今回はチコちゃんに叱られる! チコちゃんに叱られる! ▽コピー機の謎▽「ウ」にてんてん?▽リンパとは 初回放送日:2025年4月4日を紹介。
なんで「ウ」に点々をつけるようになったの?
なんで「ウ」に点々をつけるようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、いろいろな言葉にくわしいステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで「ウ」に点々をつけるようになったの?」
チコちゃんの答えは、「福澤諭吉の思い付き」
福澤諭吉の思い付き
「ヴ」の誕生は約160年前。
福澤諭吉先生が英語の「V」の発音を表す文字として考案したもの。
日本に西洋の文化や考え方を広めた福澤諭吉先生。
江戸時代末期(1860年)に初めて出版した本「増訂華英通語」は中国語の英単語集に日本語訳と読み仮名を付けた本。

そのなかで、はスリーヴ(sleeve:袖)、ヴィルレジ(village:村)、リヴ(live:生きる)といった単語で「ヴ」の表記が。

巻頭には「ヴ」についての説明書きも。
「ウに濁点をつけたものはブとウの間の音」と記載されています。
福澤諭吉先生は、19歳からオランダの書物を通じて西洋の学術や文化を研究する蘭学を学んでいました。
鎖国中の当時の日本と国交があったのは西洋ではオランダのみ。
西洋を知るにはオランダ語を習得するのが必須でした。
その後1854年に日米和親条約によって鎖国が終わります。
すると、多くの外国人が日本へやってくる事になります。
福澤諭吉先生は、自分のオランダ語が実際に通じるのか外国人が多く集まっていた横浜で試してみます。
しかし、そこで使われていたのは英語でした。
話が通じる通じないという問題以前に英語で書かれた看板すら読めない。
死に物狂いの勉強が何の役にも立たない…と福澤諭吉先生は、落胆。

そこで心機一転。
「これからは英語の時代だ」と英語の勉強に取り組みます。
ところが当時は英和辞書といった教材がない状態。
英語とオランダ語の英蘭辞書を取り寄せて英文をオランダ語に訳して学習することに。
しかし、ローマ字読みにしていたりとオランダ語のなまりが混ざっているなど不十分が点が多くありました。
とくに「V」の読み方に至っては混乱。
ヴォイス(voice:声)をホイス、ヴィネガー(vinegar:お酢)をヒネゲルとオランダ語風にハ行で表記されることに。
これでは単語の意味は分かっても、実際に通じる英語にはなりません。
そこで福澤諭吉先生はより正確な学習法を模索します。
こうして独学で英語の勉強を続けた福澤諭吉先生。
1860年に幕府の使節団として初めてアメリカへ渡ります。
そこで手に入れたのが増訂華英通語の元になった原書とされる中国語の英単語集「華英通語」でした。
英語と日本語を直接結ぶ辞書や教科書が無いなら自分で作ってしまう福澤諭吉先生。
英語に読み仮名を付けていく作業に取り掛かります。
そこでこまったのが、「V」の文字でした。
袖なしの上着のvestの読みをベストと表記してしまうと、最上のbestのベストと読みが一緒に。
これは教材としては不正確となります。
「V」の音は日本語には本来無い発音。
BとVの微妙な発音の違いを出来るだけ正確に表したかった福澤諭吉先生。
「ヴ」を思い付いて採用する事にしました。

より正確な読みを追求した福澤諭吉先生。
これを思いつきと記録されています。
その他、ティーチャーをチーチャル、ウインドウをウィヌヅー、

カレーをコㇽリ、パールをピーㇽル、バトゥンをボッツヌと、現代とは少し違った読み方もあったようです。
結論
というわけで、
「なんで「ウ」に点々をつけるようになったの?」は、
「福澤諭吉の思い付き」
でした。
解説してくれたのは
慶應義塾福澤研究センターの都倉武之教授。
都倉 武之 (トクラ タケユキ)
Tokura, Takeyuki
所属(所属キャンパス)
研究所・センター等 福澤研究センター (三田)
職名
教授
経歴
2004年04月 – 2006年03月 武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部助手
2006年10月 – 2007年09月 武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部専任講師
2007年10月 – 継続中 慶應義塾福沢研究センター専任講師
学歴
2004年03月 慶應義塾大学, 法学研究科, 政治学専攻
大学院, 修了, 修士
2007年03月 慶應義塾大学, 法学研究科, 政治学専攻
大学院, 単位取得退学, 博士
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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