今回は、2019年5月10日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」のお話。
交換した野球のボール、そのあとどうなる?
たしかに、野球でよく交換しているのを見ます。
あのボールはどうなるんだろう?
交換した野球のボール、そのあとどうなる?
本日の2問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、スポーツ観戦が似合うステキな大人ってだーれ?」
ということで、岡村さんが自ら挙手して回答者に。
野球の試合中に、ピッチャーがワンバウンドしボールを交換することなどについて話題。
チコちゃん「交換された野球のボールはその後どうなるの?」
岡村さん「一回業者に渡ります。キズが付いたり、イレギュラーしたりするとピッチャーとかそこにちょっと指かけたりするとすごい変化球とか投げれてしまうから。」
岡村さん「ピヨピヨ音」(正解マーク)
チコちゃん「つまんねーヤツだな~。」
岡村さん「チコった (正解した)!?」
チコちゃん「全員ペン持って!」
チコちゃん「野菜の「なす」を漢字で書いて!」
正解は、「茄子」
若村さん以外、間違って、叱られちゃいました。
バッティングセンターでインタビューするも正解なし。
ナレーション「自分がプロ野球選手だったらと妄想して、高級外車に乗り、女子アナ結婚。そして戦力外通告に怯えている男性のみなさん。あなたはそんなタマじゃありません。」
チコちゃんの答えは、「公式戦で二度と使われない」
チコちゃん「はい。岡村、正解。チコりましたでございます。」
これまでNHKの有名番組(例えばダーウィンが来た!やNHKスペシャル)に協力を依頼。
10連休を絶対に休みたいとスタッフ。
プロ野球の細かい部分を取り上げて徹底的に語り合うというNHKの人気スポーツ番組の「球辞苑」に情報提供を依頼。
しかし、球辞苑スタッフから返信が。
「お世話になります。NHKエンタープライズの江刺です。このたびはご連絡ありがとうございます。ボールの交換について、たいへん興味深いテーマですね。ぼーっと生きてきたので、ぜひ知りたく思います。」
チコちゃん「聞き返されちゃった。」
ナレーション「知りたく思います?安易な番組作りがバレてしまったのかブーメランとして戻って来てしまった形に。10連休は淡路島に行って今が旬の新玉ねぎを堪能するハズだったディレクター。」
いうことで気を取り直してと取材に。
公式戦で二度と使われない
ピッチャーはボールを交換する権利を持っています。
ルールブックである公認野球規則にボールの交換条件として、下記3つ。
1.ボールがプレイングフィールドの外に出た場合。
2.ボールが汚れた場合、あるいはボールがなんらかの理由で使えなくなった場合。
3.投手がボールの交換を求めた場合。
たった一度ワンバウンドしただけで交換してもよいの?
ワンバウンドすれば必ず土が付いたりボールに傷が付くので交換するのが普通。
球全体のバランスが崩れて回転が変わってきてしまうから。
そのため、自分が思うようにコントロールするには綺麗なボールの方が適しています。
交換できるものならどんどん交換したいのがピッチャー心理とのこと。
このあと、元巨人軍の堀内恒夫さんと、横浜DeNAベイスターズの井納翔一投手のそれぞれのボール交換の見解について意見。
堀内さんは、あんまり変える必要がないという意見、井納選手は、ワンバウンドでもすぐに交換派。
どれぐらいの数のボールが交換される?
公式試合1試合で交換されるボールの数は大体120球。
セパ両リーグ合わせて1日6試合、1シーズンに143試合が行われます。
年間で交換されるボールの数の総数は、10万2960球。
交換後のボールはどうなる?
