今回は、2020年7月31日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!「▽牛肉と豚肉どっち?▽マリモのなぞ」の番組内容を紹介。
お肉といえばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?
確かに関西でお肉といえば牛、関東では豚ですね。
なぜなんだろう?
お肉といえばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?
本日の4つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、料理にこだわりがあるグルメな大人ってだーれ?」
本日、まだ最初に答えていない岡村さんが回答者に。
「肉じゃが」の話題。
チコちゃん「肉じゃがに入るお肉は牛か豚か、どっち?」
岡村さんは、関西人ですので、牛!
チコちゃん「お肉といえばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?」
岡村さん「穫れ高!」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
中川さんと小堺さんに聞くも、正解に至らず。
関西の精肉店と関東のトンカツ店で、「牛」vs 「豚」について熱いリモート議論のVTR。
実際に総務省の家計調査で西日本は牛肉好きの傾向が強く、東日本は豚肉好きの傾向。
「肉じゃがに使う肉は?」という質問でも同様。
チコちゃんの答えは、「西が公家で東が武士の社会だったから。」
西が公家で東が武士の社会だったから
西=牛肉、東=豚肉という違いは公家と武士が生活の中で使っていた動物に由来。
平安時代
1400年前の飛鳥時代から平安時代。
都は奈良・京都で、公家が中心の社会。
当時、仕事をしてくれる動物は牛。
牛は縄文から弥生時代に水田技術とともに伝わりました。
パワーがあってゆっくり動くために人が扱いやすい。
そのため、農耕や移動を手伝う動物として重宝。
これが東日本に広まらなかったのは、運ぶ輸送手段がなかったから。
日本アルプスに代表される高い山々や静岡を流れる天竜川、大井川、安倍川といった大きな川が沢山存在していました。
また、関東は富士山の火山灰が積もる痩せた土地。
草木が少ないので大量に牧草を必要とする牛が育てられない環境。
鎌倉時代
政治の中心は関東の鎌倉へ。
そこで武家社会が発達。
この時に移動手段などで重宝されたのは馬。
戦場でも活躍する馬は最も早い移動手段。
さらに牛に比べて胃袋が小さい馬は草の少ない関東でも飼育可能で農業にも使用。
鎌倉時代の書物には、馬の産地は東日本、牛の産地は西日本に多いと記載あり。
そうなると牛や馬を食べる習慣もありそうですが、これらの動物は食用ではありませんでした。
日本では飛鳥時代に伝わった仏教の影響が色濃く、動物(牛馬犬猿鶏)を食べるのは禁忌。
飛鳥時代~明治時代までの1200年間は日本は基本的に食肉禁止。
この為に西日本=牛、東日本=馬という生活が定着。
豚は一体どこへ?
豚が日本に入って来たのは戦国時代。
沖縄と九州の間の島々に伝わったのが最初。
当時は数が少ない上に、島と本土では交流があまりされていませんでした。
そのため、豚を食べる文化は、本土には伝来せず。
さらに生活に役立つ牛や馬と違い、農耕や移動手段としては使えなかった豚はあまり定着しませんでした。
ところがこの食肉文化に大きな変化が到来。
江戸時代末期
開国によって日本に外国人がやってきました。
食肉文化が普通の外国人たちは日本で肉料理を食べます。
この食肉は文明開化の象徴として横浜などで流行。
1862年には横浜に日本初の牛鍋屋である伊勢熊が開店。
また、福沢諭吉先生が牛肉は滋養に良いと書いたこともあり、牛鍋が大流行。
こうして日本中に牛肉を食べる文化が根付く事に。
明治5年(1872年)に政府主導の下で西洋式の養豚が開始
しかし、まだまだ豚肉は定着せず。
その後、二つの戦争が起こりました。
1894年の日清戦争と1904年の日露戦争。
この時、軍隊の食料に採用されたのが牛肉の缶詰。
軍が牛肉を片っ端から買い占めてしまったために品薄状態。
牛肉の価格が高騰!
西日本は牛の産地として残りましたが、東日本では牛の姿が消失。
この時に急浮上したのが豚。
豚は雑食性の動物で、残飯が多かった都市部が豚の飼育に適していました。
さらに豚肉料理の定番であるカツレツ、トンカツが誕生。
豚肉の需要はうなぎ登りに!
そして豚肉の定着を決定付けたのが1945年に終戦を迎えた日本の食糧事情。
国民に対して栄養価の高い食料を提供しようとする動きで、豚肉が利用。
豚は食肉に育つまでに約6か月と牛の5分の1。
さらに年に20~30頭を生む繁殖力も大きな理由。
こうして、茨城や千葉に次々と畜産試験場が建てられます。
こうして安くて大量生産できる豚が東日本に広まっていく事に。
これが西日本にまで広まらなかったのは?
既に牛の文化が長い間定着していた西日本では豚が入り込む余地がなかなか無かったから。
結論
というわけで、
「お肉といえばなんで西日本は牛肉で東日本は豚肉なの?」は、
「西が公家で東が武士の社会だったから」
でした。
解説してくれたのは
静岡県立農林環境専門職大学の祐森誠司教授
祐森 誠司 教授 (Seiji Sukemori)
生産環境経営学部
学位
農学博士
主な授業科目
家畜飼養学(必修)
担当専門科目
飼料総論(選択)
(大学HPより)
静岡県立農林環境専門職大学(しずおかけんりつのうりんかんきょうせんもんだいがく)は、静岡県磐田市富丘678-1に本部を置く日本の公立大学である。専門職大学では初の農林系。静岡県立農林環境専門職大学短期大学部とともに「アグリフォーレ」を愛称としている[1]。
4年制の生産環境経営学部が設置されており、初年度は27人が入学した[1]。
多彩で高品質な農林産物を生産する本県農林業の基盤である栽培、林業、畜産の各分野の経営を牽引していくことができる高度な実践力と豊かな創造力を備え、各分野の経営体において中核を担う人材であるとともに、自らが農林業を営む農山村の自然環境や景観の保全、伝統・文化の継承などについて学び、農山村の地域社会における将来のリーダーとして、それらを守り育んでいくことができる人材を養成する[2]。
沿革
本学の沿革[3]を参照。
1949年(昭和24年)4月 – 静岡県立農業講習所を開設。
1970年(昭和45年)4月 – 農業講習所に静岡県立農業中央専門研修所を併設。静岡県立林業講習所を開設。
1971年(昭和46年)4月 – 農業講習所を農業中央専門研修所へ統合。
1974年(昭和49年)4月 – 農業中央専門研修所と林業講習所を、静岡県立農業短期大学校および静岡県立林業短期大学校に改組。
1980年(昭和55年)4月 – 農業短期大学校と林業短期大学校を統合し静岡県立農林短期大学校を設置。
1999年(平成11年)4月 – 農林短期大学校を静岡県立農林大学校に改組。
2020年(令和2年)4月 – 農林大学校を母体として、静岡県立農林環境専門職大学および静岡県立農林環境専門職大学短期大学部を開学。
(Wikipediaより)
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