今回は、2020年2月14日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽道路標識の秘密▽ジーンズの青さって?▽石油の謎の番組内容を紹介。
道路標識に書いてある距離ってどこまでのこと
たしかに、どこどこまで、何キロとか書いてますよね。
正確には、どこまでの距離なんだろう?
道路標識に書いてある距離ってどこまでのこと
本日の2問目。
チコちゃん。「ねぇねぇ岡村、この中で一番、車をかっこよく乗りこなすステキな大人ってだーれ?」
岡村さん「私はもうオートマ限定ですので」
牧瀬さん「私もオートマ限定。」
三浦さん「すいません。僕もオートマ限定。」
なんだかんだで、牧瀬さんが回答者に。
道路標識の話題。
そして、目的地までの距離が書いてある青い道路標識を提示。
チコちゃん「道路標識に書いてある距離ってどこまでのこと?」
牧瀬さん「中心地。」
チコちゃん「もっと詳しく。」
牧瀬さん「県庁所在地?」
チコちゃん「県庁所在地のどこ?」
牧瀬さん「県長さんの部屋?」
チコちゃん「県知事の間違い?ボーっと生きてんじゃねーよ!」
その後、三浦さんにも聞いてみますが、正解なし。
八王子滝山の道の駅で聞いてみても正解なし。
チコちゃんの答えは、「基本役所の玄関でもときどき違うとこ」
基本役所の玄関でもときどき違うとこ
街の名前とそこまでの距離が書いてあるあの道路標識。
正式には「確認案内標識」。
方面と距離を案内する目的で設置されているもの。
確認案内標識は主に大きな町と町を結ぶ国道などに設置されています。
縦に3つ並んだ地名にはそれぞれランク付けが。
案内に掲載されている場所は「目標地」。
上から、
一番近い基準地 – 重要地の中でも特に中心的な都市
一番近い重要地 – 主に都道府県庁所在地や政令指定都市などの中心都市
一番近い主要地 – 大きな商業施設や病院、高等学校などがある市や町という順番。
これらの目標地は原則として「県庁、市役所、町村役場の正面玄関」に設定。
標識の立っている場所から道路に沿って役所の玄関(柏市の場合)までの距離のこと。
(※1km未満は四捨五入)
例外として役所が町の中心地から外れている場合(取手駅)は、目標地を駅や交差点に設定している事も。
確認案内標識に「東京」とあった場合の具体的な目標地は?
埼玉から東京へ。
東京に入ると、目標値は「日本橋」に。
詳しくは、「日本橋のド真ん中」。
東京・日本橋の道路のど真ん中には日本の道路の起点となる「日本国道路元標」が存在。
一番長い距離が表示されている確認案内標識について
石田教授に質問するも、手元にデータが無いので不明。
そこで、スタッフが、取材。
現地を実際に走ると、手間とコストがかかります。
そこで、Googleストリートビューで調査。
教授によると、
「全国に63か所ある基準地の距離同士が離れている場所ほど長距離が表示されやすい」。
そこで、距離が離れている新潟・東北方面に絞って調査。
新潟 245km
長野 128km
高崎 9kmの確認案内標識を発見。
さらに、
新潟 294km
富山 48km
高岡 22km
続いて
青森 370km
大船渡 27km
陸前高田 12km
遂に300km越え。
そして、
新潟 370km
秋田 96km
能代 35km
新潟に続く道でも370km発見。
北秋田市にある確認案内標識。
仙台 375km
宮古 114km
久慈 25km
岩手県洋野町にある確認案内標識。
そして、東北方面から、北海道へ。
最寄りのケーズデンキまで30km、45kmという看板を発見。
「この先 上川町(118km)までスタンドがありません。最後のスタンドです!」という看板。
「(Uターン)3400km」という看板。
宗谷岬から3400km離れた沖縄の宿泊施設の看板。
オーナーが日本一周をする旅人を応援するために設置されたものとのこと。
そして「江別市まで約40000km」
つまり地球一周分。
結局、北海道で発見した一番距離が長い標識は、
網走 322km
枝幸 117km
宗谷岬 27km
と
稚内 322km
紋別 105km
常呂 28km
とのこと。
結論
というわけで、
「道路標識に書いてある距離ってどこまでのこと」は、
「基本役所の玄関でもときどき違うとこ」
でした。
解説してくれたのは
筑波大学の石田東生名誉教授。
石田 東生 ISHIDA Haruo
筑波大学 名誉教授・特命教授
(前 筑波大学システム情報系社会工学域 教授)
専門:交通計画・国土計画・都市計画
学位:工学博士(東京大学,1982)
第3エリアF棟1033室内
MAIL:ishida[at]sk.tsukuba.ac.jp
(大学HPより)
筑波大学(つくばだいがく、英語: University of Tsukuba)は、茨城県つくば市天王台一丁目1番地1に本部を置く日本の国立大学である。1973年に設置された。大学の略称は特にないが、筑波(つくば)、筑波大(つくばだい)などと呼ばれている。
文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校である。
広島大学と共に旧二文理大である。
大学全体
1872年(明治5年)に日本で最初に設立された師範学校を創基とする、東京師範学校(のちの東京教育大学)が前身である。昌平坂学問所(昌平黌)を一部引き継ぐ形で設立された経緯もあり、その創立は日本で最も古い大学群の一つとして知られる。キャンパスが狭隘で分散していたため、1963年(昭和38年)8月27日に閣議決定された筑波研究学園都市への移転が議論され始めた。その後、教授会間の意見のずれや学生運動による入試中止等により、ますます大学改革議論が高まりを見せる。この結果、1973年(昭和48年)10月に新構想大学として東京教育大学を母体に発足した[1]。
筑波大学は筑波キャンパスの他に旧東京教育大学の敷地の一部も所管している。東京都文京区大塚の旧東京教育大学の本部敷地には東京キャンパス文京校舎(旧称:大塚地区)として、首都圏にある附属学校を統括する学校教育局と社会人対象の夜間大学院である大学院ビジネス科学研究科、法科大学院や各種研究センターを設置している。
国立科学博物館は1889年(明治22年)から1914年(大正3年)に「東京教育博物館」として再独立するまで、東京高等師範学校の附属機関として存在した。前身の東京教育大学は、4つの学校(東京文理科大学、東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校)を母体としており、さらに筑波大学になってからも2002年(平成14年)に図書館情報大学と統合するなど、様々な機関の歴史を背景にしている。
(Wikipediaより)
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