今回は、2022年9月9日金 チコちゃんに叱られる! ▽太平洋の「太」▽指パッチンの不思議▽座布団の謎 初回放送日: 2022年9月9日の番組内容を紹介。
なんで座布団の隅っこには房があるの?
なんで座布団の隅っこには房があるの?
本日の最後の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、ホテルより旅館に泊まっていそうな和風な大人ってだーれ?」
岡村さんが立候補して回答者に。
チコちゃん「なんで座布団の隅っこには房があるの?」
岡村さん「座布団に穴が開いた時に房の糸を使って修繕できるように。」といった趣旨の回答。
正解に至らずしかられちゃいました。
座布団といえばという事で笑点の山田たかおさんに聞いてみます。
簡単に正解が。
さすがです。
チコちゃんの答えは、「邪気を払うため。」
邪気を払うため
解説してくれたのは、大東文化大学の宮瀧交二教授。
あの房には穢れを払う邪気払いの働きがあるとのこと。
座布団が誕生したのは平安時代。
「しとね」が座布団のルーツといわれています。
この頃は高級な敷物。
そのため、貴族階級のお屋敷にあるのみ。
主に天皇や貴族など位の高い人々が使用していました。
一方で庶民の家では縄をとぐろ状に編んだ円座(えんざ)という敷物を使用。
しかし、しとねにしても円座にしてもどちらも房は付いていません。
これが江戸時代になると全国で木綿の生産が本格普及。
庶民の間にも綿入りの座布団が広まっていきました。
この時に座布団の隅に房が付けられたのが始まりと考えられています。
そしてあの房の形は「ほうきの形」が原型。
ほうきはちり・ほこりを払う事から転じて邪気・穢れを払うものの象徴として扱われていました。
日本では繊維を束ねた形を邪気払いのシンボルとして古くから利用していた歴史が。
しめ縄や
甲冑の房など
色んな所で邪気払いに使われていました。
なぜ座布団で邪気払い?
江戸時代には火事、地震、疫病など様々な災いが庶民の生活をおびやかしていました。
それらから身を守るためのおまじない・ゲン担ぎとして座布団に房をつけてお守りにしていたのではと考えられています。
さらに座布団の形自体にも古代中国の神仙思想が反映されているとのこと。
中国では昔から東西南北に災いから人々を守る四聖獣が存在。
この事から四角く区切られた空間=聖域として守られているという言い伝えがあります。
四角い座布団自体がお守りの形をしていて、そこに座る事で邪気から聖獣が守ってくれると考えられたとのこと。
この考えは大相撲にも強い影響が。
四角い土台に土俵が作られ、その上には四角い屋根。
そして邪気払いの房。
屋根を吊るようになった以前(昭和27年)は四本の柱で屋根を支えていました。
その頃は青(緑)、赤、白、黒の布が柱に巻かれていました。
これは聖獣を表していたとか。
NHKで大相撲がテレビ中継される際につり天井に代わりました。
今でもつり天井の房は色分けされています。
これも同じ理由とのこと。
結論
というわけで、
「なんで座布団の隅っこには房があるの?」は、
「邪気を払うため」
でした。
(補足)
座布団メーカーによると房を付けることで、中の綿の偏りや抜けを防止して型崩れしにくくなるという実用的な意味もあるとのこと。
解説してくれたのは
大東文化大学の宮瀧交二教授
ミヤタキ コウジ
宮瀧 交二 文学部 歴史文化学科 教授
■ 現在の専門分野
日本史, 考古学 (キーワード:博物館学)
■ 主要学科目
日本文化史、博物館学概論、ほか
■ 学歴
1. ~1986/03 立教大学大学院 文学研究科 史学(日本史)専攻 修士課程修了 文学修士
2. ~2008/03 新潟大学大学院 現代社会文化研究科 博士課程 博士(学術)
■ 職歴
1. 1988/04~1989/03 本郷学園本郷中学・高等学校 非常勤講師
2. 1992/04~1995/03 立教女学院短期大学 非常勤講師
3. 1999~ 東京女子大学 文理学部 非常勤講師
4. 2003/04~2005/03 埼玉県立博物館主任学芸員
5. 2003/04~2004/03 専修大学 文学部 非常勤講師
(大学HPより)
大東文化大学(だいとうぶんかだいがく、英語: Daito Bunka University)は、日本の私立大学である。東京都板橋区に本部を置く。略称は大東(だいとう)や大東大(だいとうだい)。
概観
大学全体
大東文化大学は、大正期における日本の政治・経済・社会・文化の近代化の過程で見られた西洋偏重の傾向を是正し、漢学を中心とする東洋文化の振興を図ろうとする木下成太郎による「漢学振興運動」を発端として、1923年(大正12年)の帝国議会衆議院本会議において可決した「漢学振興ニ関スル建議案」に基づき設立された大東文化学院にはじまる。なお、議会の建議案決議で創設された経緯から、特定の創設者は存在しない。
2014年(平成26年)現在、8学部19学科・8研究科を設置している。
建学の精神
漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図ると共に儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して「新しい文化の創造」を目指す、と定められている。1985年(昭和60年)に制定された。
そして、2008年(平成20年)9月には、創立百周年に向けた基本計画「中期経営計画(CROSSING2023)」を策定。この中で、これからの21世紀における時代のあるべき姿を提言し、建学の精神を「多文化共生を目指す新しい価値の不断の創造」と現代的に読み替え、掲げている。
教育の理念
大東文化大学は、建学の精神に基づき、東洋の文化を中心として広く全世界の文化に関する諸学を研究・教授し、その振興を図ると共に、東洋固有の文化を尊重し、その伝統的な美徳を身につけて豊かな人格の形成に努め、併せて国際的な視野を持ち、世界の文化の進展と人類の幸福の実現に寄与できる有為な人材を育成することを目指す。
教育および研究
8学部19学科・8研究科(大学院)からなる文系総合大学である。文学部日本文学科と中国文学科、経済学部は創立当時からの歴史と伝統を持つ[注釈 1]。
書道教育には力を入れており、多くの書家や研究者を輩出している。1969年(昭和44年)4月に大東文化書道文化センター(後の書道研究所)を開設し、日本で唯一の書道専門機関となっている[1]。
創立以来日本文学や漢文学をはじめとする東洋文化研究を柱に据えており、アジア・東洋重視の伝統は受け継がれている。2006年(平成18年)には、国際関係学部の「アジア理解教育の総合的取り組み」が文部科学省の「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に採択。
2005年(平成17年)より板橋キャンパス近くの高島平団地を活性化することを発端とした環境創造学部による地域貢献活動「高島平再生プロジェクト(後にみらいネット高島平)」を地域住民と行っている。平成19年(2007年)に文部科学省の「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」に採択。
自己点検・評価は1994年(平成6年)の「大東文化大学自己点検及び評価規程」制定以来取り組まれており、現在では学長を委員長とする「自己点検・評価基本事項検討委員会」と、その下に実務機関としての「全学委員会」を組織して行われている。
また、教育の質や授業内容を向上させることを目的とした授業評価アンケートや、ファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development、通称FD)プログラムも実施している
(Wikipediaより)
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