今回はチコちゃんに叱られる! ▽なぜビールかけ▽なぜハンコは赤▽なぜ腕組み 初回放送日:2025年10月3日を紹介。
なんでハンコに使う色は赤なの?
なんでハンコに使う色は赤なの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、きっちりしているステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんでハンコに使う色は赤なの?」
チコちゃんの答えは、「永遠に残す血の色だから。」
永遠に残す血の色だから
ズバリ!ハンコの「赤」はなぜ?奥深い朱色の秘密に迫る!
普段、何気なく使っているハンコ。
契約書や荷物の受け取りなど、私たちの生活に欠かせないものですよね。
そのハンコを押すときの色は、決まって「赤」です。
この朱色には、実はとても奥深い歴史とロマンが詰まっているのをご存知ですか?
今回は、ハンコの「赤」の秘密に迫ります。
「永遠の赤」がルーツ!?血の色への願い
ハンコの色が赤である理由。ズバリ、それは血の色に由来すると言われています。
その大元にあるのは、古代の「永遠の赤」という思想です。
古代の人々は、赤色を生命の象徴だと捉えていました。
久米先生によると、この思想から生まれた風習があったそうです。
それは、お墓で遺体の周りに辰砂(しんしゃ)を撒くというもの。
辰砂は、鮮やかな赤色をした鉱物です。水銀と硫黄の化合物でできています。
この色は、まさに血の色に似ています。
また、土に混ざっても消えず、永遠に続く特別な鉱物というイメージもありました。
辰砂を撒くことで、死者の命が再生したり、永遠に続くことを願ったのです。
この「永遠の赤」への願いが、やがてハンコの色へと繋がっていきます。
人類初のハンコと中国の記録
そもそも、人類史で初めてハンコが使われたのはいつ頃でしょうか?
それは、紀元前のメソポタミア文明だとされています。
当時は、粘土に押し付けるスタンプ印章や、
筒状のハンコを転がす円筒印章が使われていました。
ハンコで跡をつけることは、特定の人の所有物であることを示すサインだったのです。
さて、このハンコに「赤」が使われた最も古い記録は、どこに残っているのでしょう?
それは中国です。
636年に完成した書物『北斉書(ほくせいしょ)』の中に「朱印」という文字があります。
ここで朱印を用いた人物は、558年には既に亡くなっています。
つまり、それよりも前に赤い印が使われていたということが分かります。
権力の証から庶民の文化へ
この朱印に使われたのが、先に述べた辰砂です。
辰砂は採取される地域が限られていたため、非常に希少なものでした。
そのため、最初は権力者だけが使える特別な色だったのです。
隋や唐の時代になると、辰砂はさらに貴重品として珍重されます。
簡単に偽造されない、本物の証として、権力者のハンコに用いられるようになりました。
この朱印は、7世紀ごろに日本に入ってきたとされています。
奈良・平安時代には、貴族や役人が公文書などに使用していました。
戦国時代には、朱印状が全国で使われるようになり、その重要性が増します。
戦国武将ハンココレクション
織田信長
武田信玄
上杉謙信
北条氏政
徳川家康
そして、江戸時代になると、ハンコ文化は商人の間にも広がっていきます。
売買契約やお金の貸し借りでハンコが使われるようになると、変化が起こりました。
高価な辰砂の代わりに、安価な酸化鉄が使われ始めたのです。
酸化鉄は、鉄が錆びた時にできる、おなじみの赤サビの色ですね。
伝統と実用性が「赤」を守る
その後、明治時代に入り、明治4年に印鑑登録制度が導入されます。
これにより、ハンコ文化は日本全国に定着しました。
実は、法律上、ハンコの色は赤色でなければいけないという決まりはありません。
それでも、現在まで赤が使われ続けているのはなぜでしょうか?
久米先生は、それが伝統と文化が染みついているからではないかと推測されています。
一度定着した文化は、簡単には変わりません。
そして、現在の朱肉には、酸化鉄系の顔料が使われています。
この無機顔料は、長い間残りやすい性質を持っています。
つまり、実用的にも、ハンコの色は赤にしておく方が無難というアドバイスも!
「永遠の赤」への願いから、権力の証となり、そして実用性も兼ね備えたハンコの「赤」。
たった一色の裏に、壮大な人類史と文化の歴史が詰まっているんですね。
次回、ハンコを押すとき、この朱色の重みを感じてみませんか?
