NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

チコちゃんに叱られる!

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なんでのど自慢で鐘を鳴らすの?→「結構です」が合格か不合格かまぎらわしかったから

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今回は、チコちゃんに叱られる! ▽のど自慢の鐘▽呼吸の謎▽観光地の写真の不思議 初回放送日:2024年8月23日を紹介。


なんでのど自慢で鐘を鳴らすの?




なんでのど自慢で鐘を鳴らすの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、歌がうまいステキな大人ってだーれ?」


チコちゃん「なんでのど自慢で鐘を鳴らすの?」



チコちゃんの答えは、「「結構です」が合格か不合格かまぎらわしかったから。」



「結構です」が合格か不合格かまぎらわしかったから


NHKでのど自慢が始まったのは1946年。


ラジオ第1放送で「のど自慢素人音楽大会」が最初。


終戦から僅か5か月後というタイミング。


ラジオが数少ない娯楽の中心だった時代でした。


「歌の素人が歌ってみたら面白いのでは?」というスタッフの一言で一般参加型の番組が誕生しました。


全くの素人がマイクの前で歌うという事自体が前代未聞の時代。


さらに自分の声が全国に流れるというのは画期的。


出場者をラジオニュースで募集しました。


時には1000人以上が会場に列を作るという大反響!


当時は大勢の出場者を前に1日300人ずつ予選会を行いました。


そして、その合格者だけが番組に出演することができました。


その後、1953年にテレビ放送がスタート。


その人気は衰えずに未だに続く長寿番組として親しまれています。


そののど自慢の鐘は番組の初期には使われていませんでした。


都の時は、司会者が口頭で合格不や合格を伝えるという方式。


合格の場合は「おめでとうございます。合格です。」




不合格なら「もう結構です。」と伝えるのが司会者の仕事。


しかし、この結構ですという言葉を合格と勘違いする出場者が続出。




この言葉だと「結構な腕前で上手に歌えています。」と解釈する事も可能。


出場者は混乱。


不合格では「やめてください。」「お帰りください。」という言葉ではかなり乱暴。


そこで、鐘の音でそれとなく伝えるというアイデアが生まれました。


当初使われていた鐘がどんなものだったのかは資料が残っていないので不明。




鐘をチンと鳴らしただけでは歌に集中している出場者の耳にはなかなか届かなかったようです、


鐘のシステムも最初はなかなか上手くいきません。


そこでチューバーベル(チューブラーベル)を叩いて知らせてみてはどうか?と改良のアイデア。




これが、現在も続くのど自慢の鐘となりました。


そして、歌の出来具合によって鐘の音を3段階で知らせるように工夫。




その後は合格時のドミレの3つだと寂しい感じがするのでもっと派手に叩くように改められました。


そして、「ドシラソ ドシラソ ドミレ」のあの定番が誕生。


最後にのど自慢高松大会の予選会の裏側にカメラが潜入取材。


予選会に挑むのは書類選考で選ばれた200組の参加者。


午後0時にスタートした予選会でまず最初に歌うのは番組の若手ディレクター。


エントリーナンバーと曲名を言ってから歌い出すという基本的な流れを模範演技として説明。


1時間に50組というスピードで審査。


並行して参加者に対して舞台袖でプロフィールや選曲理由などを直接取材。


これも審査の対象になります。


予選会スタートから5時間30分経でいよいよ結果発表。


午後6時には予選会通過者に対して本番に向けた説明会。


本番用により詳しい取材がおこなわれます。


そして本番当日となります。


歌の審査は別室で行われます。


鐘の数と鳴らすタイミングはヘッドホンを通じて鐘の演奏者へ。


そして、合格、不合格の鐘が鳴るという流れとのこと。



結論


というわけで、


「なんでのど自慢で鐘を鳴らすの?」は、


「「結構です」が合格か不合格かまぎらわしかったから」


でした。
 


解説してくれたのは


放送作家の寺坂直毅さん。


のど自慢チャンピオン大会やうたコンなどにスタッフとして参加をしているとのこと。


寺坂 直毅(てらさか なおき、1980年11月7日 – )は、日本の放送作家。宮崎県宮崎市出身。

略歴
中学時代の1994年、同性の同級生によるセクハラが元で不登校になり、定時制高校に進学するも引きこもり状態になる。

一時は自殺まで考えるが、高校在学中の1997年、宮崎でも放送されていた文化放送のラジオ番組『Come on FUNKY Lips!』を聴き始め、特に水曜日担当の今田耕司・東野幸治の大ファンになる。同じ定時制出身の今田や「死ねばいいのに」等の際どいトークを連発する東野に触発され、ネタを投稿する事に生きがいを見出す。

1999年、「人生のリセット」をするために放送作家を志して上京。専門学校を経てデビュー。

エピソード
実家は毛糸店を営み、「愛を編む」を捩った「アイ・アム・テラサカ」という屋号である。
高校時代に今田耕司・東野幸治のラジオに救いを見出した経験から両人の大ファンであり、「イマヒガチルドレン」を自称。両人の過去の担当番組やエピソードなどに非常に詳しい。後に両人の番組『やりすぎコージー』(テレビ東京)に出演、同番組担当が決まった時は「これで死んでもいい」気持ちだったと語っている。
かなりマニアックな性格で、デパート[1]・『NHK紅白歌合戦』(NHK)[2]・『徹子の部屋』(テレビ朝日)に関する知識は膨大。
デパートは全国の主要駅近くの店舗は全て把握しており、パンフレットも収集。エレベーターマニアでもあるため、各店舗のエレベーターが何社製かも知っている。ゆくゆくは地元宮崎に「アイ・アム・テラサカ」という屋号のデパートを作るのが夢。地元にあったことから山形屋(宮崎山形屋)への思い入れが強く、2008年に「山形屋大使」に正式に任命された。また、担当番組『星野源のオールナイトニッポン』では、デパート好きがリスナーに広く知られたことから、2021年から箱番組として『寺坂直毅のデパートに愛を誓って!』を担当している[3]。
自殺を考え福井県の東尋坊に向かおうとした際、最後に以前より訪れたかった石川県のデパート「香林坊大和」に行き、その景観に心が洗われ自殺を思いとどまったという。
紅白は1974年以降の司会者・トリのコメントを全て暗記している。また、「ひとり紅白」と称してセットのミニチュアも自作し、番組進行通りにセットチェンジを再現するなど細部にわたって精通しており[4]、そのマニアぶりを見込まれて、NHKから番組出演のオファーを受けたこともある。また紅白の歴代司会者の中で断トツとの評価を持っているのはSMAPの中居正広である。
同学年の星野源と親しく、ライブではMCを担当しているほか、『星野源のRADIPEDIA』・『RADIPEDIAスペシャル』にポーター(構成作家兼出演者)、『星野源のオールナイトニッポン』には構成作家として、また『YELLOW VOYAGE』などのライブでは口上として参加した。
(Wikipediaより)




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