NHK番組「チコちゃんに叱られる!」の放送内容を詳しく紹介!

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そもそも万博はどういう理由で始まったの?ヴィクトリア女王の夫がロンドンを世界の中心にしたかったから

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今回はチコちゃんに叱られる! ▽万博の謎▽バレーボールとは▽キュン死する? 初回放送日:2024年10月25日を紹介。


そもそも万博はどういう理由で始まったの?




そもそも万博はどういう理由で始まったの?


チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、お祭り好きなにぎやかな大人ってだーれ?」


チコちゃん「そもそも万博はどういう理由で始まったの?」



チコちゃんの答えは、「ヴィクトリア女王の夫がロンドンを世界の中心にしたかったから。」



ヴィクトリア女王の夫がロンドンを世界の中心にしたかったから


世界初の万博は1851年のイギリス・ロンドンで開催されたものが最初。


ロンドン万博では当時の最新技術だった鉄とガラスで造られたクリスタルパレスという建物や、蒸気機関車、顕微鏡、美術品などが出展。


フランス・ドイツ・アメリカといった国々から出展されました。


このロンドン万博以前はヨーロッパの国ごとに博覧会を開催していました。


最先端の工業製品や優れた芸術品などを国の内外に広める見本市のような役割。




これに注目したのがイギリスのヴィクトリア女王の夫のアルバート公でした。




それまで個別の国ごとに開いていた博覧会。


ロンドンに集めて盛大に開催しようと画策。


これによってロンドンが世界の中心であると世の中に知らしめようと考えました。


貿易を盛んにするという狙いも。


このアルバート公の計画は大成功。


ロンドン万博には約604万人が訪れてイベントは大成功となりました。


その結果、経済活動が活発になったおかげでイギリス。


大きな発展を遂げる事になりました。


その成功を見た他の国々も次々と万博を開催するように。


日本が初めて参加したのは1867年のパリ万博。


甲冑や金屏風など工芸品を展示しました。




会場全体で一番の人気を博したのが日本のある展示物。


その中でも、「日本茶屋」が大人気。




初めて見る芸者の姿に欧米の人々は興味津々だったようです。


これによって日本=芸者というイメージが強くなりました。


19世紀は多くの発明品が誕生した激動の時代。


万博は最新の発明品をお披露目して、未来の暮らしを体験できる場としても注目を集めるように。


1853年ニューヨーク万博のエレベーター




1876年フィラデルフィア万博の電話や1900年パリ万博の動く歩道など。


そしてアジア初の万博となった1970年大阪万博では現在の携帯電話のルーツとなったワイヤレステレホン、リニアモーターカーなど出典されました。


その後、万博は自然環境など地球の抱える様々な課題を解決する発明品や展示物が発表されるように変化していくようになりました。


最後の、大阪万博の様子を紹介。


一周約2㎞の大屋根リング




コンポストシステムなど




空飛ぶ自動車も。




電動・自動化・垂直に離着陸が特徴とのこと。


1970年の大阪万博で紹介されたほとんどのものが実用化されたとのこと。


しかし実現できていないものとして人間洗濯機があるとのことで、今回も新しいものが紹介されるとのこと。





結論


というわけで、


「そもそも万博はどういう理由で始まったの?」は、


「ヴィクトリア女王の夫がロンドンを世界の中心にしたかったから」


でした。
 



解説してくれたのは


大阪公立大学の橋爪紳也特別教授


橋爪 紳也(はしづめ しんや、1960年12月6日 – )は、日本の建築史家、都市計画家である。大阪公立大学特別教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士(大阪大学、1990年)。大阪市中央区島之内生まれ。兄は美術史家の橋爪節也。

概要
狭義の建築史にとどまらず、広く大阪・関西の都市政策と都市文化について研究している。その知識と経験を生かして、自治体の委員や街づくり関連団体のアドバイザーとしても活躍している。

1999年からは大阪市立大学の教員として、地元大阪市でも数多くの公職を務めた。關淳一市長の下でもアドバイザリーボード「元気で美しい大阪づくり有識者会議」[1]のメンバーであったが、2007年9月4日に大阪市役所で記者会見し、大阪市長選挙に無所属で出馬することを表明した。關までの歴代市長が市役所内部出身であることや職員新規採用の完全な凍結方針などを批判、市営地下鉄の民営化方針の手順や市有地の処分に対して独自の提案を行ない、「世代交代」による大阪の再創造を掲げての出馬であった。[2][3]。

NHK連続テレビ小説では時代考証(「芋たこなんきん」)や、大阪街並み考証(「わろてんか」「」)を担当した。

2007年大阪市長選挙
詳細は「2007年大阪市長選挙」を参照
橋爪が大阪市長選挙に出馬した背景には、自由民主党や公明党の一部市議や市議OB、市OBが關の市政改革の手法に反発していたことがあった[4]。橋爪は、まちづくり団体の有力者や一部市議の支援を受けつつ、両党に推薦を要請したが、最終的に両党は現職の關の推薦を決定した。選挙戦では、若手選挙プランナー松田馨らの助力を得る。市民とのタウンミーティングを重ねて市民の意見を取り入れる手法でマニフェストを作成し[5]、公約として市民活動活性化のための自治基本条例の制定を盛り込むなど[6][7]政党推薦を受けない「市民派」をアピールしたが、支持を広げることはできなかった。同年11月18日の投票では、知名度で劣り公約にも重なる点のあった平松邦夫(民主党・国民新党推薦)に票を引き離され落選した。

大阪府政策アドバイザー就任
2008年度からは大阪府立大学の特別教授となり、観光産業戦略研究所の所長を務める。同時に古巣の大阪市立大学特任教授として大学に復帰する一方、「水都」大阪の水辺を生かした街づくりに関心を持つ橋下徹大阪府知事の下で大阪府特別顧問、政策アドバイザーに就任した。都市魅力向上や国際観光振興に関わる施策立案に関与、統合型リゾートの大阪誘致を橋下知事に提言した。一方、選挙戦で敗れた相手の平松邦夫大阪市長に乞われて、外郭団体「大阪市都市工学情報センター」のアドバイザーにも就任した。以後、大阪のまちづくりに関わるキーパーソンとして活躍している[8]。

大阪府特別顧問・大阪市特別顧問就任
2012年、府市の特別顧問に就任。「大阪府市文化振興会議」「大阪府市都市魅力推進会議」「大阪府河川水辺の賑わいづくり審議会」「大阪市都市景観委員会」などの各会長を務め、「大阪市都市計画審議会」会長職務代行者などを歴任した。大阪観光局やアーツカウンシルなどの設置、大阪城や天王寺公園へのパークマネジメント導入を進言、水と光のまちづくりや大坂の陣400年記念プロジェクト、新大阪や大阪城東部地区の緊急整備地区の構想立案など、一連の都市再生事業や観光集客プロジェクトのキーパーソンとして活躍[9]。2025年日本国際博覧会の大阪招致構想を検討する「国際博覧会大阪誘致構想検討会」の委員長も務めた[10]。
(Wikipediaより)




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