今回はチコちゃんに叱られる! ▽船名の謎▽なぜベルトを締める▽貴様は失礼? 初回放送日:2025年9月27日を紹介。
なんでベルトを締めるようになったの?
なんでベルトを締めるようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、おしゃれ着をばっちり着こなしているステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでベルトを締めるようになったの?」
チコちゃんの答えは、「暗殺事件を防ぐため。」
暗殺事件を防ぐため
ウエストポーチがルーツ? 私たちが締める「ベルト」に隠された波乱の歴史
普段、何気なく締めているベルト。ファッションアイテムとして、また、実用的な道具として欠かせない存在です。
実は、このシンプルなベルトにも、古代ローマ時代から現代に至るまでの、波乱に満ちた長い歴史が隠されていることをご存知でしょうか?
ベルトの誕生には、なんと要人暗殺事件や、ポケットの規制といった、意外な出来事が深く関わっていたのです。
古代ローマ:細いヒモから「頑丈なベルト」への進化
私たちが知るベルトの原形は、古代ローマ時代に普及したものだと考えられています。
当初は、服装を整える目的で、細い布ヒモが腰を締めるためのベースとなっていました。
しかし、この細いヒモが、徐々に太くて頑丈なベルトへと進化していくきっかけの一つが、古代ローマで多発した暗殺事件でした。
当時の古代ローマでは、権力者であったユリウス・カエサルの暗殺など、要人を狙った事件が数多く発生していました。
暗殺を防ぐための「ポケット規制」と「サクス」の登場
この時代、新しいファッションの流行は、古代ローマのお隣のペルシャなど中東から入ってくることが多かったそうです。
その一環として、ポケット付きの服が流行の兆しを見せ始めました。
ここで、古代ローマの権力者たちは困った事態に直面します。
暗殺事件が多発している中で、ポケット付きの服が流行してしまうと、凶器や毒物をポケットに隠しやすくなり、暗殺のリスクがさらに上がってしまうと考えられたのです。
そこで、古代ローマではしばらくの間、暗殺を防ぐ目的でポケットを規制することになりました。
ポケットが使えない古代ローマ人たちは、物を持ち運ぶために肩掛けカバンや手提げ容器などを使っていました。
しかし、これでは置き引きに遭ったり、強引に奪われたりする事件も少なくなかったようです。
また、古代ローマ人はお守りや、キリスト教の普及に伴う十字架など、肌身離さず持っていたいアイテムもありました。
やはりポケットがあった方が圧倒的に便利だと、多くの人が密かに憧れを抱いていました。
そこで彼らが考え出したのが、ウエストポーチのような小物入れを腰にぶら下げる方法です。これがサクスと呼ばれる小物入れです。
ベルトは「サクス」の重さに耐えるために誕生
このサクスを腰にぶら下げる際、従来の細い布ヒモでは、サクスの重さに耐えきれず、たるんでしまいます。
そこで、サクスの重さにしっかり対応できるように、太く頑丈なベルトをするようになりました。
これが、今日につながるベルトの原形の誕生に繋がったのです。
やがて、ベルトに付けたサクスで物を運び、要人警護が必要な場合は、暗殺を防ぐためにサクスを予め取り上げてセキュリティチェックをする、といった習慣も定着していきました。
こうして、太くて丈夫なベルトは古代ローマ時代に広く普及していったのです。
銃の普及で一時衰退、そしてアメリカで復活へ
しかし、このベルトとサクスのセットは、17世紀ごろになるとヨーロッパでは一度衰退していきます。
その大きな理由は、銃の普及でした。
この時代になると、ポケットにナイフを忍ばせるのは時代遅れとなり、離れた所から銃で狙撃するといった暗殺方法も行われるようになりました。
もはやポケットを禁止しても、暗殺を防ぐ効果が薄れてしまったのです。
ポケットの規制が緩むと、貴族や権力者はここぞとばかりにポケットに派手な装飾を施し、見せびらかすといった流行も生まれます。
サクスとベルトのセットは不要な存在になっていきました。
さらに、17世紀ごろのヨーロッパでは、ほとんどの人がピチピチのズボンを穿くのが主流となっていたため、ますますベルトは必要とされなくなりました。
