今回はチコちゃんに叱られる! ▽くつ下の謎▽黄門様の謎▽チューリップの謎 初回放送日:2025年5月16日を紹介。
なんで靴下をはくようになったの?
なんで靴下をはくようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、足元にも気を配れるステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで靴下をはくようになったの?」
チコちゃんの答えは、「脚線美を見せつけたかったから。」
脚線美を見せつけたかったから
靴下をはくようになったきっかけは古代ローマ帝国から。

地中海を中心に西ヨーロッパ・中東・北アフリカまでを支配した超大国。
このローマ帝国の文化が深く関係しています。
この時代のローマ人の女性は丈の長いワンピースが基本。
男性に関してはズボンをはかずに丈の短いワンピースのような服装が一般的でした。

この服装は丈が短いので動きやすいというメリット。
温暖な気候の地中海周辺で生活をしていました。
ローマ人は東方のペルシャ人や北方のゲルマン人がはくズボンをカッコ悪いと考えていたよう。

その理由は「ズボンをはいてしまうと自慢の脚(ふくらはぎの曲線美)を見せられない」から。
当時、健康的で美しい脚というのはたくましい男性の象徴。

古代ローマの男性は脱毛して脚の手入れをしていました。

そんな栄華を極めた古代ローマ帝国も衰退の時を迎えます。
それに代わってズボンをはいてカッコ悪いと言われていたゲルマン人が現在のフランス・ドイツ・イタリアのあたりにフランク王国を作りました。

するとゲルマン人の服装に大きな変化が。
古代ローマ人を意識したような短い丈のワンピースを着るようになりました。

その根底にやっぱり古代ローマ人への憧れ。
脚を見せるために服の丈が短くなりました。
また、、それに加えて靴下をはくという文化が誕生します。

ゲルマン人が生活をしていたフランク王国は北ヨーロッパ。
その気温は低く、寒さ対策でズボンをはいてしまったら昔の自分たちに逆戻り。
せっかくの脚が見せられません。
そこで、ひざ丈までの靴下である「ホーズ」がうまれました。

この脚線美を見せる文化は主に貴族の間で継承されました。
どんどん服の丈が短くなり、半ズボンにまで短くなりました。
一方で労働者である市民はケガや汚れ防止でズボンをはいていました。
この時、靴下ははかずに素足に靴というスタイル。
そして18世紀末のフランス革命で階級社会が崩壊。
その後は、市民がはいていた長ズボンが主流派となります。

脚線美を見せる長い靴下は過去のものとなります。
その当時、産業革命の影響で道路が舗装されて硬くなります。
そうすると、クッションの役割をする靴下が復活。
現在のような実用的な靴下の使用となりました。
結論
というわけで、
「なんで靴下をはくようになったの?」は、
「脚線美を見せつけたかったから」
でした。
解説してくれたのは
服飾史研究家の辻元よしふみさん。
辻元 よしふみ(つじもと よしふみ、1967年(昭和42年) – )は、日本の服飾評論家、戦史・服飾史・軍装史研究家、翻訳家、ファッション・アドバイザー、ファッション・コラムニスト、詩人、エッセイストである。本名・辻元佳史。
2018年に導入の陸上自衛隊の制服(16式常装)改正にかかわり、山崎幸二・陸上幕僚長より陸上幕僚長感謝状を受けた。2019年から、陸上自衛隊需品学校の部外講師(軍装史学)。東京ベイカレッジ非常勤講師。防衛省職員・自衛官向けの専門紙「朝雲新聞」が「軍装史研究の第一人者」(2014年10月30日付)と評している。NHKなどのテレビ出演も多い。
経歴・人物
岐阜市生まれ。茨城県坂東市立岩井第二小学校、坂東市立岩井中学校、茨城県立下妻第一高等学校を経て早稲田大学卒。読売新聞社に入社。元日本現代詩人会理事。日本文藝家協会、国際服飾学会、服飾文化学会、軍事史学会会員。
1990年、村田正夫が主宰する潮流詩派に参加し詩人として活動開始。1996年以後は戦史・服飾史・軍装史研究家としての著作活動を始めた。近年は翻訳家としての活動も多い。服飾や軍服の歴史について、NHKや民放各局のテレビ番組に出演し解説。服飾史と軍事史に関する知識を駆使し、世界史的視点からの服装の変遷を考究し、ミリタリーウエアが今日の紳士服に与えている影響を独自の視点で説いている。単行本以外に中央公論新社の新書などで共同執筆しているほか、日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞、西日本新聞、日刊ゲンダイ、日刊スポーツ紙上に署名記事が見られ、河出書房新社、小学館、丸善、ワールドフォトプレス社、工作舎の刊行物などでも戦史と軍装史にかんする記事を書いている。近年は防衛省など省庁や企業の求めに応じて、服飾史や軍装史の研究に基づいたファッション・デザインの提案や企画の仕事を増やしている。
「スーパーロック詩人」というキャッチフレーズは三一書房の編集者が命名したという。「よしふみ」というひらがな表記は2004年ごろから。それ以前は本名の佳史だった。妻はイラストレーターの辻元玲子。義父(玲子の父)は文教大学元理事長で名誉教授の作曲家・田村徹。
元衆議院議員の辻元清美とは縁戚関係はないが、早大時代に「弟さんですか」とよく聞かれたという。
大学生時代には千葉県内の学習塾でアルバイトをしており、当時の一人称は「吾輩」。同時期にやはり早大に在学していたデーモン小暮閣下に口調が似ている、と生徒から言われたためだという。この塾の講師仲間に、後に靴職人となる柳町弘之がおり、ファッション関係の仕事を始めたときに再会してお互いに驚いた。
(Wikipediaより)
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