今回は、チコちゃんに叱られる! 祝200回▽関西弁の謎▽羽田空港秘話▽山の不思議 初回放送日: 2023年2月24日の番組内容を紹介。
なんで羽田に空港があるの?
なんで羽田に空港があるの?
本日の2つめ目の話題。
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、大空が似合うステキな大人ってだーれ?」
この問題は、松潤さんが回答者に。
チコちゃん「なんで羽田に空港があるの?」
松潤さん「風向き」といった趣旨の回答。
正解に至らず、られちゃいました。
チコちゃんの答えは、「飛べない男たちが夢を見たから」
飛べない男たちが夢を見たから
解説してくれたのは、四日市市立博物館の廣瀬毅副館長。
羽田に空港が作られたのは三重県四日市出身の玉井兄弟から。
ここで、チコジェクトXスタート。
ナレーターは、いつもの田口さん
「夢よ羽ばたけ 大空へ 羽田空港誕生物語」
時代は明治30年ごろの三重県四日市。
機械製糸の道具を製造していた玉井商店。
主人公は兄・清太郎、弟・藤一郎の玉井兄弟。
子供時代に竹とんぼを飛ばしていて、空に興味を持ちました。
また、ライト兄弟の有人動力飛行成功の偉業に影響を受けます。
空にあこがれを持ったという玉井兄弟・
当時、日本では、日野熊蔵大尉と徳川好敏大尉がドイツやフランスでとんだ機体を日本に持ち込んで、有人飛行を成功させていました。
そこで、玉井兄弟は、国産初の飛行機製造を目標に何度も試作を重ねます。
機体を完成させましたが、エンジンはついていません。
エンジンを購入し、大正5年8月5日に遂に完成した機体を使った公開飛行。
しかし大観衆を前に飛行実験は失敗。
海面から飛び立つときに必要な水切りステップが付いていなかったため、
飛行機は延々と海面を滑っていくだけで離陸できませんでした。
失意の玉井兄弟。
そこに現れたのが宇都宮の呉服店の息子、相羽有。
航空雑誌「飛行界」の記者。
3人が出会ったことで進んだ話が「飛行機パイロット養成学校を作ろう」というプロジェクト。
そしてその地に選ばれたのが羽田沖(現在の多摩川沖)の三本葭(さんぼんよし)。
当時の地図がこちら。
陸上では飛行機を飛ばすだけの長い滑走路を敷設できる広い土地が確保できません。
海岸であれば干潮時に干潟が現れるので滑走路として利用できます。
これが理由で、この土地が選ばれました。
学校の名前は「日本飛行学校」。
ここで飛行機の製造やパイロットの育成などが進められました。
そして大正5年10月5日。
兄・清太郎が操縦する飛行機が遂に離陸。
その後、3人が企画したのが「帝都訪問飛行」。
飛行機の姿を都会の人々にアピール。
大正6年5月20日に羽田を飛び立った清太郎が乗る飛行機。
東京の空に到達。
3回行われたこの飛行。
3回目の着陸寸前に翼が折れるという事故で墜落。
清太郎と同乗していたカメラマンは即死。
また、同じ年の10月に東京を直撃した台風で日本飛行学校は飛行機を流失。
建物も大きな被害を受けました。
これで日本の航空史は途絶えるかに思えました。
しかし、大正12年9月に起きた関東大震災で鉄道網が大きな被害を受けたことで飛行機にふたたび脚光が。
陸上交通から航空輸送へ大きなパラダイムシフト。
そこで、民間専用の飛行場を作ろうと話を推し進めたのが、元軍人の政治家・長岡外史。
都心に近い民間専用の空港が必要と考えた長岡。
日本飛行学校の土地に白羽の矢。
校舎の北側を埋め立てて滑走路を建設。
そして、昭和6年に日本初の民間専用空港・東京飛行場(のちの羽田空港)が完成。
この最初の飛行は中国・大連行。
乗客はゼロ。
運ばれたのは、大連に住む日本人に秋の気分を味わってもらおうと運ばれた6000匹のマツムシ、鈴虫。
のちに相羽有は航空会社を設立。
兄に先立たれた弟の藤一郎はエンジン製造の仕事を続けます。
このように、空に憧れた3人が作った日本飛行学校が羽田空港の礎になりました。
結論
というわけで、
「なんで羽田に空港があるの?」は、
「飛べない男たちが夢を見たから」
でした。
解説してくれたのは
四日市市立博物館の廣瀬毅副館長
概要
平成5年11月1日開館。平成27年3月21日リニューアルオープン。四日市公害と環境未来館を併設しています。
リニューアルした常設展示は、古代から近世までの各時代の特徴を象徴する建物を原寸大で再現し、時代を体感できる展示として四日市公害と環境未来館の近・現代の展示につなげ、歴史の流れを理解してこれからの四日市を考える場としています。
プラネタリウムは、従来の「地球からみた宇宙」という視点から、「宇宙からみた地球、宇宙からみた四日市」という新たな視点で、地上目線では捉えることができない地球環境について投映し、四日市公害と環境未来館と連携した環境を考える場として特色あるプラネタリウムとしています。
基本理念
当館は、利用者の方々が主体的に関わりをもって、「私たちの博物館」としてともに地域文化の創造性を高めていくよう次のことを基本理念としています。
市民の創造性を高めます。
これからの豊かなまちづくりには市民の創造性が必要です。文化の振興によって創造性豊かな人材を養成し、市民の活力を引き出して都市の力を高め、市外からも創造的な人材が集まるようにして魅力ある都市を形成していくことが理想です。その実現のために四日市市の文化資産のひとつである市立博物館は、市民一人ひとりの多様な個性に対応し、文化の多様性を認め合いながら、それぞれがより豊かな個性に育っていくよう、多彩な内容のものを学習できる機会を作っていきます。これまで地域に培われてきた文化を伝えるだけでなく、市民一人ひとりの個性の創造に寄与してその成果として現れる新たな文化の創造に尽くしていきます。
郷土を大切にする心を育みます。
郷土から世界の国々、果ては宇宙に至る多様な自然、歴史や文化について、様々な角度から取り上げます。直接あるいは他地域との違いにより間接的に郷土に対する市民の理解を深め、そのことにより、よりよいまちづくりの基盤を形成し、郷土を大切にする心を育むとともに、他の地域や外国との発展的な関係を生む基礎を形成します。
世代をつなぎます。
これまで当博物館は、公立の施設としての特色を活かして、郷土の先人が創り出した文化遺産を保全し、知識を蓄えてきました。これらは、郷土のかけがえのない文化的財産であり、今後もこれらの蓄えを増やし、効果的に運用しながら確実に次の世代に引き継ぎ、世代と世代をつないでいきます。また、これらの文化的財産を活用した世代間の交流の場をもち、永続的に市民文化を継承するとともに、この地域の新たな特色ある文化の創造に寄与します。
歴史を未来に活かします。
四日市市立の当博物館は、四日市市の行政組織のひとつとして、これまでに蓄えた歴史的資料や知識、施設を活用し、われわれが現在直面している様々な問題について考える場としての役割を担い、よりよいまちづくりを目指します。
学校教育をより豊かなものにします。
学校教育のカリキュラムに対応した展示やプラネタリウム投映を実施し、教科書では行うことのできない方法で子どもたちに歴史や自然科学を体験させ、教室での授業をより豊かなものとします。また、質の高い文化・芸術にふれることにより、豊かな人間性を備えた子どもが育成されるよう学校教育を支援します。
(HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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