今回はチコちゃんに叱られる! ▽iPS細胞の謎▽源頼朝と織田信長▽小袋の不思議 初回放送日NHK総合テレビジョン6月5日(金)を紹介。
なんで源頼朝は「の」を付けるのに織田の信長と言わないの?
なんで源頼朝は「の」を付けるのに織田の信長と言わないの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、町でたくさん名前を呼ばれる大人気の大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで源頼朝は「の」を付けるのに織田の信長と言わないの?」
チコちゃんの答えは、「源は名字じゃないから。」
源は名字じゃないから
「源頼朝」には「の」が付くのに、なぜ「織田信長」は「織田の信長」と言わないの? 歴史に隠された名前のミステリー!
歴史の授業で、ふと疑問に思ったことはありませんか?
「みなもとの・よりとも」や「たいらの・きよもり」には、名前の真ん中に「の」が入ります。
それなのに、「おだ・のぶなが」や「たけだ・しんげん」には「の」が入りません。
同じ歴史上の超有名人なのに、この違いは一体どこから生まれるのでしょうか?
チコちゃんの答えは、目からウロコの一言。
「源(みなもと)は名字じゃないから」!
名字研究家の森岡浩さんの解説をもとに、日本の「名前の歴史」に隠された驚きのルールをすっきり紐解いていきましょう!
始まりは「どこどこの一族の、だれだれ」
今でこそ、私たちは「名字」と「姓(せい)」を同じ意味で使っています。
しかし、本来これらはまったくの別物でした。
歴史をぐっと遡ってみましょう。
学校の教科書に最初に登場する日本人のひとり、卑弥呼(ひみこ)。
この時代には、まだ名字のようなものはありませんでした。
変化が起きたのは6世紀頃です。
「蘇我馬子(そがのうまこ)」のように、名前に「の」が登場するようになります。
これは、中国文化圏からの影響だと推測されています。
意味としては「蘇我という一族の、馬子」という、所属を表すルールでした。
天皇から授かる特別なシンボル「姓(せい)」
飛鳥時代から平安時代にかけて、天皇を中心とした政治体制が整っていきます。
ここで誕生したのが、天皇から功績を称えて与えられる「姓(せい/かばね)」です。
一番最初にこの「姓」を授かったのが、大化の改新で有名な藤原鎌足(ふじわらのかまたり)でした。
もともとは「中臣(なかとみ)」という名前でしたが、669年に天智天皇から「藤原」という姓を与えられました。
その後も、天皇から特別な一族へ「姓」が与えられていきます。
元明天皇から授かった「橘(たちばな)」
淳和天皇から授かった「平(たいら)」
嵯峨天皇から授かった「源(みなもと)」
これらは、いわば「天皇公認の由緒正しいトップブランド一族」の証です。
そのため、昔からのルールにならって、「源一族の頼朝」という意味で「源(の)頼朝」と、「の」を付けて呼ぶのが正式な決まりでした。
「みんな藤原さん問題」から生まれた、自分で作る「名字」
天皇から与えられた「源・平・藤原・橘」の一族は、時代とともに大繁栄します。
しかし、ここで大問題が発生しました。
一族が増えすぎてしまい、朝廷の中が「ほぼ藤原さんだらけ」になってしまったのです。
「これでは誰が誰だかさっぱり区別がつかない!」
困った人々は、藤原以外の呼び名を自分たちで考え出して名乗るようになりました。
これこそが「名字(みょうじ)」の誕生です。
つまり、大きな違いはここにあります。
姓(せい):天皇から与えられた、公的でオフィシャルなもの。
名字(みょうじ):区別するために自分で作った、日常使いのプライベートなもの。
名字の付け方は、主に「役職」や「住んでいる地名」から取られました。
たとえば、伊勢の長官(伊勢守)の「伊」と、藤原の「藤」を合体させて「伊藤」という名字が生まれました。
また、治めている土地の名前から「三浦」と名乗る人も現れました。
最初は名字に「の」を付ける人もいましたが、日常使いの私的な名前であるため、次第に「名字には『の』を付けない」というルールが定着していったのです。
戦国武将たちの「本当のフルネーム」が凄すぎる!
