今回は、2019年8月23日金曜日放送、「チコちゃんに叱られる!」▽ロストサマー!二度と帰れないあの夏の日何してたっけSP のお話。
単1、単2の「単」ってなに?
確かに、気にしたことなかったですね。
どういう意味なんだろう?
単1、単2の「単」ってなに?
本日の3問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番電化製品を使いこなしているハイテクな大人ってだーれ?」
岡村さんから指名され草刈さんが回答者に。
チコちゃん「乾電池のサイズって知ってる?」
草刈さん「単1とか、単2とか、ボタン電池とか。」
チコちゃん「じゃあ、単1、単2の「単」ってなに?」
草刈さん「乾電池の構造が複雑なので実は単純なんですという意味での「単」。」
チコちゃん「単純に考えてんじゃねーよ!」
秋葉原で街頭インタビューも正解なし。
チコちゃんの答えは、「1つで済む電池という意味」
1つで済む電池という意味
一般的に単1電池、単2電池と呼ばれている電池。
正式名称は、「単位電池」。
これは一つで済む電池という意味。
1934年ごろまで使用されていた電池は「積層電池」。
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複数の乾電池を直列にして一つにまとめて高い電圧にしたもの。
当時の乾電池を使用した電化製品は消費電力が大きかった。
1本の乾電池ではまかないきれないということから積層電池が多く使用。
その後、電化製品の省エネ化や乾電池の性能がアップ。
乾電池1本でも十分に作動可能となりました。
複数を積み重ねる積層電池に対する呼び方として1つで済む電池。
この意味で単位電池、これを略して単1電池、単2電池と呼称。
実はこの乾電池を世界で初めて発明したのは日本人だった
その人物は、屋井先蔵(やいさきぞう)。
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知名度はあまり高くありません。
それは彼の不遇の人生が大きく関係しています。
「NHK たぶんこうだったんじゃないか劇場」
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「電と池と ~乾電池誕生物語~」
発明家を志して技術指導者の養成機関、東京職工学校。
入学するために勉強にいそしむ屋井先蔵(21歳)。
試験会場に急ぎます。
締め切り時間ギリギリに会場にやってきた屋井先蔵。
当時の時計は精度が低く、個体差によって時間にバラツキが。
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結局、遅刻で試験会場に入れてもらえないという事態。
この悔しい思いをきっかけに屋井は精度の高い時計の開発に取り組みます。
全財産を開発に注いだ結果、3年後ついに時計(連続電気時計)は完成。
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日本初の電気分野での特許取得。
そこにやって来たのは屋井先蔵の妻(塚原愛アナ)。
しかし、まったく売れず。
この発明で暮らしが楽になりません。
その原因は時計を動かす動力源となる電池。
当時の電池は湿式電池と呼ばれるタイプの電池が一般的。
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電解液と呼ばれる液体を使用した電池。
液漏れや気温が低くなると凍結してしまうなどの欠点があり、広く普及せず。
そこで、新しい電池の研究を始めます。
ある日ろうそくの火を見つめてひらめきます。
屋井さん「ろうそくは燃える時は液体だが燃える前は固体だ。電解液を液体じゃなくて固体にすればいいんだ。」
電解液に石膏などを混ぜてペースト状にする事を思いつきます。
さらに電池の容器を亜鉛にして容器自体を電極にするという画期的な構造を開発。
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妻「あなた、その電池の名前はどうなさるんですか?」
屋井「決まってるだろう。乾電池よ!」
いつものカメラ目線。
1887年に屋井乾電池という名前で発表。
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大学教授たちからも高評価。
そこで、シカゴ万国博覧会にも出展する事に。
ところが、出展された乾電池を見た外国の企業。
先に模倣品を作って売り出しました。
屋井は乾電池の開発に全財産を投入。
資金がなく、特許取得ができなかった悲劇。
その後、日清戦争を機に陸軍から大量の注文。
陸軍では情報戦を左右する電信機などに湿式電池を使用。
極寒の地でも電信機が使用可能になる屋井乾電池を新しく採用することに。
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これによって情報戦を有利に進めて戦争に勝利。
この出来事も屋井乾電池の知名度アップに貢献。
屋井は会社を設立して本格的な乾電池の量産、事業を拡大、乾電池王として有名に。
しかし、屋井先蔵は63歳という年齢で胃がんで死去。
その後、軍からの需要が途絶えた事もあって会社は倒産。
屋井先蔵の偉大な功績はあまり知られてはいません。
しかし、この乾電池の技術は他の日本企業にも改良を重ねて受け継がれました。
そして、現在の暮らしでも必要不可欠な存在に。
結論
というわけで、
「単1、単2の「単」ってなに?」は、
「1つで済む電池という意味」
でした。
解説してくれたのは
東京理科大学の駒場慎一教授。
コマバ シンイチKOMABA Shinichi教授
理学部第一部 応用化学科
駒場研究室
教員プロフィール
連絡先 〒162-8601 東京都新宿区神楽坂1-3
TEL : 03-3260-4271 (代表)
電子メールアドレス
ホームページURL http://www.rs.kagu.tus.ac.jp/komaba/index.html
出身大学 早稲田大学 理工学部 応用化学科 卒業
出身大学院 早稲田大学 理工学研究科 応用化学専攻 博士課程 修了
取得学位 早稲田大学 博士(工学) 課程
研究経歴
1992- 電気化学デバイス用機能性電極の研究
1997- 次世代電池の材料研究
研究職歴
1996-1998 日本学術振興会 特別研究員
1998-2005 岩手大学 助手
2003-2004 フランス・ボルドー固体化学研究所 文部科学省在外研究員 博士研究員
2005-2008 東京理科大学 講師
2008-2013 東京理科大学 准教授
2013- 京都大学 拠点教授(元素戦略プロジェクト)
2013- 東京理科大学 教授
(大学HPより)
東京理科大学(とうきょうりかだいがく、英語: Tokyo University of Science)は、東京都新宿区神楽坂一丁目3に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は主に理科大。他に東京理科、東京理大、東理大、理大、TUS。
東京理科大学は1949年の学制改革の際に、東京物理学講習所(後に東京物理学校に改称)を主な前身に設立された、理系学部を中心とする新制大学である。なお、現在の東京理科大学の前身校で、1951年まで存在した東京物理学講習所(後に東京物理学校に改称)は、1897年(明治30年)に京都帝国大学が創立され、そこに理工科大学(理工学部)が設置されるまでの間、自然科学の教育を施したのは東京帝国大学と旧制専門学校の東京物理学校だけであった[広報 1]。自然科学教育を行う、専門学校を含む高等教育機関としては2番目に長い歴史を持ち、理学教育を行う私立の理系学校としては最古の歴史を持っていた。夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する「物理学校」は、この東京物理学校を指す。また、石川啄木の日記や北原白秋の詩など多数の作品において当時の東京物理学校の講義の情景が描かれている[1][2]。
2006年の学園創立125周年を期に「Con’science’(カンシャンス:英語・フランス語で「良心」の意)〜21世紀の「科学」は「良心」へ向かう〜」のコンセプトを打ち出した。
2018年時点、日本の私立大学として唯一、ノーベル賞受賞者(2015年ノーベル生理学・医学賞の大村智)を輩出した大学である。また、自然科学部門のノーベル賞受賞者を出したのは、2018年時点、アジアの私立大学として唯一でもある[3]。ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村博士の栄誉を称え、東京理科大学は2015年度、寄付されたノーベル賞の賞金を元に「東京理科大学大村賞」を創設している[広報 2]。
(Wikipediaより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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