結論
というわけで、
「なんでハンコに使う色は赤なの?」は、
「永遠に残す血の色だから」
でした。
解説してくれたのは
大阪芸術大学の久米雅雄客員教授。
久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 – )は、日本の考古学者・歴史研究者・印学家。学位は、博士(文学)(立命館大学)。アジア印章学、東洋文字学、貨幣学、キリシタン考古学等の分野で研究業績を重ねる。大阪府教育委員会文化財保護課主査を経て、大阪芸術大学客員教授となる。そのほか、錫安印章文化研究所所長、寧楽美術館評議員、西泠印社名誉社員、中国美術学院主管学術雑誌《中国篆刻》顧問なども併せつとめる。
略歴・業績・受賞
愛媛県松山市生まれ(本籍:京都府)。1966年に愛媛県立松山東高等学校を卒業後、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)に進み、考古・古代史を北山茂夫らのもとで学ぶ。学園紛争のさなかの1970年に卒業。滋賀県文化財保護協会嘱託を経て、1979年に大阪府教育委員会文化財保護課に入庁。専門職員として考古学の発掘調査や国宝・重要文化財・大阪府指定有形文化財などの美術工芸品の調査や指定、博物館登録審査などを担当。
1989年に「中国古印の考古学的研究」で文部省科学研究費をうけ、1999年には国立歴史民俗博物館研究部調査協力者として「日本古代印研究」を執筆、さらに研究を深めて、2001年に学位論文『日本印章史の研究』にたいして立命館大学から文学博士の学位を授与された。2003年には中国杭州にある西泠印社から建社百周年の国際印学研討会に招待され「中国周辺民族官印(蛮夷印)」に関する入選論文の発表を行うとともにその論文は中国語に翻訳されて『国際印学研討会論文集』に収められた。2008年には同社105周年の国際印学峰会において論文「日本古代印研究」が国際2等奨に選ばれ、論文は同じく中文に翻訳掲載されている。
2010年6月には東洋文字文化の継承と発展に寄与する研究業績が優秀であると評価され、「第4回立命館白川静記念東洋文字文化賞(白川静賞)教育普及賞」を受賞した。
2011年10月には海外主題報告専家3人の一人として西泠印社から招聘をうけ、1世紀から5世紀にかけての「漢魏晋南宋時代の日中交流史と冊封官印―『漢委奴国王』『親魏倭王』『安東将軍倭国王』印等と東アジアの国家秩序―」というテーマで発表を行った。論文は『第三届孤山証印西泠印社国際印学峰会(The 3rd International Seal Summit)論文集』に中文で収録されている。また2012年11月にはマレーシア・クアラルンプール特別市で開催された「東南アジア国際印章会議」(マラヤ大学・フランス極東学院共催)に招聘され、「日本の印章」というテーマで1世紀の国宝金印「漢委奴国王」印から近現代の「大日本国璽」「天皇御璽」にいたる日本の印章史2000年について論じた。その要旨は『国際会議要目』中に英文で収録されている。
「金印奴国説への反論」(1983年)による「委奴=伊都」国説の再提示や「新邪馬台国論」(1986年)による「筑紫女王国(主都)・畿内邪馬台国(副都)二王朝並立論」(東征説)の展開、真贋鑑定・資料批判を伴う実物印章による『日本印章史の研究』(雄山閣、2004年)や『アジア印章史概論』(2008年)などは、今までになかった「新しい創造的切り口」として衆目を集めている。また大坂城跡出土の円形ローマ字印章「高山飛騨守ダリオ(Dario)印」の解読(1997年)や大阪府茨木市の「千提寺・下音羽の隠れキリシタン」の研究(『新修茨木市史』2008年)、「鎖国下に『聖書』にふれた学者たち」(2002)など、一連の「日本キリシタン史」にかかわる業績でも知られている。近年は「景教印の研究」(2013年)にも着手し、研究テーマ「松本清張『火の路』と漢魏晋以来『胡印』及び『景教印』等の研究―印章の世界にペルシア文化とその東漸をよむ―」は北九州市立松本清張記念館選考委員会により「第15回松本清張研究奨励事業」に選ばれ2013年8月に贈呈式が行われた。その成果については2014年6月に東京大学本郷キャンパス法文2号館(2番大教室)において「松本清張『火の路』とペルシア文化の飛鳥東漸―法隆寺烙印十字・明日香石造物・胡印及び景教遺物からのアプローチ―」と題して研究発表された。加えて2014年11月には『第四届孤山証印西泠印社国際印学峰会』において論文「日本奈良法隆寺所傳烙印十字考」が優秀論文一等奨に選ばれ、西泠印社社長会議の審議により名誉社員となった。2024年には同社より印学への重要な貢献をした者として表彰され「栄誉詔書」を授与された。
社会的活動
国立歴史民俗博物館「非文献資料の基礎的研究」共同研究プロジェクト協力者(1993年)、九州国立博物館常設展示専門プロジェクトチーム委員(2001年)、大阪府茨木市史編さん委員会執筆委員(2002年)、財団法人寧楽美術館中国古印展示企画専門委員(2007年)、BS朝日2時間番組「印の国 2000年の旅」総合監修(2008年)、『四條畷市史』考古編[キリシタン関係]執筆者などを経て、現在、公益財団法人名勝依水園・寧楽美術館評議員(2013年)、潜伏キリシタン図譜刊行会編集委員(2017年就任~)などをつとめる。また印学をわかりやすく一般向けに普及させるために2012年9月以降、近鉄文化サロン阿倍野で「『はんこ』の考古学~アジアのハンコの謎を解く~」の新講座などを開講している。
(大学HPより)
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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