今回はチコちゃんに叱られる! ▽腕時計の謎▽ドライクリーニング?▽ショートの謎 初回放送日:2025年9月6日を紹介。
なんで女の人は腕時計を内向きにつけるの?
なんで女の人は腕時計を内向きにつけるの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、時間をきっちり守るステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで女の人は腕時計を内向きにつけるの?」
チコちゃんの答えは、「脇が見えるから。」
実際に、脇を赤くしたシャツを着たスタッフに、外向き、内向きで時計をつけてもらいます。
そうするご、外向きでは腋が見えることがわかりますね。
このように、女性が脇をみせないために、内向きになったとか。
脇が見えるから
日本の腕時計文化:女性が腕時計を「内向き」につける理由とは?
皆さんは、腕時計をどちら向きにつけていますか?
男性は外向き、女性は内向きにつけている方を多く見かけますが、実はこれには日本の歴史や文化が深く関係しているのです。
今回は、腕時計の興味深い歴史をひも解きながら、なぜ女性が腕時計を内向きにつけるようになったのか、その理由についてお話ししたいと思います。
腕時計の誕生と広がり
腕時計の歴史は、1800年代のフランス、ナポレオン時代にまで遡ります。
世界初の腕時計は、ナポレオンの妹のために作られたものでした。
これは、時間を知る道具というよりも、貴族の装飾品としての意味合いが強いものでした。
その後、19世紀後半になると、腕時計は男性の必需品として広く普及していきます。
特に戦争がきっかけとなり、両手が自由に使える腕時計は、懐中時計よりも実用的であると認識されるようになりました。
写真を見ると、この頃から腕時計は外向きにつけるのが一般的だったようです。
日本に腕時計が伝わったのも、この流れの中でした。
第一次世界大戦で、日本の兵士たちが腕時計を愛用するようになり、やがて一般市民にもその文化が浸透していきました。
このため、日本では「腕時計=男性のもの」というイメージが強かったのです。
女性と腕時計の出会い
では、女性が腕時計を身につけるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。
大きなきっかけの一つが、大正時代の女性の社会進出でした。
第一次世界大戦を経て、日本の工業化・都市化が進むと、働く女性が増え、職業も多様化していきました。
この変化とともに、仕事中に時間を確認するために腕時計をつける女性が増えていったのです。
こうして、「腕時計=男性のもの」というイメージは徐々に薄れていきました。
しかし、この頃にはすでに、女性は腕時計を内向きにつけるようになっていました。
その背景には、当時の日本の生活様式、特に「着物」が深く関わっています。
「内向き」になった理由、それは「着物」と「作法」
1920年代、洋服はまだ一般的ではなく、多くの女性が日常的に着物を着ていました。
着物には、脇の下に「身八つ口(みやつくち)」と呼ばれる大きな切れ込みがあります。
これは、腕を動かしやすくするために設けられたもの。
この切れ込みから脇が見えてしまうのは、「はしたない」こととされていました。
そのため、女性たちは電話をしたり、お茶を飲んだりする際に、脇を締めたまま腕を上げる作法を身につけていました。
ここで問題になったのが、腕時計です。
腕時計を外向きにつけたまま時間を確認しようとすると、身八つ口から脇が見えてしまう可能性が高かったのです。
そこで、脇をぴったりと締めたままでも時間が見られるように、腕時計を内向きにつけるようになったと言われています。
時代が移り変わり、洋服を着る機会が増えても、着物時代に培われた作法や文化は深く根付いていました。
その名残として、女性が腕時計を内向きにつける文化が今もなお続いているのです。
まとめ
腕時計を内向きにつけるという、何気ない習慣の裏には、着物文化や女性の社会進出といった、日本の歴史が隠されていました。
こうした背景を知ると、普段身につけている腕時計が、また違ったものに見えてきますね。
ご自身の腕時計を、今一度見てみませんか?
それが、内向きであれ、外向きであれ、そこには長い歴史が詰まっているのかもしれません。
結論
というわけで、
「なんで女の人は腕時計を内向きにつけるの?」は、
「脇が見えるから」
でした。
解説してくれたのは
桐蔭横浜大学の並木浩一教授。
並木 浩一(なみき こういち、1961年 – )は、日本の美学者。桐蔭横浜大学教授。ギャラクシー賞選奨委員(テレビ部門、2022 – )。
他方、腕時計の評論、表象文化論(芸術論)、メディア論、教育評論などを展開。
来歴
横浜市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校、青山学院大学文学部フランス文学科卒業、放送大学大学院修了、琉球大学大学院中退。京都造形芸術大学大学院博士課程修了、「モーリス・ベジャール研究 メディアと芸術の関係を軸として」で博士号を取得[1]。
ダイヤモンド社を経て2010年に大同大学教授、2012年に桐蔭横浜大学教授[2]。
2017年衆議院議員選挙(希望の党、比例九州ブロック)に立候補した[3]が落選した。
著書
『資格の「抜け道」 誰も教えてくれなかったとっておきの方法』ダイヤモンド社 達人ブックス 1995
『最新資格の「抜け道」 誰も教えてくれなかったとっておきの方法』ダイヤモンド社 達人ブックス 2002
『腕時計一生もの』光文社新書、2002
『夢のハワイ暮らしが実現できる本』深山誠二監修 ダイヤモンド社 2003
『男はなぜ腕時計にこだわるのか』講談社 セオリーブックス 2008
『腕時計のこだわり』ソフトバンク新書 2011
(Webより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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