今回はチコちゃんに叱られる! ▽たぬきの置物の謎▽干し柿の謎▽敬礼の謎 初回放送日NHK総合テレビジョン2026年4月3日(金)を紹介。
なんで日本中でたぬきの置物を見かけるの?
なんで日本中でたぬきの置物を見かけるの?
チコちゃん「ねぇねぇ岡村、この中で一番、置物が好きなステキな大人ってだーれ?」
チコちゃん「なんで日本中でたぬきの置物を見かけるの?」
チコちゃんの答えは、「昭和天皇が好きだったから。」
昭和天皇が好きだったから
居酒屋の店先にいる「あのたぬき」の秘密。実は昭和天皇との意外な絆があった!?
街を歩いていると、ふと目が合うあいつ。
居酒屋の入り口や、お蕎麦屋さんの店先、時には民家の庭先でどっしりと構えている「たぬきの置物」です。
「他を抜く(他抜き)」という語呂合わせで商売繁盛の縁起物として有名ですよね。
でも、実はこの置物が日本中に広まったのは、ある「超有名人」がきっかけだったことをご存知でしょうか?
チコちゃんの答えは、なんと「昭和天皇が好きだったから」!
日本たぬき学会の村田会長の解説とともに、愛すべき「たぬき」の歴史をひも解いてみましょう。
もともとは「恐ろしい妖怪」だった!?
今でこそ「愛嬌のあるドジなやつ」というイメージのたぬき。
しかし、大昔は全く違う存在でした。
奈良時代:
日本最古の歴史書『日本書紀』には、すでに「人に化けて歌を歌う」という怪しい記述があります。
中世〜江戸時代:
人を化かす恐ろしい「妖怪」として恐れられていました。
ところが、次第に「化けてもどこか詰めが甘い」「人間に見破られて逃げ出す」といったエピソードが増えていきます。
『カチカチ山』や『ぶんぶく茶釜』などの物語を通じて、「まぬけで愛らしいキャラクター」へと好感度が爆上がりしていったのです。
信楽焼たぬきの誕生と「腹鼓」の伝説
あの独特なスタイルのたぬきは、滋賀県の信楽(しがらき)で生まれました。
信楽の土は粘り気があり、大きな焼き物を作ってもひび割れしにくいのが特徴です。
生みの親は、明治時代の職人・藤原銕造(てつぞう)さん。
彼が京都での修業時代、夜中に外から聞こえる「ポンポコ」という奇妙な音を追っていくと、
そこには楽しそうに腹鼓を打つたぬきたちの姿があったといいます。
「あの姿を焼き物にしてみたい!」
その情熱から生まれた初期のたぬきは、今よりも少しスリムで、より本物の動物に近いリアルな姿をしていました。
日本中に広まったきっかけは「天皇の行幸」
信楽のたぬきが一気に全国区になったのは、1951年(昭和26年)のことです。
戦後復興の視察で信楽町を訪れた昭和天皇を、銕造さんたちが「日の丸を持たせたたぬき」の列で出迎えました。
実は昭和天皇、幼少期にたぬきの置物をコレクションしていたほどの大のたぬき好き!
この粋な演出に大変喜ばれ、こんな歌を詠まれました。
「幼などき 集めしからに 懐かしも しがらき焼の 狸を見れば」
(子供の頃に集めていたので、信楽焼のたぬきを見ると懐かしい気持ちになるなあ)
このニュースが全国に報道されると、「天皇陛下も愛した縁起物」として信楽のたぬきに注文が殺到!
一気に日本中の店先に進出することになったのです。
持っているものには「8つの意味」がある!
たぬきの置物が持つ「笠」や「通帳」には、それぞれ深い意味が込められています。
これを「信楽狸八相縁喜(はっそうえんぎ)」と呼びます。
パーツ込められた意味
笠(かさ)思いがけない災難から身を守る。
顔(かお)お互いに愛想よく。
目(め)正しい判断ができるように。
お腹(おなか)冷静さと大胆さを持ち合わせる。
徳利(とっくり)飲食に困らず、人徳を積む。
通帳(かよい)世渡りに欠かせない「信用」の証。
金袋(きんたい)金運に恵まれるように。
尾(しっぽ)何事も終わりはしっかりと。
まさに、生きていく上で大切な知恵が詰まった「人生の教科書」のような姿だったのですね。
まとめ
かつては妖怪として恐れられたたぬき。
それが銕造さんの情熱と、昭和天皇の深い愛情、そして商売人の縁起担ぎが合わさって、今の地位を築き上げました。
ちなみに1975年(昭和50年)、昭和天皇が2度目に信楽を訪れた際は、皇后様が「カエルの置物」を気に入られたことで、今度はカエルブームが起きたのだとか。
次に街でたぬきを見かけたら、ぜひ心の中で「お疲れ様!」と声をかけてあげてくださいね。
結論
というわけで、
「なんで日本中でたぬきの置物を見かけるの? 」は、
「昭和天皇が好きだったから」
でした。
解説してくれたのは
日本たぬき学会の村田哲郎会長。
今回も最後まで読んでくれてありがとう。
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