サスペンダーが下着扱い? 軽装文化が生んだ大逆転
時代は流れ、19世紀半ば。今度はアメリカ南部で、ベルトが再び脚光を浴びます。
アメリカ南部では、当初、サスペンダーでズボンを固定し、その上にジャケットを羽織るスタイルが主流でした。
しかし、高温地帯だったこともあり、徐々に上着を省いた軽装へと変化していきます。
すると、サスペンダーが外から丸見えになってしまいます。
この時代のサスペンダーは「下着」という感覚が強く、それは相当はしたない格好だと見なされました。
その代わりとして白羽の矢が立ったのがベルトです。
ヨーロッパなどで、軍人が剣などを腰に提げるために付けていた軍隊用のベルトが、アメリカでも普及していました。
この軍隊用だったベルトを日常服にも用いるようになり、一気にベルトが普及していったのです。
こうしてアメリカで生まれた「ベルトでズボンを締める」スタイルが、世界中に広まり、現在のベルトへと繋がっていきました。
暗殺の危険、ポケットへの憧れ、そして文化的な恥じらい。
私たちが毎日締めているベルトには、人類の歴史と文化がぎゅっと詰まっているのですね。
最後に今日でも見られるジャケットのポケットのかぶせも昔の飾りの名残とのこと。
結論
というわけで、
「なんでベルトを締めるようになったの?」は、
「暗殺事件を防ぐため」
でした。
解説してくれたのは
服飾史研究家の辻元よしふみさん。
辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年(昭和42年) – )は、日本の服飾評論家、戦史・服飾史・軍装史研究家、翻訳家、ファッション・アドバイザー、ファッション・コラムニスト、詩人、エッセイストである。本名・辻元佳史。
2018年に導入の陸上自衛隊の制服(16式常装)改正にかかわり、山崎幸二・陸上幕僚長より陸上幕僚長感謝状を受けた。2019年から、陸上自衛隊需品学校の部外講師(軍装史学)。東京ベイカレッジ非常勤講師。防衛省職員・自衛官向けの専門紙「朝雲新聞」が「軍装史研究の第一人者」(2014年10月30日付)と評している。NHKなどのテレビ出演も多い。
経歴・人物
岐阜市生まれ。茨城県坂東市立岩井第二小学校、坂東市立岩井中学校、茨城県立下妻第一高等学校を経て早稲田大学卒。読売新聞社に入社。元日本現代詩人会理事。日本文藝家協会、国際服飾学会、服飾文化学会、軍事史学会会員。
1990年、村田正夫が主宰する潮流詩派に参加し詩人として活動開始。1996年以後は戦史・服飾史・軍装史研究家としての著作活動を始めた。近年は翻訳家としての活動も多い。服飾や軍服の歴史について、NHKや民放各局のテレビ番組に出演し解説。服飾史と軍事史に関する知識を駆使し、世界史的視点からの服装の変遷を考究し、ミリタリーウエアが今日の紳士服に与えている影響を独自の視点で説いている。単行本以外に中央公論新社の新書などで共同執筆しているほか、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、西日本新聞、日刊ゲンダイ、日刊スポーツ紙上に署名記事が見られ、河出書房新社、小学館、丸善、ワールドフォトプレス社、工作舎の刊行物などでも戦史と軍装史にかんする記事を書いている。近年は防衛省など省庁や企業の求めに応じて、服飾史や軍装史の研究に基づいたファッション・デザインの提案や企画の仕事を増やしている。
「スーパーロック詩人」というキャッチフレーズは三一書房の編集者が命名したという。「よしふみ」というひらがな表記は2004年ごろから。それ以前は本名の佳史だった。妻はイラストレーターの辻元玲子。義父(玲子の父)は文教大学元理事長で名誉教授の作曲家・田村徹。
元衆議院議員の辻元清美とは縁戚関係はないが、早大時代に「弟さんですか」とよく聞かれたという。
大学生時代には千葉県内の学習塾でアルバイトをしており、当時の一人称は「吾輩」。同時期にやはり早大に在学していたデーモン小暮閣下に口調が似ている、と生徒から言われたためだという。この塾の講師仲間に、後に靴職人となる柳町弘之がおり、ファッション関係の仕事を始めたときに再会してお互いに驚いた。
(Wikipediaより)
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