今回はチコちゃんに叱られる! ▽なぜビールかけ▽なぜハンコは赤▽なぜ腕組み 初回放送日:2025年10月3日を紹介。
なんでプロ野球の優勝チームがビールかけをするようになったの?
なんでプロ野球の優勝チームがビールかけをするようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ビールをよく飲むステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでプロ野球の優勝チームがビールかけをするようになったの?」
チコちゃんの答えは、「カールトン半田のせい。」
カールトン半田のせい
ビールかけ誕生秘話!プロ野球の「祝勝会」をガラリと変えた男とは?
プロ野球の優勝シーンといえば、何を思い浮かべますか?
歓喜の胴上げ?それとも…そう、ビールかけですよね!
選手たちがビールまみれになって喜びを爆発させる姿は、見ているこちらも気分がスカッとします。
でも、この「ビールかけ」って、いつ、どうやって始まったか知っていますか?
実は、その始まりには、ある一人の選手の大胆な行動があったんです。
今回は、その感動的な誕生秘話をご紹介します!
きっかけは1959年の「静かな祝勝会」
物語の舞台は1959年。
現在の福岡ソフトバンクホークスの前身である南海ホークスが、パ・リーグで優勝を決めた年です。
この年の南海ホークスは本当に強かった!
特にエースの杉浦忠投手は、驚異的な成績を残しました。
シーズン38勝4敗、勝率.905、防御率1.40という、まさに最強のアンダースロー。
彼の活躍で、チームは4年ぶりのリーグ優勝を掴み取ったのです。
優勝を決めた夜、宿舎のホテルで祝勝会が開かれました。
まさに努力が報われた瞬間。さぞかし大盛り上がりだろうと思いますよね?
ところが、意外にも会場は静かだったそうなんです。
食事とお酒を酌み交わす、ごく普通の宴会の雰囲気だったとか。
アメリカからの風!仕掛け人は「カールトン半田」
そんな静けさに、大きな疑問を抱いた人物がいました。
彼の名はカールトン半田。
日系アメリカ人2世としてハワイに生まれ、米マイナーリーグでプレー経験を持つ内野手です。
彼は前年に入団し、この優勝に貢献した一人でした。
カールトン半田選手が疑問に思ったのには理由があります。
本場メジャーリーグでは、優勝チームがシャンパンをかけ合う「シャンパンファイト」が恒例だったからです。
「日本でも、あんな風にどんちゃん騒ぎがあるものだ!」
彼はそう信じていたのに、目の前の光景はあまりにもおとなしい。
これにはガッカリしてしまったそうです。
NHK多分そうだったんじゃないか劇場「ルービーズ」
半田さん役は、野間口さん
悔しさを乗り越えた優勝の喜びを爆発させたい!
この優勝に至るまでのチームの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
前の年、南海ホークスは歴史的な大逆転を喫して優勝を逃すという、悔しい経験をしています。
その悔しさから、チームはユニフォームにラインを追加したり、ロゴを変えたりと、並々ならぬ決意でこのシーズンに臨みました。
だからこそ、掴み取ったこの優勝は、まさに渾身の喜びだったのです。
この大きな喜びを、ただ食事をするだけで終わらせたくない!
そう強く思ったカールトン半田選手は、大胆な行動に出ます。
祝勝会の場で、突如として優勝の立役者である杉浦忠投手にビールをかけたのです!
紳士も思わず「悲鳴」!ビールかけの連鎖
真面目な人柄で「球界の紳士」とも呼ばれていた杉浦忠投手。
突然の出来事に、一瞬はあっけにとられたことでしょう。
しかし、そのビールが、抑えられていたチームの喜びの導火線に火をつけました。
すぐに他のチームメイトも騒動に加わり、祝勝会は一気に大盛り上がりに!
部屋一面がビールの洪水になったと言われています。
特にエースの杉浦投手にはビールの雨が集中したそうで、流石の紳士も悲鳴を上げたという記録が残っているほどです。
もちろん、ホテルの大広間がビールまみれになったことに、ホテル側は激怒したと想像できますね…。
喜びの文化は受け継がれていく
この前代未聞の騒ぎこそが、日本のプロ野球におけるビールかけの始まりだったのです。
この出来事をきっかけに、ビールかけは日本のプロ野球に根付いていきました。
翌年の大洋ホエールズのセ・リーグ優勝の時には、既にビールかけが行われたという記録があるそうです。
その後は、ホテルではなく屋外など、場所を用意して行われるようになり、今日のスタイルへと繋がっていきました。
カールトン半田選手の「喜びを分かち合いたい!」という純粋な気持ち
メジャーリーグで見た自由な祝賀スタイルへの憧れが、日本のプロ野球に最高の祝勝文化をもたらしたんですね。
ビールかけは、ただの騒ぎではありません。
それは、厳しいシーズンを戦い抜いた選手たちが、心の底から喜びを爆発させる、感動的な文化なのです。
次に優勝チームがビールかけをするのを見たら、ぜひこの素敵な誕生秘話を思い出してくださいね!
いかがでしたか?プロ野球の歴史の裏側には、面白いエピソードがたくさん隠されています。
皆さんは、このエピソードからどんなことを感じましたか?
結論
というわけで、
「なんでプロ野球の優勝チームがビールかけをするようになったの?」は、
「カールトン半田のせい」
でした。
解説してくれたのは
名城大学の鈴村裕輔准教授
鈴村 裕輔(すずむら ゆうすけ、1976年7月1日 – )は、野球史研究家、法政大学国際日本学研究所客員学術研究員、博士(学術)。
東京都生まれ。東京都立青山高等学校、法政大学文学部哲学科、同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程、同国際日本学インスティテュート社会科学研究科政治学専攻修士課程および同インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士後期課程修了。2008年3月に法政大学より博士(学術)の学位を授与される[1]。
高校在学時から藤澤文洋に師事してアメリカ野球の研究を行い[2]、1997年に『オールタイム大リーグ名選手101人』(日本スポーツ出版)にオジー・スミスの項目を担当して執筆活動を開始する。
以後、研究・執筆活動を行う傍ら、2003年には大リーグ公式ライセンスサイトMAJOR.JPにコラム「いま話題の選手たち」を連載し、2004年にはスカイパーフェクTV!の大リーグ中継解説者を務めた。現在、パンチョ伊東、八木一郎の第1世代、藤澤文洋、福島良一の第2世代につづく第3世代[3]としてメジャーリーグを題材にした活動を行い、事実上野球文化論では池井優の後継者となっている[4]。雑誌『体育科教育』(大修館書店)でコラム「スポーツの今を知るために」などを連載している。
(Wikipediaより)
名城大学(めいじょうだいがく、英語: Meijo University)は、愛知県名古屋市天白区塩釜口一丁目501番地に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は名城(めいじょう)、名城大(めいじょうだい)。
9学部11研究科を擁する中部圏最大の総合大学である。学生数1万5000人を超える文理融合型総合大学。大学院独立研究科として総合学術研究科、大学・学校づくり研究科、法務研究科を設置している。 愛知県名古屋市中村区に附属高校を有する。 2014年に名城大学の赤﨑勇教授がノーベル物理学賞を受賞したことにより、2015年度の名城大学の入学志望者が急増して、入試難易度も上昇した。[1]
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
他の記事もよろしくね。