今回は、2022年7月8日金 チコちゃんに叱られる! 「▽ポテトチップスの謎▽浴衣とは▽赤ちゃんの不思議 初回放送日: 2022年7月8日」の番組内容を紹介。
浴衣ってなに?
浴衣ってなに?
本日の2つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で温泉旅館が似合うステキな大人ってだーれ?」
岡村さんの指名で、若村さんが回答者に。
温泉旅館から浴衣の話題に。
チコちゃん「浴衣ってなに?」
若村さん「浴衣(よくい)なので、お風呂上りに羽織るもの。」といった趣旨の回答。
正解に至らず、叱られちゃいました。
その後、考え直して、口元に正解マークが!
チコちゃん「つまんねーヤツだけどいいだろう」
と正解。
正解されてちょっと悔しいチコちゃんから漢字の問題。
問題は、「ぞうきん」
正解は、「雑巾」
若村さんのみ正解で、残りのお二人はられちゃいました。!
お風呂の中で着るもの
解説してくれたのは横浜国立大学の薩本弥生教授。
日本のお風呂の歴史をたどると、浴衣の歴史もわかるとのこと。
古代日本には今のようなお風呂の習慣はありませんでした。
海や川での沐浴(=水浴び)が一般的なお風呂スタイル。
入浴スタイルが変化したのが奈良時代。
6世紀に中国から仏教が伝わります。
するると病気を退け福を招くとして体を温めて身を清める入浴が勧められるようになりました。
そして、お寺には入浴施設が作られることに。
そして浴室を庶民向けに開放した事でお風呂に入るという習慣が広まります。
当時のお風呂は、お湯につかるのではなく、お湯を沸かしてその蒸気を取り込んだ蒸し風呂。
現在のサウナがこの頃の一般的なお風呂。
平安時代になると、サウナの高温に耐えられるように「湯帷子(ゆかたびら)」が登場。
これが現在の浴衣の原型といわれています。
帷子(かたびら)とはひとえの肌着。
湯帷子は蒸し風呂に入る時用の肌着。
素材は麻が一般的。
汗を吸い取って、熱い水蒸気によるヤケドを防ぐために着用。
現在の浴槽に湯を張って入浴するスタイルがいつ頃誕生したのかは正確には不明。
鎌倉時代には湯船を備えた銭湯の原型のような物が既にあったと考えられています。
当初は湯帷子を着たまま湯につかっていたよう。
しかし、汗は自然と湯に流れて蒸気によるヤケドのリスクも低減されることで、次第に使われないように。
室町時代には、湯帷子は湯上がりの汗取り用衣服として使用されるようになります。
この頃に湯帷子が省略されて「ゆかた」となりました。
そして、現在と同じ「浴衣」の字があてられるように。
江戸時代では、銭湯で湯上がりに浴衣を着て、外に出る時にはいつもの着物に着替えていました。
だんだん、手間を省こうと、そのうち浴衣姿のまま銭湯を行き来する人々が現れるようになりました。
また、当時の歌舞伎役者で当時の大スター・七代目市川團十郎などが浴衣姿を披露。
庶民にも「浴衣で出歩くのが粋」と広まったという事も大きく流行した理由。
さらに江戸時代後期には、幕府の財政立て直し政策として1841年に始まった天保の改革。
贅沢品が禁止され絹織物などの和服は全て使えなくなりました。
そんな中で安い木綿生地の浴衣は外出着としてさらに重宝されるように。
また、浴衣は柄にも工夫が施されるように変化して、今に至ります。
浴衣の柄の意味
吉原つなぎ
吉原遊郭が楽しくてなかなか抜け出せない事を鎖デザインと表現。
また、人と人を結ぶ良縁という縁起の良い意味に変化。
この事からお客さんとの縁ということで、旅館などで採用されている柄。
矢絣(やがすり)
袴との組み合わせで入学式や卒業式で着られる事も多い柄。
矢は放たれると真っ直ぐ突き進んでいくという意味があるとのこと。
麻の葉
麻は成長が早くてぐんぐん育っていくので健やかな子供の成長を願うデザイン。
また、厄除けを意味する柄にもなっているので大人にも使用されています。
流水
流れる水は腐らないので「清らかさ、苦難や災いを流す」という意味があるとのこと。
結論
というわけで、
「浴衣ってなに?」は、
「お風呂の中で着るもの」
でした。
解説してくれたのは
横浜国立大学の薩本弥生教授
薩本 弥生 (サツモト ヤヨイ)
