今回は、2021年7月9日金 チコちゃんに叱られる!「▽笑うとき手をたたくのは▽298の謎▽三段跳び謎」の番組内容を紹介。
なんで三段跳びは3回跳ぶの?
確かにホップステップジャンプですね。
いったいなぜ?
なんで三段跳びは3回跳ぶの?
本日の4つめ目の話題。
いつもの笑いながら始まります。
チコちゃん「ホンマにピアニストかいな。」
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、跳んだり跳ねたりが得意なステキな大人ってだーれ?」
本日、先発していない岡村さんが回答者に。
オリンピックの話題から、三段跳びの話題に。
チコちゃん「なんで三段跳びは3回跳ぶの?」
岡村さんは、「走り幅跳びで踏切線をはみ出す選手が続出したので3回にした。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「ケンケンパだったから」
ケンケンパだったから
解説してくれたのは、立命館大学の岡尾恵市名誉教授。
オリンピックで行われる競技の中で跳躍種目は4つ。
走り高跳び
棒高跳び
走り幅跳び
三段跳び
この中で三段跳びは実は日本人が最初に金メダルを獲得した競技。
1928年のアムステルダム大会の三段跳び種目で日本人初の金メダルを獲得した織田幹雄さん。
当時の優勝記録は15m21cm。
そこから3大会に渡って三段跳びで金メダルを獲得。
ロサンゼルス大会(1932年)南部忠平選手が金メダル。
ベルリン大会(1936年)田島直人選手が金メダル
跳躍競技は人間の強さを表す競技という側面もあって、走り幅跳びは古代オリンピックの時代から人気の高い種目。
古代オリンピックでもこの三段跳びが行われていたのかどうかについては謎のまま。
「15m以上の記録が出るジャンプ競技」が行われていたという記述だけが残されているとのこと。
一方、近代オリンピック。
1896年の近代オリンピック第1回大会となったアテネ大会。
人気の走り幅跳びに加えて新しく三段跳びが正式種目として採用。
この三段跳び。
踏切版から砂場まで13m。
そこで、学生時代、体育の成績が良かった番組スタッフが挑戦するも、砂場までたどり着かず。
また、踏切足が、右左右となり失格。
三段跳びのルールは、1段目のホップと2段目のステップが「同じ足」で、3段目のジャンプのみ「逆の足」。
このホップ・ステップ・ジャンプのそれぞれの違いは、
ホップ – 小さなジャンプ
ステップ – 片方の足を持ち上げて前に出す
ジャンプ – 思い切り踏み込んで跳ねる
かつては足を交互に入れ替える跳び方も存在していたそう。
しかし、ルールが統一されていく過程で記録の出やすい跳び方になったと考えられるとのこと。
そんな三段跳びのルーツと言えるのが、スコットランドなどで村祭りの催しとして行われていた「ホップスコッチ」という石蹴り遊び。
ホップスコッチの簡単なルールは、
地面にマスを描いて数字を振る
番号の順番に石などの目印をマスに投げ入れる
石を入れたマスを跳び越して、1マスは片足、2マスは両足で進んで目印を回収してスタート地点に戻るという遊び。
ホップスコッチは脚力の強さを誇示する子どもたちの技比べや身体訓練として広まっていきました。
1975年に発行されたスポーツ辞典。
三段跳びの起源は曖昧であるものの、1825年ごろのホップスコッチという遊びが原型かもしれないという記述が。
そしてこのホップスコッチは明治時代になって日本に伝来。
これが後にケンケンパと呼ばれるように。
つまり言い換えれば三段跳びはケンケンパから。
先生から、ホップは、ウサギのようなジャンプ、
ステップは、カンガルーのジャンプ、
ジャンプは、カエルのジャンプのイメージとのことで、番組は終了。
結論
というわけで、
「なんで三段跳びは3回跳ぶの?」は、
「ケンケンパだったから」
でした。
解説してくれたのは
立命館大学の岡尾恵市名誉教授
岡尾 惠一(おかお けいいち)
専門分野
体育学
担当科目
体育学、スポーツ技術開発論、スポーツ指導論、スポーツ方法論、スポーツの歴史と発展
研究内容
近代陸上競技制度成立史・技術変遷史
体育学の岡尾教授は陸上競技が専門。すべての学生・生徒がスポーツ好きになってもらいたいという観点から、近代陸上競技のルールの原点を調べたところ、日本の文献では間尺に合わないことが分かり、 ’84年度と’94年度の二度、スポーツの母国ともいわれる英国へ。帰国後はここで得た多くの資(史)料を基に’96年には著書の出版に漕ぎつけました。今後も、さらにこの仕事を続け、近代陸上競技の制度や技術の変遷を手がかりに各種スポーツの「ルール」と「技術」の関係を明らかにすることが研究主題です。堀川高校時代に走幅跳で全国ランキング4位となり、’61年東京教育大卒業後、8年間京都府立高校教員。国体教員の部110mハードルで3 位入賞2 度の実績も。立命大へは’69年専任講師として着任。陸上競技部コーチ、監督、男子部々長を30年に亘って歴任。’98年度新設のサービス・マネージメント・インスティテュートのスポーツ・サービス系の教育に力を注いでいます。
(大学HPより)
立命館大学(りつめいかんだいがく、英語: Ritsumeikan University)は、京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1に本部を置く日本の私立大学である。1922年に設置された。大学の略称は立命、立命大。近畿地方では立大も使用される[注 1]。
大学全体
「立命館」の由来は、『孟子』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。
建学の精神
建学の精神は「自由と清新」である。教学理念は「平和と民主主義」である[1]。
学風および特色
従来、立命館大学は戦前から戦中にかけて、世相を反映して国家主義的傾向が強まっていったとする評価が支配的であった[注 2]。しかし最近の研究で、学園創立者の中川小十郎は、学校運営や学生の受け入れに対して国家主義的な思想に与せず、従来考えられていたよりも自由な空気を大事にしていたことが明らかにされつつある[2]。
立命館憲章
学問研究の自由に基づき、価値の創造と人類的諸課題の解明に力を入れる。建学の精神と教学理念に基づき、「未来を信じ、未来に生きる」の精神をもって、学力精進を保ったうえで、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める。この憲章の本旨を踏まえ、教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する。[3]
立命館スポーツ宣言
立命館は、障がいの有無に関わらず、すべての学園構成員に、スポーツに参加する基本的権利を尊重すると共に、スポーツを日常生活に根付かせ、心身ともに健康な暮らしのために生涯にわたってスポーツに親しむことを奨励する。スポーツの文化価値とその教育における意義を深く認識し、スポーツに関する諸分野での教育・研究を高い水準で推進し、わが国のスポーツの振興・発展をリードする存在となるよう努める。スポーツを通じて、老若男女を越えた地域コミュニティの形成と発展に携わり、地域社会の健康で豊かなコミュニティづくりに貢献することを社会的役割の一つとする。[4]
(Wikipediaより)
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