今回は、チコちゃんに叱られる! ▽家のニオイの謎▽冷たいの謎▽ホワイトボードの謎 初回放送日: 2024年1月19日の番組内容を紹介。
なんで自分の家のニオイは気にならないのに人の家のニオイは気になるの?
なんで自分の家のニオイは気にならないのに人の家のニオイは気になるの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、おウチがキレイなステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで自分の家のニオイは気にならないのに人の家のニオイは気になるの?」
チコちゃんの答えは、「危険を感じるから」
危険を感じるから
食べ物から良い匂いがした時「美味しそう。食べたい。」という感情が湧き上がってきます。
その一方で腐ったような悪臭がする食べ物に対しては「不味そう。お腹壊しそう。」と不快に感じます。
人間はそのニオイを嗅いだ時に、それが自分にとって「安全か?」それとも「危険か?」
瞬時に判断。
そして安全なものだと分かるとこれが慣れに変わって、どんどん感覚が鈍くなっていきます。
安全だと分かり切った物に気を取られていると他に危険を知らせるニオイが出てきた時にすぐに対応するのが難しくなるから。
安全なニオイに対しては反応ゼロな状態が好ましい状態。
自分の家は基本的に危険な事は起こらない安全地帯。
そのニオイに慣れて気にならなくなります。
一方、他人の家は慣れ親しんでいない場所。
当然そこで嗅ぐニオイに対しては敏感になります。
他人の家だとしても安全であるという認識が高まるにつれて、最初のうちは気になっていたニオイに徐々に慣れてきます。
すぐに気にならなくなってくるとのこと。
その時間は5分程度。
ただしその家主の事が嫌い、植物やペットなど苦手なもののニオイがすると不快感があるとのこと。
いつまでも気になってしまいます。
ちなみに家のニオイの正体は、汗や体臭、玄関の靴、水回り、ペットのニオイが混ざり合っています。
最後に安藤咲良さんとソムリエの田崎信也さんに、番組スタッフの2軒の家のニオイを言葉で表現。
安全だと感じた方を選んでもらいました。
結論
というわけで、
「なんで自分の家のニオイは気にならないのに人の家のニオイは気になるの?」は、
「危険を感じるから」
でした。
解説してくれたのは
東北大学大学院の坂井信之教授。
教授
坂井 信之
SAKAI Nobuyuki
所属
大学院文学研究科・文学部
総合人間学専攻
心理言語人間学講座
心理学分野
主要担当科目 応用心理学各論
実験心理学概論
略歴 大阪大学人間科学部卒業、同大学院人間科学研究科博士後期課程修了
日本学術振興会特別研究員(広島修道大学)、科学技術振興事業団科学技術特別研究員、神戸松蔭女子学院大学(人間科学部生活学科)・大学院(心理学専攻)を経て2011年10月より現職
学位 博士(人間科学)
研究分野 心理学、神経科学、応用心理学、健康心理学
研究課題 食行動の心理学(感覚・知覚心理学、生物心理学、健康心理学など)
化学感覚(味覚、嗅覚、体性感覚など)に関する認知神経科学
研究キーワード 味覚・嗅覚・体性感覚・おいしさ・心地よさ
所属学会等 日本心理学会
日本応用心理学会
日本味と匂学会
研究者紹介DB http://db.tohoku.ac.jp/whois/detail/cd73080c3f020ae96952acfd2ef4209e.html
(大学HPより)
東北大学(とうほくだいがく、英語: Tohoku University)は、宮城県仙台市青葉区片平二丁目1番1号に本部を置く日本の国立大学。1907年創立、1907年大学設置。大学の略称は特になく、東北大と呼ばれる。仙台では「とんぺー」という愛称で呼ばれている[1]。
概観
全体
国内で3番目の帝国大学として1907年(明治40年)に創設され、仙台においては1911年(明治44年)に開学[2]した東北帝国大学理科大学を源流とする大学である。
東北大学の創立年次は時代によって見解が異なっており、創立25周年記念式典の際は東北帝国大学理科大学の開設年である1911年(明治44年)を創立年次と位置付けていたが[3]、現在は東北帝国大学の設立の勅令(第236号)が『官報』に掲載された1907年(明治40年)6月22日を創立記念日と位置付けている[4][5][6]。
東北帝国大学創立期の大学の文書記号は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」とされた[7]。後に東北帝国大学から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。ただし、現在では「北大」は北海道大学の略称として用いられることが多く、東北大学の略称は「東北大」が用いられる。2017年6月、指定国立大学法人に指定される。