ボールボーイに回収された後に箱に入れて保管。
球団広報によると、交換後のボールは公式戦では二度と使えません。
練習球として使用されたり、チームのグッズとしてファンサービスのプレゼント用に使われたりするそう。
横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手への取材申し込み
チコちゃん「行ったの!?(取材)でっきる?でっきる!頑張りなさい!行きなさい!」
筒香嘉智選手登場。
チコちゃんは真っ赤になって、大喜び。
スタッフ「チコちゃんはご存知ですか?」
筒香選手 「はい。知ってます。」
チコちゃん「あら!知ってくれてる!」
筒香選手 「チコちゃんのおかげで色んな方から連絡いただけますし。」
筒香選手 「僕の事言っていただいて本当に嬉しいです。」
岡村さん「チコちゃん!これ始球式あるで!」
結論
というわけで、
「交換した野球のボール、そのあとどうなる?」は、
「公式戦で二度と使われない」
でした。
補足
交換したボールの再利用法については球団によって異なる場合があります。
解説してくれたのは
解説は審判歴23年、元プロ野球審判員の山崎夏生さん
山崎夏生さん
山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 – )は、新潟県高田市(現:上越市)出身の元プロ野球審判員。
高田高卒業後、1浪して北海道大学文学部国文科に進む。大学在学中は、札幌学生野球連盟加盟の硬式野球部で投手兼内野手を務める。プロ野球選手を目指していたが、怪我の影響で4年次の1年間は活躍できず断念する。
大学卒業後、1978年に日刊スポーツ新聞社に入社。希望した記者職ではないことに不満を持っていた頃、日本シリーズを見て審判という仕事を知る。採用を求めてパ・リーグ会長と面会したものの審判経験がないことなどから断られるが、1981年に退社し現役審判(前川芳男)に指導を受けるなど一から勉強して再度会長に採用を求めた結果、特例で審判部のトレーニングを受けられることになった。その後パシフィック・リーグ審判部のテストを受け合格。1982年に東京審判部に入局。
1年目の年俸は160万円で選手を含めた1000人の中で最少だったため、10年間はアルバイトもして家族を養っていた。4年目に入った頃、技量のなさに気付きジャッジに自信が持てなくなる。80%の力しか出せないなら120%の技量を持てばいいと考え練習を積み、15年目になってプロとしての技量が身についたと思えるようになったという[1]。
1987年5月23日、柏崎市佐藤池野球場の南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)対ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)7回戦で三塁塁審を担当。この試合は日没のため8回表の途中でサスペンデッドゲームとなっている。1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテ対近鉄(10.19)ダブルヘッダー第1試合で左翼外審。1989年10月12日西武球場(現・西武ドーム)で行われた近鉄対西武で近鉄ラルフ・ブライアントが2試合にまたがって4打数連続ホームランを放ったダブルヘッダー第1試合(4本のうち3本のホームランを放った試合)で三塁塁審。第2試合で右翼外審を担当した。
1991年5月10日、東京ドームで行われた日本ハムファイターズ対ロッテオリオンズ6回戦の7回、判定を巡って暴言を吐いたロッテ監督金田正一に対し、当時の最多退場記録となる8度目の退場処分を宣告した。
2005年に判定を巡って暴言を吐いたオリックスの監督仰木彬に退場を宣告し仰木は当時70歳3か月で退場者の最高齢記録を更新した。審判人生で日本最多となる17回の退場を言い渡している(2009年時点)。
2010年、地元新潟で開催されたオールスターゲームに塁審として出場し、10月1日のロッテ対オリックスの最終戦(千葉マリン)で三塁塁審を務めたのを最後に、定年により引退。2010年引退までの試合出場数は1451。オールスターゲーム出場3回(1993年、2007年、2010年)で日本シリーズ、パ・リーグプレーオフの出場はない。
2011年からは審判技術委員(関東)となり、2012年からは日本野球規則委員会委員に就任。
入局時1977年の初採用から1980年に指導員に転じたため返上するまで土井垣幸男がつけていた15をつけた(15は1999年採用から2004年退職まで岡田寛がつけ2006年~2010年まで鈴木章太が32から変更して継承していた。)が1999年にその年指導員に転じた元審判部長寺本勇が1977年の初採用からつけていた14を継承し引退する2010年まで付けた。
2018年をもって審判技術指導員を退職。
(Wikipediaより)
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