NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

チコちゃんクイズ

298円をなんでニーキュッパと呼ぶ?→内池さんが2秒縮めたかったから。星セントルイスのリコーのカメラコマーシャル

更新日:

今回は、2021年7月9日金 チコちゃんに叱られる!「▽笑うとき手をたたくのは▽298の謎▽三段跳び謎」の番組内容を紹介。


298円をなんでニーキュッパと呼ぶ?




たしかに、ニーキュッパといいますね。


なんで?





298円をなんでニーキュッパと呼ぶ?


本日の2つめ目の話題。


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お金に堅実でステキな大人ってだーれ?」


岡村さんの指名で、清塚さんが回答者に。


視聴者から寄せられた質問。


今回の問題は、「298円をなんでニーキュッパと呼ぶ?」


清塚さんは、リズムに変化を与えるシンコペーションがみんな好きだからといった旨の回答。





正解に至らず、叱られちゃいました。



チコちゃんの答えは、「内池さんが2秒縮めたかったから」



内池さんが2秒縮めたかったから


解説してくれたのは、専修大学の奥瀬喜之教授。


198円(イチキュッパ)、298円(ニーキュッパ)、398円(サンキュッパ)のように9と8が並ぶ中途半端なこの値段。


これは端数価格と呼びます。





消費者にお得感を感じさせるためにつけられるもの。


その消費者心理にはポイントが2つ。


一番左端の数字が重要。





2000円と1980円だと、2から始まるよりも1から始まる方が実際の値段以上にお得と感じやすい。


また、1000と980だと980の中途半端な方が値引きされた値段だと感じやすいから。





このようにダブルの効果が。


こんな消費者心理に訴えかける端数価格。


これを○○キュッパと呼ぶその起源は、先生もはっきりとはしないとのこと。


一説によるとあるカメラメーカーが広めた呼び方。


それが、1978年に発売されたリコーのXR500の値段が39800円だった事がきっかけ。





そこで、メーカーの広報さんを取材。


このカメラのテレビCMで、39800円をサンキュッパと表現したのがそもそもの始まりとのこと。


しかしながら、その最初のきっかけはわからず。


そこで、当時そのCMを制作した制作会社を取材。


すると、CM制作者ご本人から直接お話をうかがえる事に。


制作されたのは、CMディレクターの内池望博さん。





内池さんはCMで39800円をサンキュッパと言い換えた本人。


理由は、CMの時間を考えてのこと。


「サンマンキュウセンハッピャクエン」と言うのは長すぎる。


そこで、スパッとサンキュッパと時間の短縮。


言い換える事で約2秒も時間短縮。


余った時間で、別の情報を伝えたり繰り返したりすることができます。





つまり元々はCM用に値段を連呼するために生まれたのが○○キュッパという言い方。


そして人気漫才コンビの星セント・ルイスさんをCMキャラクターに起用。





サンキュッパという呼称を使用した所、大反響。


広告の業界関係者から、この○○キュッパの呼び名の使用許可を求める問い合わせが殺到。


これに対してどんどん使ってくださいと使用を快諾。


そして広告各社が次々と○○キュッパを使うように。


当時流れていたCMがコチラという事で番組でも流れます。


しかし、内池さんからサンキュッパを連呼した別パターンがあり、そちらが最初のはずとコメント。


これにはメーカー担当者も困惑。


そこで、池内さん監修で当時のCM再現プロジェクト。


星セント・ルイス役をジョイマンに依頼。





リコーをチコーのメーカー名に変更して再現に成功したところで終了。




結論


というわけで、


「298円をなんでニーキュッパと呼ぶ?→」は、


「内池さんが2秒縮めたかったから」


でした。
 


解説してくれたのは


専修大学の奥瀬喜之教授


経歴
愛知教育大学附属岡崎小学校(1979-1985)
愛知教育大学附属岡崎中学校(1985-1988)
愛知県立岡崎北高等学校(1988-1991)
学習院大学経済学部経営学科(1991-1995)
学習院大学大学院経営学研究科博士前期課程(1995-1997)
学習院大学大学院経営学研究科博士後期課程(1997-2000)
小樽商科大学商学部(1999-2002)
City University of New York, Zicklin School of Business(2001-2002、2007-2008)

専修大学商学部(2002-)