理念
東北大学では、「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」の3つを大学理念としている。
研究第一
「研究第一」の標語は、初代総長・澤柳政太郎が本学最初の入学宣誓式で、次のように述べたことに由来する。「大学は無論学術の研究を主とするものなるが故に、学術の研究に重きを置くは大学としての特色にして各国の大学皆然らざるなし。」「我東北大学はこの点に於いては何れの大学にも退けを取らざる覚悟なり。」第2代総長を務めた北條時敬もまた、大学教授の必須要件は研究者として第一流であること、と述べた。このような本学草創期における東北大学の理念を「研究第一」主義という用語に収斂させたのが、第6代総長で世界的研究者でもあった本多光太郎である。世界第一流の研究こそが東北大学の最も重要なミッションであり、本学の教育も含めた活動の基盤であるという理念は、第二次世界大戦後も歴代総長と本学構成員によって脈々と受け継がれ、今日まで本学の最も重要な伝統として息づいている[8]。
また、東北大学が「研究第一」を標榜した理由としては、先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、京都帝国大学が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした「研究第一」主義の現れとして、全国の国立大学附置研究所の中で最も古い歴史を有する附置研究所の一つである金属材料研究所(設置当時の研究所名は臨時理化学研究所第2部)を擁すること、第二次世界大戦時には附置研究所の数が10を数えた時期があること等が挙げられる。なお、1998年(平成10年)-2008年(平成20年)の論文の被引用数では日本国内で第4位(世界第64位)[9]、2005年度の主要研究経費は約260億円で、日本国内で第2位となっている[10]。
門戸開放
東北帝国大学理科大学創設当初、既設の帝国大学が旧制高等学校出身者にのみ入学を認め、東北帝国大学農科大学が札幌農学校予修科の流れを汲む同農科大学予科出身者からの受け入れを主体としていたのに対して、理科大学は旧制高等学校、大学予科以外の教育機関出身者にも入学を認めた(傍系入学)。また、1913年(大正2年)には3人の女性(黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく)に対して入学を許可した。これは帝国大学としては初めての女性に対する入学許可であり[11]、入学許可が官報に掲載された8月21日は女子大生の日となっている[12][13]。さらに、日本における外国人留学生の博士号取得第一号(陈建功)と第二号(苏步青)を輩出するなど、東北帝国大学時代より外国人留学生が数多く本学で学んできた。このような経緯のもとに、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員・職員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、男女雇用機会均等法の改正を受け、杜の都女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されている。2014年には、男女共同参画社会を目指す活発な取組の一助となるよう、澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞(通称:澤柳記念賞)が創設された。現在の学部学生は、東北地方以外の出身者が過半数を占めており[14]、旧帝国大学の中では地元以外からの入学者比率が高い方である(「帝国大学#入学状況」参照)。
実学尊重
東北大学では創設以来、社会で実用される研究が奨励されてきたことに加え、大学での研究に端を発した企業が複数設立されてきたなど、実学が大変重視されている。その伝統は、2007年(平成19年)の大学別特許公開件数で日本国内1位[15]であるところにも現れており、これは、自然科学のみならず、人文科学および社会科学の学問分野においても根付いている。
評価
QS世界大学ランキング2024(2023年)では第113位、アジア第24位、日本国内第5位である[16]。また、英タイムズ紙系の教育専門誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』によるTHE世界大学ランキング2023-2024(2023年度)では、同点第130位、アジア第20位、日本国内第3位である[* 1]。THE世界大学ランキング日本版2023では総合第1位であり、4年連続の首位となった[17][18]。
(Wikipediaより)
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