今回はチコちゃんに叱られる! ▽万博の謎▽バレーボールとは▽キュン死する? 初回放送日:2024年10月25日を紹介。
なんでバレーボールをするようになったの?
なんでバレーボールをするようになったの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、スポーツが得意なステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでバレーボールをするようになったの?」
チコちゃんの答えは、「バスケットボールが激しかったから」
バスケットボールが激しかったから
バレーは1895年のアメリカで生まれたスポーツ。
この当時アメリカで人気のスポーツと言えばアメフト、野球、バスケの3つでした。
どのスポーツも若者がエキサイトする球技として大人気。
全体的に激しい競技ばかりでした。
これに疑問を持ったのがバレーの生みの親であるW・G・モーガンさん。
モーガンは市民にスポーツを教える指導者として活動していました。
25歳から40歳の中高年クラスを受け持っていたモーガンさん。
バスケを指導していましたが、この年代にとってバスケ競技は激しいスポーツ。
運動量に加えて体をぶつけ合うという競技の特性から考えるとかなりタフなスポーツでした。
モーガンさんはどの年代でも優しく行える競技を念頭にバレーを考案。
そこで考え出された当時のバレーのルール。
やさしさとして、ぶつかり合いを避けてコートにネットを立てて敵味方に分かれる
また、コートをバスケよりもコンパクトに。
集まった人を半分に分けてそれぞれチーム作りました。
出られない人がいないように人数制限なしに。
また、返球回数は無制限というもの。
好きなタイミングで返球することができました。
当時はスパイクの技術なども開発されていませんでした。
そこで、集まった人たちでボールを落とさないように回し続けるという優しい競技に。
この競技はやがてアメリカから世界中に広まっていきました。
とくに、バレー人気が高まっていたフィリピンで1912年に開かれたバレーの国内大会大問題が。
味方同士で延々と52回もパスを回してしまうという出来事が発生しました。
これだと競技として成立しないという事に。
この出来事をきっかけにして3球返球ルールが整備される事になりました。
その後は徐々に競技が洗練されていき人数が戦術が考えやすいようにと6人へ変更。
攻守のポジションを回すローテーションのルールも追加されました。
このように、競技バレーとして徐々に激しいスポーツに変化していき、現在に至ることに。
結論
というわけで、
「なんでバレーボールをするようになったの?」は、
「バスケットボールが激しかったから」
でした。
解説してくれたのは
東京学芸大学の髙橋宏文教授。
東京学芸大学, 保健体育教室(教育組織), 教授
東京学芸大学, 芸術・スポーツ科学系 健康・スポーツ科学講座 運動学分野, 教授
経歴
青山学院女子短期大学
2010年 – 2019年, 非常勤講師
國學院大学
2018年04月01日 – 2020年03月31日, 非常勤講師
明治薬科大学
2020年04月01日 – 2020年07月30日, 非常勤講師
専修大学
2020年 – 現在, 非常勤講師
順天堂大学
2021年, 非常勤講師
学歴
順天堂大学
1993年03月31日, 体育学部, 体育学科スポーツ科学領域, その他, 卒業
順天堂大学大学院
1995年03月31日, 体育学研究科修士課程 (コーチ学専攻), 修士, 修了
学位
修士(体育学)
所属学協会
公益財団法人日本スポーツ協会
2010年 – 現在
日本バレーボール学会
1998年 – 現在
日本体育学会
1995年 – 現在
日本スポーツコーチング学会
1993年 – 現在
免許・資格
中学校教諭専修免許状
1995年03月
高等学校教諭専修免許状
1995年03月
バレーボールコーチ1
2009年03月
教育・研究活動状況
現在の主な研究活動は学校体育におけるバレーボールの指導全般に関するもの、バレーボール競技におけるコーチング、技術分析、戦術分析等に関するもの、さらに子どもを中心とした基本的な運動能力向上のための指導法に関して行い、論文や書籍にまとめている。
研究分野
(ライフサイエンス) スポーツ科学
運動指導 スポーツコーチング ゲーム分析
研究キーワード
運動能力 運動指導 スポーツコーチング バレーボール ゲーム分析
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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