今回は、2020年1月3日金曜日放送、チコちゃんに叱られる!▽麒麟(きりん)がくる!コラボSPお年玉・たこあげほかのお話。
たこあげはなんで「たこ」なの?
確かに、「たこあげ」ですね。
なぜ、たこ??
たこあげはなんで「たこ」なの?
本日の1問目。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番いつまでも子ども心を忘れないステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、長谷川さんが回答者に。
チコちゃん「歌の続きを歌ってね。もう、いくつ寝ると、お正月、はい!」
長谷川さん「お正月には、たこあげて。」
チコちゃん「ストップ、たこあげはなんで「たこ」なの?」
長谷川さん「空のたこは、海の中のたこの動きのような動きを凧がするから。」
チコちゃん「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
門脇さんにも聞いてみます。
門脇さん「凧の形がたこに似ていたから。」
堺さんに聞くと、
堺さん「チコちゃん、ウチの犬もチコちゃんっていう名前なの。」「お友達になろうね。」
岡村さん「犬呼ぶみたいに呼ばないでください。」
堺さん「凧の枠組みが8本だったからタコの足の数とひっかけた。」
結局、正解にいたらず、叱られちゃいました。
公園で、みなさんに質問しても正解なし。
ナレーション「チャーチルは言いました。『たこが高く上がるのは風に乗っている時ではなく、向かい風に立ち向かっている時だ』と。上手い!チャーチルさんに座布団一枚あげといて。」
チコちゃんの答えは、「イカが禁止されたから」
イカが禁止されたから
凧の起源は紀元前4世紀ごろの中国で使われていた紙鳶(しえん)。
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これは戦の時に遠くの味方に合図を送る目的で使用。
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敵に怪しまれないように野鳥に似せたデザイン。
その後、平安時代に日本に伝わった紙鳶。
病気などが風に乗って来るのを追い払う厄払いの道具として使用。
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それがいつしか様々な形に変化して日本全国に広まりました。
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江戸では空中でバランスを取れるようにするために数本の長い紙や糸が付いたものが多く作成。
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このヒラヒラとした足のようなデザインから『いか』または『紙鳶(いかのぼり)』と呼称。
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これが当時庶民の間では大人も行う遊戯として爆発的に流行。
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日常的な娯楽として楽しまれていました。
しかし大流行したため、江戸では社会問題化。
それが「いか→たこ」に呼び名が変わった原因に。
「NHK新春たぶんこうだったんじゃないか時代劇」
「三代目 暴れん坊将軍 いかあげて いかあげないで たこあげて」
時は正保3年の江戸。
いかのぼりに興ずるのは町人のふりをした三代将軍家光(目黒祐樹さん)。
するとそこに現れたのは町人(池田鉄洋さん)。
いかのぼりで張り合う2人。
白熱するあまりに、いかのぼりが絡んで墜落。
これをきっかけに喧嘩に。
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これが当時の江戸で社会問題化。
いかのぼりが原因で喧嘩が多発。
また、落下したいかのぼりで怪我人や時には死者まで出ることも。
さらに、これに追い打ちをかける大事件。
それが正保3年3月25日に起きた「火の付いたいかのぼりが江戸城に落下」
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意図的に誰かが企てたものなのか、偶然の事故なのかは未だに不明。
このテロ事件様の出来事に江戸幕府は「いかのぼり禁止令」を発令。
これに落胆したのは江戸の町人たち。
娯楽を失った哀しみ。
そこで町人たちは「『いか』では無く『たこ』をあげているんだ。」という屁理屈。
この屁理屈については幕府としても、大目に見ていたそう。
しかし、「たこ・たこのぼり」に名称が変わったものの、喧嘩沙汰や死傷者の発生は変わらず。
結局、いかのぼり禁止10年後の明暦2年に幕府は「たこのぼり禁止令」を改めて発令。
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しかし、この禁止令を庶民は無視。
江戸では多様な禁止令があったという事もあって、取り締まる側も目をつぶっていたそう。
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年中行われていたたこあげ。
そのうち、お正月に家内安全・商売繁盛を祈願してあげられる季節ものの風物詩に変化。
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現在もその習慣が残っているとのこと。
結論
というわけで、
「たこあげはなんで「たこ」なの?」は、
「イカが禁止されたから」
でした。
解説してくれたのは
法政大学の長沢利明兼任教員
1954年群馬県生まれ。法政大学社会学部卒業、同大学院修了。現在、法政大学、国士舘大学講師
(『江戸東京の庶民信仰 講談社学術文庫』より)
法政大学(ほうせいだいがく、英語: Hosei University)は、東京都千代田区富士見2-17-1に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は法大(ほうだい)、法政(ほうせい)。
法政大学は、1880年4月設立の東京法学社(のち東京法学校)[1] および1886年設立の東京仏学校を前身とする、私立総合大学である。
明治初期の頃、近代国家にふさわしい制度づくりの必要性や、自由民権運動が高揚する時代背景などから、近代的な法治システムや権利義務等を教育する、フランス法系の私立法律学校として創設された。なお、現存する日本の私学の中では最古の法学部を有する[2]。
また、1920年に大学令準拠の旧制私立大学に昇格した一校であり、東京六大学の一校でもある(東京六大学野球連盟も参照)。現在では、15学部・大学院17研究科を擁する総合大学となっており、スーパーグローバル大学に選定されている[3]。
創立者のほかに、初代教頭のギュスターヴ・エミール・ボアソナード (Gustave Émile Boissonade) と初代総理(総長)の梅謙次郎を学祖としている。
ボアソナード博士像。1934年フェリックス・ベヌトー作。最高裁判所とパリ大学にも同じ型の胸像が置かれている。
梅謙次郎切手。1952年郵政省発行。昭和以前に切手の題材となった唯一の日本人法学者。
本部および多くの文系学部生が通う市ケ谷キャンパスは、東京都千代田区に位置する。旧江戸城外堀や皇居、北の丸公園、靖国神社付近に立地しており、都心の緑地に囲まれている。昭和後期に入ると郊外へとキャンパスを広げ、現在はサテライトキャンパスを除き、市ケ谷・小金井・多摩の都内3キャンパス体制となっている。
(Wikipediaより)
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