遺産への理解と保全活動の輪がより大きなものとなるよう、世界遺産検定の実施をはじめ、世界遺産を調査・研究されている方々のセミナーや講演会、自治体や教育機関での生涯学習や専攻科目授業への講師の派遣、世界遺産に関係する方々への支援など、様々な活動を行なっています。また、会員の皆様には、世界遺産の啓発活動および世界遺産アカデミーの活動理念にご賛同いただき、ご協力いただいています。
法人名
特定非営利活動法人 世界遺産アカデミー
World Heritage Academy, NPO
設 立
2005年2月
代表者
【会長】愛知 和男
AICHI, kazuo, President of World Heritage Academy, NPO
所在地
〒100-0003
東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル9F
Palaceside Building 9F
1-1-1, Hitotsubashi, Chiyoda-Ward, Tokyo City, Japan
Zip:100-0003
事業内容
世界遺産検定(文部科学省後援)の主催・監修
イベント事業 企画・運営
講師養成派遣事業
各種メディア 監修・協力
会員向けサービスの提供
組織構成
※2023年7月現在※
役員・理事:11名
研究員:1名
常勤スタッフ:3名
法人・協賛団体会員:10団体
個人会員:255名
世界遺産アカデミー認定講師:301名(引退者を除く)
世界遺産検定マイスター認定者:575名
世界遺産スペシャリスト認定者:126名
◆参考:全国・都道府県別 WHA認定講師(登録者数全301名/2023年6月現在)
◆参考:全国・都道府県別 世界遺産検定 認定者数(2023年2月現在)
お問い合わせ
※テレワーク推進化のため、メールないしはFAX、
「お問い合わせフォーム」へのご連絡のご協力をお願い申し上げます。
E-mail:secretary@wha.or.jp
※メールでお問い合わせいただく際のお願い
FAX:03-6212-5022
世界遺産アカデミー お問い合わせフォーム
※世界遺産検定に関するお問い合わせは、世界遺産検定 事務局までお願いいたします。
【世界遺産検定 事務局】
フリーダイヤル:0120-804-302(平日10:00~17:00/土・日・祝休み)
世界遺産検定 お問い合わせフォーム
(Wikipediaより)
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