今回はチコちゃんに叱られる! ▽アサガオの謎▽歩行者天国の謎▽千手観音の謎 初回放送日NHK総合テレビジョン7月24日(金)を紹介。
なんで歩行者天国ってするの?
なんで歩行者天国ってするの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、毎日たくさん歩くステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで歩行者天国ってするの?」
チコちゃんの答えは、「道を人間のもとに取り戻すため。」
道を人間のもとに取り戻すため
休日に広々とした道路をゆったり散歩できる「歩行者天国」。
車を気にせず街を歩けるのは、とっても解放感があって気持ちがいいですよね!
「でも、そもそもなんで歩行者天国って始まったんだろう?」
「誰が最初に言い出したのかな?」
そんな疑問について、テレビ番組で横浜市立大学の鈴木伸治教授が、まるでドラマのような感動の誕生秘話を明かしてくれました!
今回はその内容をたっぷり引用しながら、道を取り戻すために立ち上がった人々の情熱のストーリーをご紹介します。
歩行者天国はなんのために始まったの?
チコちゃんの番組での答えはズバリ、「道を人間のもとに取り戻すため」でした!
この感動的な歴史を紐解くドラマのタイトルは、題して「チコジェクトX」
『ロード ~なんでもないような道が幸せだったと思う~』です。
時代は高度経済成長期の真っ只中、1960年代のことです。
当時は道路の整備が急速に進み、空前のマイカーブームが到来していました。
日本人の暮らしは一気に便利になりましたが、その一方で街には大きな問題が発生します。
そう、激しい「交通渋滞」です。
街を走る車の数が急増し、道は車で溢れかえってしまいました。
それまでの古き良き日本にあったはずの「歩行者のための道」が奪われ、人間が邪魔者扱いされるようになってしまったのです。
37歳の若き市長が抱いた「危機感」
この時代の大きな変化に対して一石を投じたのが、北海道旭川市の五十嵐広三(いわがらし こうぞう)市長でした。
当時37歳という全国最年少の若さで市長に就任した人物です。
もともと地元で民芸品を販売する実業家として成功していた五十嵐市長は、旭川駅前を通る「平和通商店街」の車の多さを深刻に捉えていました。
「道の主役が車になってしまった……」
「このままでは人間性が失われてしまう」
強い危機感を覚えた五十嵐市長は、ひとつの壮大なコンセプトを掲げます。
車社会からの解放
人間性の回復
人が人らしくいられる道を取り戻す
この理想を実現するため、旭川駅前から続く約1kmの大通りから車を締め出し、「歩行者専用道路」にするという前代未聞の計画を立てました。
「お店が潰れる!」商店街からの猛反対と2年間の対話
しかし、計画は最初から大難航します。
当時の平和通商店街には約200軒ものお店が並んでいましたが、すでに人通りが減り始めていました。
高齢の店主たちを中心に、大きな反対の声が上がります。
「車が入れなくなったら、もっと店が廃れてしまうじゃないか!」
当時70歳に近かった商店街理事長の山本政次郎さんも、計画には同意しませんでした。
それでも五十嵐市長は諦めませんでした。
「道路を自由に歩けるようになれば、必ず商店街に人が戻ってくる!」
市長と若いチームは粘り強く交渉を重ね、何度も反対する理事会に足を運び続けました。
若い店主たちの中にも賛同者が現れ、説得を続けること実に2年。ついに商店街理事会からの了承を得ることに成功したのです。
国の壁!「天下の歩道をなんだと思っている!」
1969年4月、いよいよ計画が本格的に動き出しました。
道の真ん中に噴水を置いたり、ベンチや花壇を整備したりする社会的実験の準備です。
ところが、次に立ちはだかったのが「行政の壁」でした。
道路の使用許可を得るために開かれた会議には、消防、建設省(現在の国土交通省)、警察などが集まりました。
そこでも厳しい怒号が飛び交います。
「天下の歩道をなんだと思っている!」
「法を無視した暴挙だ!」
「避難経路の確保はどうする?」
「事故が起きたときの責任は誰が取るんだ!」
当時は、車の通行禁止といえば毎年のお祭りくらいしか認められていませんでした。
社会実験のために大規模な交通規制を敷くなんて、前代未聞だったのです。
計画は再び、暗礁に乗り上げてしまいました。
反対していた理事長が叫んだ「男気あふれる一言」
重苦しい停滞ムードが漂う中、事態を劇的に変えたのは、最初はこの計画に猛反対していた商店街の山本政次郎理事長でした。
葛藤の末、若者たちの情熱に心を動かされた山本理事長は、国側に対してこう声を張り上げたのです。
「私はどのようにでも責任を取るが、若い芽を摘むようなことだけはしないでほしい」
この命がけの覚悟と男気に、頑なだった国側の態度も一気に軟化しました。
1969年8月3日、ついに念願だった道路使用許可が下りたのです!
