NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

チコちゃんクイズ

なんで握り寿司の1人前は10個なの?→それで寿司絶滅の危機を乗り越えたから。戦後のお米や魚の配給で多くは廃業、加工業として生き残った

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今回は、2021年5月21日金 チコちゃんに叱られる!「▽アパートとマンション▽握りずしの謎▽人の顔が現れる!」の番組内容を紹介。


なんで握り寿司の1人前は10個なの?




たしかにお寿司屋さんの一人前は10個ですね。


いったいなぜ?






なんで握り寿司の1人前は10個なの?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お寿司を粋に食べるステキな大人ってだーれ?」


岡村さんの指名で、ウエンツさんが回答者に。


イギリスから戻って、よくお寿司屋にいっているとのこと。


そこで、チコちゃんは、ウエンツさんに、握り寿司を食べたことがあるか質問。


そして、NHK食道や、某有名店、スーパーのお寿司の1人前の写真を見てもらいます。





並べられたお寿司の写真はどれも1人前で、10貫のお寿司がのっています。


チコちゃん「なんで握り寿司の1人前は10個なの?」


ウエンツさんは、「1つ食べるのに3分として全て食べ終えるのに大体30分ぐらいかかるように設定したから。」といった旨の回答。


正解に至らず、叱られちゃいました。


和田さんにも聞いてみると、「ちょうど10貫ぐらいが丼飯1杯分に相当する量だから」といった回答。


チコちゃんは、「量は、おしい!」と反応。



最終的に、チコちゃんの答えは、「それで寿司絶滅の危機を乗り越えたから」


和田さん「はぁ??」



それで寿司絶滅の危機を乗り越えたから


解説してくれたのは、明治元年創業の江戸前寿司店「早稲田八幡鮨」4代目店主の安井弘さん。



昭和・平成・令和とお寿司の歴史を見て来た郷土史家。


安井さんによると、戦後まもなく日本の寿司店は絶滅してしまったそう。


その後、昭和22年に「お米1合で握り寿司10個を出す」という起死回生のアイデアから寿司が復活したとの事。



チコジェクトX





「すしのない国になるところだった ~握りずし復活物語~」




ナレーションは、いつもの田口さん





江戸時代の屋台で生まれた握り寿司。





日本における象徴的な食文化の一つとして発展。


戦前、昭和初期には東京の寿司店は3000軒を超えていました。


戦後になるとこの状況が一変して寿司店は絶滅の危機に。


太平洋戦争が始まる昭和16年、寿司店の命とも言えるお米、魚が配給制に。


そんな配給もどんどん減らされます。


寿司を握ろうにも握るものがない時代。


それでも寿司文化継承の為に作られていたのが「戦時ちらし」というメニュー。




これは魚なしで野菜を主体に使ったちらし寿司。


こうして何とか生き永らえていた寿司店。


昭和19年半ばには店を閉める所がどんどん増える事になりました。


迎えた昭和20年の終戦。


日本は多くの物を失ってお米や魚の配給は継続。


そして、寿司店にとって最後通告とも思える衝撃的な出来事が。


「飲食営業緊急措置冷」





限られた食料を国民に配給する為に一部許可されたお店以外は日本中の飲食営業は原則禁止に。


許可されたお店に寿司店は含まれておらず、日本からは寿司が消滅。


この時寿司文化を守るべく立ち上がったのが銀座の寿司店店主の八木輝昌さん。


寿司組合の中心人物にして寿司業界の為に労を惜しまなかった苦労人。


組合員を集めて何とか打開策を打ち出せないかと議論を重ねます。


目を付けたのが国民に配給される1合の配給米の存在。


家庭でお寿司は握れないので、あの米を使って我々が握るのはどうか?というアイデア。




そして、寿司の委託加工を開始。


寿司を売るのではなく、加工して食べてもらうという新しい発想。


お客さんが持参した配給米を握り寿司に加工してお客さんに返すという営業形態。


飲食業では無く、加工業。


ナレーション「寿司職人だけにイカしたアイデアだった。」


八木輝昌さんらは時の東京都知事・安井誠一郎に直談判。


これで事態が動き出すかと思いきや、東京都の答えは「許可できない」という非情なもの。


東京都としては「米はOKでも魚がダメ」という理由。


配給に影響が出ては困るので寿司屋に魚は都合できないという返答。


そこで、八木輝昌らは「配給で規制されていないものがあるじゃないか!貝、海老、川魚、かんぴょう、しいたけ、卵。加工賃40円を貰えれば10種類のネタを用意できる!米1合を10個の握り寿司にします!」と交渉。





40円で10種類握るのであれば多少儲けも期待できるので商売としては成り立ちます。


寿司店の生き残りもギリギリ望める。


そしてこの粘り強い交渉で東京都はOKを出すことに。


ここに寿司10個(貫)という数字が誕生。


昭和22年に「持参米鮨委託加工」という看板が出された寿司加工店が営業を開始。


瞬く間にお客さんがやって来て寿司の絶滅は回避される事に。


そして戦後、日本が復興すると寿司店の数もどんどん増えていきます。


1人前10個の目安はそのまま継続される事に。





現在はお店や値段によってお寿司の数が増減したり、1合よりも少なく握る場合もあるそう。


しかし、10個は配給米の基準から決まったものでした。



安井弘さんは、きゅうりを巻いたかっぱ巻きを考案した人とのこと。





結論


というわけで、


「なんで握り寿司の1人前は10個なの?」は、


「それで寿司絶滅の危機を乗り越えたから」


でした。
 


解説してくれたのは


明治元年創業の江戸前寿司店「早稲田八幡鮨」4代目店主の安井弘さん。


江戸前寿司店「早稲田八幡鮨



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