今回は、2020年1月31日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽横っ腹が痛くなる謎▽シールの魅力▽肉屋さんのコロッケのお話。
なんでマラソンをすると脇腹が痛くなるの?
確かに、走り始めは特に左わき腹が痛くなりますね。
なぜなんだろう?
なんでマラソンをすると脇腹が痛くなるの?
本日の4問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番スポーツをしている姿がステキな大人ってだーれ?」
最終問題ということで、岡村さんが立候補。
マラソンの話題。
チコちゃん「なんでマラソンをすると脇腹が痛くなるの?」
岡村さん「走るフォームの中で脇腹の筋肉が伸び縮みを繰り返して炎症を起こして痛くなる。」
チコちゃん「ズバリ、何km地点?」
岡村さん「28km地点!」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
街頭インタビューで、皇居のランナーに聞いても正解なし。
チコちゃんの答えは、「右の脇腹は肝臓が揺れて横隔膜を引っ張るから。左の脇腹は大腸の曲がった部分にガスがたまるから」
右の脇腹は肝臓が揺れて横隔膜を引っ張るから 左の脇腹は大腸の曲がった部分にガスがたまるから
人体は、左右で臓器の位置がちがいます。
そこで、左右の痛みの原因も違うということ。
右の脇腹の痛みについて
肝臓は右の脇腹に位置しています。
重さは大人で約1.5kg。
人間の体の中で最も重い臓器。
走るとこの肝臓が揺れて横隔膜と肝臓をつなぐじん帯が引っ張られます。
そして痛みを感じるとのこと。
左の脇腹の痛みについて
腸の中はガスがあります。
このガスは、飲み込んだり、腸の中で発生します。
通常であれば腸は蠕動(ぜんどう)運動がおこり、消化物やガスを送り出します。
しかし、走っている時は腸よりも筋肉に血液が集中。
そして、この蠕動運動がストップ。
左の脇腹には大腸の大きな曲がり角。
その部分に軽いガスが溜まり、痛みが発生。
MRI画像で確認。
走った後。
腸には神経が集中していて、ガスで大腸が膨らむと神経が刺激されて痛みになるとのこと。
脇腹の痛みについて対処法
右の脇腹の痛みを和らげるためには腹筋などのインナーマッスルを鍛えるのが最適。
左の脇腹の痛みについては、肋骨の下辺りを手で押さえてガスを逃がすように手助け。
または、左腕を挙げて腸の曲がり角を広げてやるのが効果的とのこと。
番組スタッフが検証
東京オリンピックの幻のマラソン東京コースを走り、脇腹がどこでいたくなるのか実験。
高校時代にアメフト部で全国大会出場経験がある担当Dが挑戦。
ADさんはスマホのGPS機能を使い、ディレクターがコースを外れないか社内のパソコン前で監視。
新国立劇場をスタートしてマラソン開始。
しかし、脇腹の痛みが発生しません。
そのうち膝の方が先に痛くなり、途中で終了となりました。
結論
というわけで、
「なんでマラソンをすると脇腹が痛くなるの?」は、
「右の脇腹は肝臓が揺れて横隔膜を引っ張るから 左の脇腹は大腸の曲がった部分にガスがたまるから」
でした。
塚原アナから補足
左の脇腹が痛くなる原因として、胃の下にある脾臓から筋肉に血液を送り出そうとして腫れて痛む事もあります。
解説してくれたのは
筑波大学附属病院 消化器内科の松井裕文史先生
松井 裕史(マツイ ヒロフミ; Matsui, Hirofumi)
所属
医学医療系
職名
講師
URL
http://www.md.tsukuba.ac.jp/clinical-med/matsui-GI/
eメール
hmatsui@md.tsukuba.ac.jp
電話
0298533466
研究分野
消化器内科学研究キーワード
消化器病学
酸化ストレス応答
2015-08 — (現在) 京都府立医科大学 特任教授
学歴
— 1987 筑波大学 医学専門学群 卒業
— 1992 筑波大学 医学研究科 生化系 修了取得学位
博士(医学) 筑波大学
(大学HPより)
筑波大学(つくばだいがく、英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市天王台一丁目1番地1に本部を置く日本の国立大学である。1973年に設置された。大学の略称は特にないが、筑波(つくば)、筑波大(つくばだい)などと呼ばれている。文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。広島大学と共に旧二文理大である。
大学全体
東京キャンパス文京校舎(2019年)
東京キャンパス大塚地区(2009年)
1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする、東京師範学校(のちの東京教育大学)が前身である。昌平坂学問所(昌平黌)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとして知られる。キャンパスが狭隘で分散していたため、1963年(昭和38年)8月27日に閣議決定された筑波研究学園都市への移転が議論され始めた。その後、教授会間の意見のずれや学生運動による入試中止等により、ますます大学改革議論が高まりを見せる。この結果、1973年(昭和48年)10月に新構想大学として東京教育大学を母体に発足した[1]。
筑波大学は筑波キャンパスの他に旧東京教育大学の敷地の一部も所管している。東京都文京区大塚の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、首都圏にある附属学校を統括する学校教育局と社会人対象の夜間大学院である大学院ビジネス科学研究科、法科大学院や各種研究センターを設置している。
国立科学博物館は1889年(明治22年)から1914年(大正3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、東京高等師範学校の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校(東京文理科大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校)を母体としており、さらに筑波大学になってからも2002年(平成14年)に図書館情報大学と統合するなど、様々な機関の歴史を背景にしている。
(Wikipediaより)
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