奇跡の12日間!旭川の街に「人の笑顔」が戻った
許可が下りてから実施日までは一刻の猶予もありませんでした。
前日は徹夜で突貫工事が行われ、花壇や遊具が設置されていきます。
そして1969年8月6日。
テープカットやハトを飛び立たせる華やかなセレモニーとともに、日本初の常設歩行者専用道路「買物公園」がオープンしました!
五十嵐市長が最初に構想を抱いてから、実に4年の歳月が流れていました。
約2日間にわたって行われたこの実験は大成功を収めます。期間中の来場者数は、なんと92万人!
当時の旭川の人口は約30万人でしたから、初日だけで40万人もの人出があったと言われています。
道路に置かれた遊具で楽しそうに遊ぶ子どもたち。
ベンチに腰掛けて、のんびりアイスクリームを食べるお年寄りや家族連れ。
車に怯えることのない、「人間が主役の道」が旭川に見事に復活した瞬間でした。
旭川から全国へ!「歩行者天国」の誕生
旭川での歴史的大成功は、すぐに全国ニュースとして報じられました。
その翌年、1970年8月には東京の銀座・浅草・新宿・池袋の4大繁華街で、1日限定の歩行者専用道路が実施されます。
このときに初めて「歩行者天国」という言葉が名付けられました。
これをきっかけに、歩行者天国の取り組みは一気に全国津々浦々へと広がっていったのです。
のちに五十嵐市長は、このプロジェクトを振り返ってこんな言葉を残しています。
「原動力は何といっても市民の結集した力である」
まとめ:道に込められた歴史を感じて歩いてみよう!
私たちが休日に何気なく歩いている「歩行者天国」。
そのルーツには、「車から人間へ道を取り戻したい」と願った若き市長と、未来のために勇気を出して責任を背負った商店街の人々の、熱い感動ドラマがありました。
今度どこかで歩行者天国を歩くときは、ぜひ道路の真ん中で深呼吸してみてください。
そこには、車を気にせず笑顔で歩ける幸せを守り抜いた、先人たちの優しさが詰まっていますよ!
結論
というわけで、
「なんで歩行者天国ってするの?」は、
「道を人間のもとに取り戻すため」
でした。
解説してくれたのは
横浜市立大学の鈴木伸治教授。
鈴木 伸治
担当科目
〔博士前期課程〕都市デザイン論、演習
〔博士後期課程〕都市科学論攻究3、研究演習
経歴・研究活動等
京都大学建築学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了、博士課程中退。博士(工学)(東京大学、1999年)。東京大学助手、関東学院大学工学部社会環境システム学科助教授をへて、2006年より横浜市立大学勤務。専門は都市デザイン、景観、歴史的環境保全、都市計画史研究。
研究テーマ
・景観まちづくりの手法に関する研究
・歴史を活かしたまちづくりに関する研究
・近現代史としての都市計画史研究
・創造都市を実現するためのエリアマネジメント手法に関する研究など
研究指導方針
それぞれの研究テーマにあわせて指導しますが、常に実社会との接点を意識した指導を心がけています。
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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