SATSUMOTO Yayoi
所属組織
教育学部 学校教員養成課程 家政教育
職名
教授
研究キーワード
被服衛生学、被服環境学、被服教育、被服構成学
http://ynu-satsumoto-labo.ynu.ac.jp/index.html
学歴
– 1992年 文化女子大学 家政学研究科 被服環境学 修了
– 1989年 お茶の水女子大学 家政学研究科 修了
– 1987年 お茶の水女子大学 家政学部 被服学科 卒業
家政学学士 – お茶の水女子大学
家政学修士 – お茶の水女子大学
博士(被服環境学) – 文化女子大学
学内所属歴
2021年4月 – 現在 専任 横浜国立大学 教育学部 学校教員養成課程 家政教育 教授
2017年4月 – 2021年3月 専任 横浜国立大学 教育学部 学校教育課程 家政教育 教授
2011年4月 – 2017年3月 専任 横浜国立大学 教育人間科学部 学校教育課程 家政教育 教授
2007年4月 – 2011年3月 専任 横浜国立大学 教育人間科学部 学校教育課程 家政教育 准教授
2000年4月 – 2007年3月 専任 横浜国立大学 教育人間科学部 学校教育課程 家政教育 助教授
(大学HPより)
大学全体
横浜国立大学は、4つの旧制官立教育機関を母体として、1949年、新制国立大学として発足した。母体となったのは、横浜経済専門学校(1923年創立の横浜高等商業学校が前身)、横浜工業専門学校(1920年創立の横浜高等工業学校が前身)、神奈川師範学校および神奈川青年師範学校(1876年(明治9年)創立の横浜師範学校が前身)。横浜師範学校を含めると、1876年以来の140年以上の歴史を有する。学内には、横浜国立大学工学部の前身、横浜高等工業学校初代校長鈴木達治の功績を顕彰した「名教自然の碑」[1]がそびえ立つ。また、国立大学で経営学部を設置しているのは本大学と神戸大学のみである。
新制大学としての発足以降、学部・大学院共に整備・改組が順次行われ、現在は5学部5研究科(連合学校教育学研究科を除く)を擁している。日本を代表する大都市の一つである横浜を基盤とし、学部増設に力点を置いた規模拡大路線をとらず、少数精鋭化と大学院教育研究の重点化を進めてきた。近年は文部科学省から地域貢献型大学に指定されており、地域のニーズに応える人材育成・研究を推進すると同時に、国際研究拠点としての環境整備にも力を入れている。
略称
『YNUユニバーシティ・アイデンティティ』(後述)では公式略称を「横浜国大」と「YNU」、呼称として使用できるものとして「横国(よここく)」を定めている。しかし、所在地の横浜市周辺では「国大(こくだい)」[2]という呼称も使われている。これは、同じく横浜市に存在する「横浜市立大学」との対比から呼ぶようになったものである[3]。
大学名とその経緯
日本の国立大学の中で唯一、大学名に「国立」の文字が入る[4]。
横浜地区では当初、新制国立大学は名称を「横浜大学」とする予定で申請したが、旧制横浜市立経済専門学校および旧制の私立横浜専門学校も新制大学への改組にあたって同じ大学名を申請しており、名称に関しては三者間で協議を行うこととなった。この協議において、各校は「横浜大学」の名を使用しないことで意見の一致を見ることとなり、新制国立大学は「横浜国立大学」の名称を使用することに決定した。また、横浜市立経済専門学校の後身校は「横浜市立大学」、横浜専門学校の後身校は「神奈川大学」の名称を使用することとなった。
基本理念
2004年の国立大学法人発足に伴い『横浜国立大学憲章』を定めた。そこに盛り込まれたYNUの基本理念の前文を以下に抜粋する。
横浜国立大学は、現実の社会との関わりを重視する「実践性」、新しい試みを意欲的に推進する「先進性」、社会全体に大きく門戸を開く「開放性」、海外との交流を促進する「国際性」を、建学からの歴史の中で培われた精神として掲げ、21世紀における世界の学術研究と教育に重要な地歩を築くべく、努力を重ねることを宣言する[5]。
(Wikipediaより)
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