今回は、チコちゃんに叱られる! ▽やるなと言われると?▽ビーチバレーの謎 初回放送日:2024年7月12日を紹介。
なんで瓶ビールのコップは小さいの?
なんで瓶ビールのコップは小さいの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、器が大きなステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで瓶ビールのコップは小さいの?」
チコちゃんの答えは、「ビール会社が生き残るため。」
ビール会社が生き残るため
日本に初めてビールが伝わったのは江戸時代中期。
幕府と貿易をしていたオランダ人が長崎の出島に瓶に入れて持ち込みました。
当時は上流武士たちを中心に飲まれていました。
しかし、ビールは日本人の口に合っていませんでした。
残っている記録でも評判はイマイチ。
ビールはちびちび飲むものではなく、大きな器でぐびぐび飲むものと記載された資料も。
明治時代になると文明開化の影響で西洋料理店が増加。
庶民が通うお店でも瓶ビールが提供されるようになりました。
明治20年代に入ると近代化が進みます。
国産ビールメーカーが次々に誕生。
明治32年には日本初のビヤホールが出来るなど日本のビール産業は大きく発展しました。
こうして庶民にも徐々に広まって来たビール。
しかし、明治34年(1901年)にビール業界に激震が。
それまで日本酒などにかけられていた酒税がビールにもかかるように課税ルールが変更されました。
これは日清戦争の影響で財政難に陥った政府が次なる日露戦争に備えて税金徴収をすすめた一環。
こうして始まったビール税(麦酒税)の影響は資金力の弱い醸造所を直撃。
次々と廃業することになります。
約100社あったビール会社は23社に淘汰される事に。
この日本のビール産業の大ピンチを救ったのが件の小さいコップ。
この頃のビール会社の営業スタイルというのは担当者が直接飲食店などを訪問。
自分の所のビールを置いてもらうようにお願いする直接営業のスタイル。
まだまだビールに疎い人も多い時代。
ビール以外でアピールする必要に迫られてビール会社が採用したのが無料で配るPR用品でした。
アメリカのビール会社では企業名やブランド名が入った鏡、トレー、オブジェなどの販促グッズを作っていました。
そこにビール会社が作ったオリジナルのコップも含まれていました。
当時、日本でもコップに文字や模様を焼きつける技術が開発。
アメリカのビール会社の真似をしてコップを配りました。
瓶ビールのコップはビールをお店に置いてもらうためのPR用品の一環。
こうして配られたコップのサイズはおよそ1合(180ml)で今のビールコップとほぼ同じサイズ。
当時はまだガラス製品が高価だった時代。
無料で配るサービス品は小さくしてコストを抑えました。
また、日本独特のお酌文化が影響。
古くからお酒を互いに注ぎ合って飲むというアルコール文化が育って来た日本。
ビールを1本注文して何人かでシェアする飲み方が多かったそう。
小さいコップで何度も注いでコミュニケーションを促進する効果もあったとのこと。
最後に、ビールは3回に分けてゆっくり注ぐのがおすすめとのこと。
結論
というわけで、
「なんで瓶ビールのコップは小さいの?」は、
「ビール会社が生き残るため」
でした。
解説してくれたのは
ビール文化研究家の端田晶さん。
端田 晶
HASHIDA AKIRA
1955年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。飲食店アルバイトから酒好きが高じて、サッポロビール株式会社に入社。ギネスなど海外ブランドのマーケティング、黒ラベルなどの宣伝制作、全社広報・IRなどを担当。広報IR室長、コーポレートコミュニケーション部長、恵比寿麦酒記念館館長などを歴任。現在は、サッポロホールディングス株式会社及びサッポロビール株式会社のCSR部長を兼務して、CSR、法務、知財管理、環境保全、情報保護などを統括している。著書に随筆集『小心者の大ジョッキ』(講談社:2006年)があり、ビールや酒のウンチクの語り手として、恵比寿麦酒記念館の展示解説や社外での講演活動を行なっている。
(大学HPより)
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