今回はチコちゃんに叱られる! ▽B級グルメの謎▽アロハシャツの謎▽ラジオの謎 初回放送日NHK総合テレビジョン12月12日(金)午後7:57を紹介。
B級グルメの「B級」ってなに?
B級グルメの「B級」ってなに?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、おいしい食べ物に詳しいステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「B級グルメの「B級」ってなに?」
チコちゃんの答えは、「2本立て映画の1本目」
2本立て映画の1本目
B級グルメの「B級」って何? 元祖はハリウッド映画のサバイバル戦略だった!
安くて手軽、そして美味しい料理を指す言葉、「B級グルメ」。
この言葉はすっかり定着し、地域おこしにも欠かせないキーワードとなっています。
しかし、この「B級」という言葉が、そもそも何に由来しているかご存知でしょうか?
そのルーツはなんと、1930年代のハリウッド映画業界の生存戦略にありました。
1985年に誕生した「B級グルメ」という言葉
青山学院大学の三浦哲哉教授によると、「B級グルメ」という言葉が一般的に使われるようになったのは、1985年に出版された『東京グルメ通信』が有力な始まりとされています。
この本の著者であるライターの田沢竜次氏は大の映画好きでした。
彼は、低予算ながらも独自の魅力を持った面白い映画を指す「B級映画」からヒントを得ました。
田沢氏は、同じような要素(安価、手軽、独特の魅力)を持つ料理に対して、「B級グルメ」と名付けたのです。
B級映画の「B級」とは? その起源
では、この「B級映画」の「B級」とは、元々何を指していたのでしょうか?
それは、かつてアメリカで主流だった「2本立て映画の1本目」を指す言葉でした。
A地域とB地域:撮影所の格差
1927年に世界初の音声入り映画『ジャズ・シンガー』が誕生し、映画業界はさらに発展しました。
この頃、ハリウッドの大手映画会社ウィリアム・フォックス社は、最新設備の大規模な撮影所(後のA地域)を建設しました。
一方、それまで使われていた小規模な撮影所(後のB地域)も、低予算映画の製作のために残されました。
新しい撮影所をA地域、古い撮影所をB地域と区別して呼ぶようになり、ここで作られた映画も、高予算のAピクチャー、低予算のBピクチャーと呼ばれるようになりました。
大恐慌を救った「2本立て戦略」
このBピクチャーという業界用語が、一般に広まるきっかけは1929年の世界大恐慌でした。
経済危機により、アメリカの人々は苦しい生活を強いられ、映画の観客数は激減してしまいました。
映画業界が衰退の危機を迎える中、観客を再び呼び戻すために採られた戦略が「2本立て映画」です。
2つを見比べてみると、
Aピクチャー(メイン)
高予算、有名監督・俳優を起用。
上演時間90分以上。
『オズの魔法使』、『風と共に去りぬ』など、万人受けするミュージカルやラブロマンスが主流。
Bピクチャー(前座)
低予算、短期間(最短5日〜2週間)で仕上げられる。
上演時間60分程度。
ホラーや犯罪映画など、Aピクチャーでは扱われないアイデア勝負のストーリーが特徴。
同じ場面を違う映画で使いまわすとか、暗闇を多くすることで、背景を省略するなど、様々なアイデアが、
1本の料金で豪華なAピクチャーとアイデア豊富なBピクチャーの2本が見られるお得感をアピール。
映画業界はV字回復を遂げ、ハリウッド黄金時代へと突入しました。
日本へ伝播し、言葉だけが残る
2本立て映画が広く認知されるにつれて、観客側も前座扱いされる1本目をBピクチャー、メインの2本目をAピクチャーと呼ぶようになりました。
この言葉は日本にも伝わり、Aピクチャー=A級映画、Bピクチャー=B級映画という言葉が誕生しました。
1948年の日本の映画雑誌にも、既に「B級映画」という用語が登場しています。
その後、2本立て映画のシステムは徐々に消滅し、本来の意味でのB級映画はなくなってしまいました。
しかし、B級映画が持っていた「低予算ながらもアイデア勝負で面白い」という精神だけが残り、それが現代の「B級グルメ」へと転じて今に至るのです。
B級グルメのルーツには、ハリウッドの映画製作者たちが知恵と才覚で不況を乗り切ろうとした、熱いサバイバル物語が隠されていたのですね。
結論
というわけで、
「B級グルメの「B級」ってなに?」は、
「2本立て映画の1本目」
でした。
解説してくれたのは
解説は青山学院大学の三浦哲哉教授。
三浦 哲哉(みうら てつや、1976年 – )は、日本の映画批評家。青山学院大学文学部教授。博士(学術)。
三浦 哲哉
(みうら てつや)
人物情報
生誕 1976年(48 – 49歳)
国籍 日本の旗 日本
出身校 一橋大学社会学部
東京大学大学院総合文化研究科
カン大学大学院
学問
研究分野 映画研究
表象文化論
研究機関 青山学院大学
学位 博士(学術) (東京大学)
学会 表象文化論学会
日本映像学会
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経歴
福島県立安積高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業、フランス・カーン大学大学院DEA課程映画演劇コース修了、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了、博士(学術)[3][4][5]。
日本学術振興会特別研究員を経て、2013年から青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。2021年から同教授[6]。2015年度映画美学校批評家養成ギブス講師[7]。
また、2011年より日本各地で開かれている[8]映画上映とトークのプロジェクトImage.Fukushimaの代表を務める[9]。2012年、著書『サスペンス映画史』が刊行される[10]。
著書
(Wikipediaより)
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