このルールを戦国武将に当てはめてみましょう。
「織田」や「武田」は、先祖が住んでいた土地の名前、つまり「名字」です。
そのため「の」は付きません。
織田信長の祖先は、現在の福井県にある「織田荘(おだのしょう)」という場所に住んでいたから織田を名乗りました。
実は、彼らの正式なフルネーム(公的な名乗り)を書き出すと、信じられない長さになります!
織田信長の正式な名前
「織田 上総介 平 信長(おだ かずさのすけ たいらの のぶなが)」
織田 = 名字(地名)
上総介 = 役職名(上総の国の次官)
平 = 天皇から与えられた「姓」(※信長は平氏の末裔を自称していました)
信長 = 親が名付けた本名(実名)
なんと、織田信長の正式な名前の中には、ちゃんと「平(の)信長」と「の」が入る部分が隠されていたのです!
武田信玄の正式な名前
「武田 大膳大夫 源 晴信 入道 信玄(たけだ だいぜんのだいぶ みなもとの はるのぶ にゅうどう しんげん)」
こちらも、真ん中にしっかりと「源(の)晴信」という、輝かしい「姓」が刻まれています。
上杉謙信の正式な名前
「上杉 弾正少弼 藤原 輝虎 入道 謙信(うえすぎ だんじょうしょうひつ ふじわらの てるとら にゅうどう けんしん)」
謙信も同じように、名誉ある「藤原(の)輝虎」という姓を持っていました。
つまり、私たちが普段呼んでいる「織田信長」や「武田信玄」という名前は、実は「名字」と「本名」をピックアップした省略形だったわけですね。
明治時代にすべての日本人が「名字」を持つことに
この「姓」と「名字」の複雑な文化は、明治時代に終わりを迎えます。
1871年(明治41年)、国が「戸籍法」という法律を作りました。
これによって、すべての国民が家族単位で「名字」を登録することが義務づけられたのです。
当時、農民や町民の中には、公的な名字を持っていない人もたくさんいました。
そのため、慌てて新しい名字を考え出す人が続出しました。
また、それまで伝統的な姓や名字を持っていた人も、全く新しい名字を自由に登録し直すことが許されました。
この時に、日本に何万種類ものユニークな名字が一気に誕生したのです。
ちなみに、天下統一を果たした豊臣秀吉(とよとみのひでよし)。
「豊臣」は天皇から与えられた「姓」なので、本来なら「とよとみの・ひでよし」と「の」を付けるのがルールです。
しかし、秀吉の時代にはすでに「の」を入れずに名前を呼ぶスタイルが世間に広く浸透していました。
そのため、当時から「の」を付けずに呼ばれることが一般的だったそうですよ。
まとめ
「源頼朝」と「織田信長」の呼び方の違い。
それは、日本の名前が「天皇からもらったものか」「自分たちで作ったものか」という、歴史的な大区別から生まれたものでした。
「源(みなもと)」は天皇から与えられた公的な「姓(せい)」。だから「の」が付く。
「織田(おだ)」は自分の土地から名付けた私的な「名字」。だから「の」は付かない。
織田信長や武田信玄の本当のフルネームには、実はしっかり「の」が入る「姓」が隠されている。
明治時代の戸籍法によって、現在の「すべての人が名字を持つ」形に統一された。
自分の名字のルーツを辿ってみると、もしかしたら遠い先祖が住んでいた地名や、大昔の天皇から授かった歴史に繋がっているかもしれません。
次に歴史の教科書や大河ドラマを見るときは、登場人物たちの名前に「の」が入っているかどうかに、ぜひ注目してみてくださいね!
結論
というわけで、
「なんで源頼朝は「の」を付けるのに織田の信長と言わないの?」は、
「源は名字じゃないから」
でした。
解説してくれたのは
名字研究家の森岡浩さん。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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