担当科目
マーケティングリサーチ

消費者行動
ゼミナール ​
専門基礎ゼミナール

マーケティング特論(大学院M)

マーケティング特論演習(大学院M)

マーケティング特殊研究(大学院D)

マーケティング特殊研究演習(大学院D)



所属学会
日本商業学会
日本消費者行動研究学会
日本マーケティングサイエンス学会
日本行動計量学会
American Marketing Association
Association for Consumer Research

Institute for Operations Research and Management Sciences

など


学外での活動
日本商業学会関東部会幹事
日本商業学会関東部会プログラム委員会副委員長
日本行動計量学会和文誌編集委員会委員
早稲田大学消費者行動研究所招聘研究員
学習院大学輔仁会陸上競技部後援会常任理事
学習院アスレティッククラブ(学習院AC)※副代表、会計  ※学習院大学陸上競技部のOB・OGを母体とした陸上競技サークル
日本陸上競技連盟B級公認審判員

など
(大学HPより)



専修大学

専修大学(せんしゅうだいがく、英語: Senshu University)は、東京都千代田区神田神保町3-8に本部を置く日本の私立大学である。1923年に設置された。大学の略称は専大(せんだい)。

専修大学は1880年9月16日に開校した専修学校(現在の専修学校とは異なる)を前身とし、1922年に大学令に基づく大学となった私立大学である。五大法律学校の一校としても知られた。

専修大学の母体は、1875年に日本人の官費留学生によってアメリカ合衆国で結成された「日本法律会社」にまでさかのぼる[1]。当時、明治政府は近代国家の建設を目標に、西欧の先進的な文化を導入するため、積極的に海外留学政策を推し進めており、創立者たちもアメリカへ留学した人物であった。1879年日本法律会社に所属していた相馬永胤と目賀田種太郎は、東京市京橋区(現:東京都中央区)に法律事務所を開設、そこへほぼ同時期に帰国した田尻稲次郎と駒井重格が加わり、アメリカ留学時に構想していた高等教育機関の設立へと動き出す[1]。この構想に賛同した福澤諭吉は、まず慶應義塾内に教育機関を開設するように促した。こうして、1879年12月に開設されたのが慶應義塾夜間法律科である。また、同じくこの構想に賛同した箕作秋坪は、自分の私塾である三汊塾へ法律経済科を設置して、相馬らに教授を任せた[1]。一方、日本法律会社は、東京大学法学部の卒業生らを加え、東京法学会へと発展し、東京攻法館という教育組織を結成していた[2]。


明治会堂(京橋区木挽町)
慶應義塾や三汊塾の一部としてでは、自分たちの求める高等教育機関として不十分であると感じた相馬[2]らは、本格的に独立した高等教育機関を設立することを模索した。その結果、明治生命本館として使用されていた明治会堂を借り受けられることとなり、慶應義塾夜間法律科と三汊塾法律経済科、東京攻法館を統合し、専修学校を設置することにした[2]。明治会堂跡地(現在の東京都中央区銀座3丁目)には、専修大学発祥の碑が設けられている。これらの教育機関における実績をもとに、相馬ら8名は、1880年8月7日、東京府へ開校届出を提出し、イギリス法学系の私立旧制法律学校として認可された[2]。その後、明治会堂の完成が遅延したが、福澤の好意で、簿記講習所を仮校舎として使用することとなり、簿記講習所で開校式が執り行われた[3][2]。

当時、法律学を本格的に教える教育機関は、東京大学法学部や司法省法学校など極少数であり、東京大学法学部が英語、司法省法学校が仏語で教授していたのに対し、専修学校法律科は日本語で英米法を教授する法律学校として多くの学生を集めた(その後、法律科は生徒数の減少に伴い、1893年に募集を停止)。 その一方、1880年に日本で初めて「経済科」(現在の経済学部)を設置した。日本最初の経済学に関する独立した高等教育機関であり、経済学を組織的に教授する方針をとったことになる。また専門教育課程において経済学を日本語で教授した最初の学校でもある。このように、伝統的に経済学部と法学部が看板学部となっている。

現在では7学部18学科・6大学院研究科を抱える、社会科学・人文科学(ネットワーク情報学部のみ文理融合の方針となっている[5])の総合大学へと発展した。
(Wikipediaより)




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